第208話 第六位階

 あれを……どうしたらいい。

 世界が傷つき赤い血が流れ出したように見える。手の施しようがない致命的なものを思わせた。


 立ち尽くす俺に父さんは声をかける。


「ああなっては、すべてが終わるまで閉じることはない」


 父さんは他人事のように言う。なぜなら、この行いは自身の意思ではなかったから。

 聖刻によって強制されて彼の地への扉を開いただけ。父さんに選択の余地などなかった。


 それに俺にはチャンスがあった。なのに、それを捨てて父さんを選んでしまった。

 父さんは今起ころうとしていることなど見ることなく、俺だけに目を向けた。


「フェイト、それでも行くか?」

「そのために来た。父さんが止めても行くよ」

「なら、これを持っていけ」


 力ない手で、俺に渡してきたのは黒槍ヴァニティだった。

 ずっしりとした黒槍を手持つ。父さんの思いの重さを表しているかのようだった。


 これは使い手によって姿を変えてきた。今は黒天使が持っていた禍々しい長槍ではなくなっている。

 父さんが幾度も俺の前に現れては力を振るった、見慣れた姿だった。


「お前はこれに何を映す。どのような力を望む?」

「俺は……」


 昔なら独りよがりなことばかりだった。あのときの俺なら、おそらく黒槍のままで扱うことを選んでいただろう。


 だけど、今は違う。ロキシーやマイン、エリス、それにアーロン……いやそれだけでなくバルバトス家に仕えてくれる人たち、領民たち……まだまだ沢山の仲間がいてくれて共に歩むことの素晴らしさを教えてもらった。


 だから、お前も……。


「俺たちのもとへ来い」


 黒槍ヴァニティは形を失っていく。小さな黒い粒子となって、黒剣グリードに吸い込まれた。


『これは……フェイト。そうか、そういうことか! やりやがったな』

「ヴァニティの力を借りて、ケイロスが開けなかった姿に」

『ああ、そうだ。俺たちの新たな力――第六位階へなってやろうじゃないか』


 今まで一番心安らかな位階解放。強欲な相棒もこのときばかりは代償を要求してくることはない。有り余る力を黒槍ヴァニティは供与してくれるからだ。


 次第に形を成していく第六位階。その姿はもちろん決まっている。


 父さんが持っていたものよりも鋭く。だが、黒天使が扱っていたほどではない。

 俺たちに似合ったこれ以上ない形に収まっていた。


 第六位階の形状は黒槍だ。そして、俺が願ったのはあの開ききってしまった扉を再び閉じる力。グリードが最も嫌う使い方となってしまうが、今回ばかりは納得してもらおう。本人はまだ形状が変わったことに驚いており、気がついてないが……。


 その時が来れば、わかってもらえるはずだ。


 うまくいくかは出たとこ勝負。それでも、あのポッカリと空いた場所へ行かないと……。


 父さんは新たなグリードの姿を満足そうに見えていた。だが、すぐに顔を引き締めて言ってくる。


「フェイト、お前の中にいるもう一人に気をつけろ」

「暴食スキルの中にいる?」

「そうだ。あれは危険だ。不安定な上に凶暴で、さらには封じられ続けたことにより、怨嗟を募らせている。お前が暴食スキルを使い繋がるたびにお前と入れ替わろうとしてくるかもしれん」


