第209話 終わりを紡ぐ者
黒い稲光を放ちながら黒槍はまっすぐに彼の地への扉に突き進む。このまま、あの真っ赤な世界ごと貫いてやる。
「いけええぇっ」
まだ開いたばかりだ。まだ間に合うはずだ。あそこから、ゆっくりと溢れてこようとしている異様な気配。まだ始まっていない。
今、このときなら……父さんから受け継いだ……この黒槍なら。
「どうしてっ!」
約束が違うじゃないか。
「どうして、邪魔をするっ!」
沈黙していたはずのブラックキューブが宙を舞い、黒槍を阻むように何重にも盾となっていく。
ぶつかり合う黒槍とブラックキューブ。
互いに破壊不能属性を持った者同士。こちらが最強の矛なら、あちらは最強の盾。
俺はそれを成した者を見つめた。涼し気な顔をして、白い髪をなびかせていた。着ている神官服が荒れた大地には似つかわしくないほどの清廉さを感じさせられる。
そんな翼は持たずに彼の地への扉の前で浮かぶ者の名を叫ぶ。
「ライブラ!」
あいつはこの事態を望んでいなかったはず。それなのに俺を拒むのか!
手を緩めることはない。このまま押し切ってやる。
俺のステータスを捧げる。持っていけ。
「グリード! 穿け……」
黒槍はより鋭く……大きく……長く変貌していく。そして赤く黒い稲光を轟かせ始めた。
この稲妻に触れたブラックキューブは、砂のように崩れて落ちていく。そして最後は塵すらも残らずに消え失せる。
たとえ破壊不能だとしても、この第六位階の
存在消滅の力を持った黒槍にはどのような盾だろうが、必ず穿く。あの彼の地への扉を消し去りたいと願い形となった……この力をライブラは今更止めることはできない。
何重にも張り巡らせたブラックキューブによる城壁のような盾を消し去っていく。それでもライブラに焦りの色はない。
いつものように飄々とした顔だった。
それならいいさ。お前ごと穿いて、終わりにしてやる。
黒槍を操る力を更に込めようとするが、ライブラは指を鳴らした。
「フェイト、止めるんだ!」
「なにっ」
エリスの声。俺にもわかっている。寸前のところで、黒槍の進路を変更。そのまま弧を描いて俺の手元まで戻す。
『そうくるか……相変わらず嫌なやつだ』
戻ってきたグリードは憎たらしげに悪態をつく。
そこには光の十字架に磔にされた天使がいた。気を失っているようで、半分赤く染まった金髪だけが風になびいていた。
「ロキシー……」
ライブラを睨む俺を気にする素振りはない。残ったブラックキューブを背後に控えさせて彼は口を開く。
「素晴らしい。これを消滅させるとはね。予想外さ」
「ライブラっ!」
「だけどね。最強の盾というものは、こういうものをいうんだ」
ロキシーに敬意を払うように軽くお辞儀をしてみせる。
「マインはどこだ?」
おそらく、聖獣ゾディアック・ジェミニとの戦いの後に彼女たちはライブラに襲われたのだ。俺たちが帝都へ乗り込むまでに時間を稼いでくれていた彼女たちは、相当疲弊していたはず。
そこを狙われたのだろう。ロキシーのあの状態を大丈夫と言っていのか……わからないが見るからに大きな怪我をしてはいないようだ。心配なのはマインだ。彼女が黙ってロキシーが連れ去られるのを見ているわけがない。
「君の方こそどうだい?」
ライブラは俺の問いを無視して勝手に続ける。
「実の父親を喰らった。感想は?」
「くっ」
「感傷に浸っているのかい? それとも、美味しかったかい?」
「お前えええぇぇぇっ」
「どうやら図星だったようだ」
俺を嘲る声が降り注ぐ。
黒槍を握りしめる手にも力が入ってしまう。
『落ち着け、フェイト。揺さぶられたところでより不利になるだけだ』
「グリード……」
ライブラは何かを思いついたように、懐から取り出して放り投げてくる。
「プレゼント。気に入ってくれると嬉しいね」
エリスの背に落ちてきた……それを見つめる。
「これは…………まさか」
手に取って、形を確かめる。真っ黒な角だ。俺は一度、この角を見たことがある。
戦鬼化したマインの角だ。
「答えるのが遅れてすまない。これで、わかってもらえたかな」
「……なんてことを」
「大人しくね。エリスもだ。お前の化け物姿は嫌いだと言ったはずだよ。この出来損ないがっ」
エリスの大きな天竜の体が僅かに震えた。俺は安心させるようにそっと撫でながら、ライブラから目を離すことはなかった。
「それに比べて、彼女の素晴らしさといったら。養殖ではなく、やはり天然物だね。可能性の選択肢の差かな? 君もそう思うだろ、フェイト?」
「お前は何が言いたい? 何をしようとしている?」
「この状況から予想できると思うけど」
俺が睨むと、ライブラはニヤリと笑った。
「扉の向こう側へ。彼女のエスコートでね」
「ロキシー!」
赤い世界の前に、磔となったロキシーを移動させた。
「ここから先は本来なら魂のみが通行を許される。しかし、聖獣人と融合できるほどの魂なら」
「キャアアアァァァ」
ロキシーの悲鳴に黒槍を放とうとするが、旋回するエリスによって止められてしまった。
「大丈夫。ライブラはロキシーを必要としている。チャンスはある。ここは堪えるんだ」
「それでも」
『フェイト、エリスの言うとおりだ』
グリードにも言われてしまっては、ただ眺めることしかできないのか……。
真っ赤だった世界の色に変化が起こる。ロキシーの髪を思わせる黄金色が混ざり始めた。
「この先に行ける者……選ばれし者がすべてを手に入れることができる」
ライブラの顔にある聖刻が赤く光っていた。あいつがこれからやろうとしていることは、父さんと同じ天啓か?
何かはまだ不明だが、あの扉の向こう側には拒否できないあいつの定めがあるようだ。
「さあ、彼女に道案内を頼もう。同行者となれば、この僕も中にはいれる。君はどうするかい?」
挑発するかのように、見下ろしてくるライブラ。
途端にブラックキューブたちが円を描く始める。何かを召喚しようとしている?
それはすぐに分かった。虚空から、4体の巨体が出現した。これは……この気配とプレッシャーは……。
「ここまできて、出し惜しみはしない。僕が持つすべての聖獣で向かい打つ」
「……ライブラっ」
「君は選択しなければ、いけない。混ざりもの君ならここを通ることができるだろう。だが、残されたエリスは死ぬ。僕が先に進んだ後、君が彼の地への扉をその黒槍で消滅させれば、ロキシーは二度と帰ってこない。さあ、選べ」
「お前は……」
黒槍をライブラへ向けようとするが、ロキシーをまたしても盾のように使われてしまう。
「そうやって見上げているほうが君にはお似合いさ」
ライブラが手を下ろすと、4体の聖獣が動き出した。
「フェイト、ボクは大丈夫」
「そんなことは……」
エリスはライブラに大きなトラウマを抱えている。今でも克服できているとはいえない。そのトラウマは他の聖獣人や聖獣まで及んでいることを知っている。
4体も俺たちを囲うように迫っていた。おそらく個々がとんでもない能力を持っているはず……残されたエリスが大丈夫なわけがない。
「くそっ」
「残るのかい? なら、すべてが終わるまでここにいるといい」
磔となったロキシーと共に、ライブラは彼の地への扉を通ろうとしたとき、1体の聖獣が大きく傾いた。
凄まじい衝撃音が駆け抜けていく。
ライブラはそれを成した者を苦々しい視線を送った。
「しぶといね。完璧な不意打ちだったにもかかわらず、生きていたとは……。さすがは戦鬼といったところか」
片角を失っても、力は健在。風に揺れる白い髪が、帝都の真っ黒な建物の残骸と対比となってよく映えていた。
大きな黒斧を振りかざし、威風堂々。
「マイン!」
「問題ない。私も大丈夫」
あの戦鬼の姿になっても、マインは自我を保っている。過去との邂逅を経て、彼女はまた強くなったみたいだった。
「ここは、私とエリスで倒す。フェイトはフェイトができることをする」
マインは一撃を食らわせた聖獣に追撃を始めた。
ライブラはそれが面白くなかったようで、大きく溜息をついて見せる。そして何も言わずに、ロキシーとブラックキューブを連れて彼の地へと踏み込んでいった。
「エリス、俺は行くよ」
「そうこなくっちゃね。なら、あそこまで連れて行ってあげるよ。マイン、援護をお願い」
「了解」
高く飛び上がったマインが、エリスの頭の上に着地する。
黒斧を構えて、見据えるは彼の地への扉。
「フェイトは何もしなくてもいい。温存」
「そうだよ」
「必ず、送る」
「わかったよ。任せる」
俺たちの前には聖獣たちが立ちはだかる。1体はマインの初撃によってまだ出遅れていた。
あの3体を押しのければ、あそこへ辿り着ける。
エリスは八枚の翼を羽ばたかせて、急上昇していく。そして進むべき道へ咆哮を放った。
勢いそのままにエリスは、回避する聖獣の1体に噛みつき、更に飛躍する。
「あとは頼むよ。マイン」
暴れる聖獣によって翼の一枚を切り落とされながらも、エリスはもう1体の聖獣に突っ込んだ。
ズンとした鈍く大きな音が鳴り響く。
「……跳んで、フェイト」
彼の地へは目前。エリスはそう言い残して、2体の聖獣と一緒に絡み合いながら地面に落ちていく。
俺とマインは高く飛び上がった。
その先には邪魔をするように最後の聖獣が立ち塞がる。マインはそれを初めから予想していた。
黒斧はすでに形状を変えている。それは莫大な力を溜め込んおり、黒い光となって漏れ出す。より重さを感じさせる黒斧を聖獣へ向けて振り下ろす。黒斧の
「先に行って!」
「……ありがとう」
「お礼はちゃんと帰ってきてから」
「ああ、行ってくる」
強力な一撃を与えた最後の聖獣が、マインを乗せたまま地面に落下し始めた。
俺はマインとすれ違いざまにハイタッチして、聖獣を跳躍の足場にする。そして二人を横目に彼の地へ飛び込んだ。
マインやエリスが聖獣たちと戦う音は、次第に遠のいていった。
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