 精神世界で対峙したもう一人のフェイトを思い出す。父さんの言う通り、俺への憎しみを戦うたびに募らせていった。あの状況はとてもじゃないが分かり合えるとは思えない。


 本来は二人で一人な存在だったはずなのに……。


 俺の問題はすべて解決したわけではない。


「なんとかやってみるよ。いつものことさ」

「ここまで来たお前なら……いらぬ心配だったな。俺はもう大丈夫だ」

「父さん……」

「これ以上ないくらい十分に救ってもらった」


 父さんが、から元気なのはよくわかる。幼かった頃はそれに気がつけずに……父さんは亡くなってしまった。その苦い思い出が蘇ってくる。


 そんな不安を払拭するように父さんは満面の笑みを俺に向けてきた。その顔は幼い頃に見ていたものと同じで、もう父さんは聖刻の束縛から開放されたことを知らしめていた。


「行って来い。さあ、行くんだ……フェイト!」

「行ってきます!」


 拳と拳を突き合わせて、父さんから背を向けた。そんな俺にエリスが嬉しそうな顔で寄ってきた。


「よかった。一時はヒヤヒヤだったよ。実際、氷漬けにされてヒエヒエだったけどね」

「見かけによらずタフだよな」

「でしょ。もっと褒めてもらっていいよ」

「お前な……」


 俺は呆れながら空を見上げる。


「行きたのかい? あの場所へ」

「ちゃんとした翼があれば、一飛びなのにさ」

「なら、ボクが連れて行ってあげるよ」

「えっ?」

「二人の戦いを見ていて思ったのさ。ボクもしがらみを捨てて、向き合わないとって」

「エリス? なにを」

「ライブラが言っていたよね。ボクは魔物の寄せ集めだって……こんな姿になっても、できることなら今までの通りにしてもらえると嬉しいかな」


 その言葉は話す中で、エリスの姿が変わっていく。大きな翼が八枚もあり、白く大きな巨体が崩壊した大地に居座る。


 まさか……これは。形は全く同じではないが、俺はこの白竜をよく知っていた。

 生きた天災。あまりの強さから信仰の対象をしている者さえいる。


 エリスが姿を変えたのは、天竜だった。それも俺と戦ったものより、洗練された姿をしている。


「どうかな?」


 大きな巨体をしているくせに、エリスはどこか恥ずかしそうだった。

 俺は彼女に飛び乗りながら、頭を撫でる。


「かっこよくて、びっくりしている。まさか天竜に乗れる時が来るなんてな」

「君が倒した天竜は、ボクと同じようにライブラに実験体とされた者の成れの果て。人の姿を失い、戻ることができずに次第に心すらも失っていた。もっと昔はそんな人たちがたくさんいたんだよ。みんな死んじゃったけど……」

「そっか……」

「でも、よかった。こんなことなら早く打ち明けていればよかった」

「俺たちは似た者同士だしな」

「体と心の違いはあるけど、そうだね。さあ、行くよ。しっかりと掴まっておいて」


 飛び立つ前に、俺は振り向いた。父さんは今もずっと俺を見ていた。


 互いに頷き合って、最後の別れを済ます。こうしておきたかったけど、名残惜しくなってしまいそうだったから。


 エリスは翼を広げて、真っ赤に染まった空に向けて羽ばたいた。

 次第に遠くなっていく父さん。わかっていたけど……涙が勝手に溢れてきた。


「フェイト……君のお父さんの魔力が……」

「わかっている。昔からいつもああなんだ。俺の前ではいつだってそうだ」

「でも、このままだと」

「これはお互いに決めたことだ」


 父さんの魔力がロウソクの炎が消えかけるように揺らいでいた。僅かな風でも消えそうなくらいに……。


 それでも、もう振り返ることはしない。父さんとの約束だ。


 エリスの角を握りしめる手に力がこもってしまう。それは彼女にも伝わったようで、何も言わなくなった。

 先を目指す俺たちに、最後の魔力の灯火が波動となって駆け抜けていった。


「父さん……」


 そして、聞こえてくる無機質な声に今だかつてない非常さを感じさせられた。

《暴食スキルが発動します》


 父さんの力が俺の中へ流れ込んでくる。こんな結果を望んでいるわけがなかった。

 それでも俺は暴食スキルの使い手だから、戦いとなればこうなってしまう。しかも、命をかけたものとなれば尚更だ。


 無機質な声が俺の頭の中で、駆け抜けていく。ステータスがどれくらい加算されたかなんてどうでもよかった。


 そこに残るのは、父さんを喰らってしまった事実のみだ。


(……フェイト)


 僅かに父さんの声が聞こえたような気がした。


 その声で、やるせない気持ちが抑えきれなくなって、


「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁっ」


 俺は手にしていた黒槍を渾身の力で、天に空いた彼の地への扉に向けて、投擲していた。

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