第207話 開かれた扉

 黒籠手から黒炎がとめどなく溢れ出す。使い手には熱さを感じさせない炎。しかしそれ以外は、焼き尽くすまで消えない。俺は今だに黒炎が俺の意志以外で消えた姿を見たことがなかった。


「『いけえええぇぇぇっ!』」


 黒炎は生き物のように波打ちながら、張り巡らせた黒糸を伝っていく。そして黒天使が放った冷たい青炎と表面からぶつかり合った。


 黒炎は青炎を喰らうように侵食する。一時は押し負けていたが、勢いを上げて盛り返していく。黒炎は貪欲に青炎を平らげて、とうとう黒槍まで迫る。


 黒天使はまたしても叫び、漆黒の仮面を俺に向け、聖刻をより一層赤く光らせた。

 この状況でまだやるつもりだ。空にはブラックキューブが魔法陣を発動段階に入っていた。時間はあまり残されていない。


「『それはわかっている!』」


 背後から忍び寄る攻撃。空間跳躍による遠距離からの不意打ち。しかも多段で俺の心臓を狙ってきた。


 事前にあれだけ教えてもらったのだ。予め備えていれば、躱すことは他愛もない。


 逆にこの攻撃によって黒槍の穂先は俺の側にあり、他の攻撃はできないはずだ。できるなら、とっくに複合攻撃をしてきただろうさ。一つ一つが使い手の思いから顕現する力なら、個々のもので重ね合わせることはできないのかもしれない。


 黒天使は起死回生の策を失った。つまり今は無防備だ。


「『ここで一気に押し込む』」


 黒炎は俺たちの声に呼応して燃え上がる。宙を舞う黒天使を包み込み、十字に火柱を上げた。


 黒天使は爆炎に吹き飛ばされて落下していく。翼は焼け焦げ、黒炎が侵食し続けていた。それだけでなく、全身に黒炎を纏っている。


 俺の中でグリードが言う。早く、あのブラックキューブも吹き飛ばせと。


 だけど……横目では黒天使が地面へと落下を続けている。黒炎は漆黒の仮面を燃やし、赤く光る聖刻に大きなヒビを入れる。わずかに砕けた仮面の奥に、父さんの苦しそうな顔が目に入ったときには……グリードの制止を振り切って体が勝手に走り出していた。


 ブラックキューブの魔法陣は、太陽のような光を放っていた。


 そのまばゆい光を浴びながら、俺は父さんを抱きかかえる。いつの間にか、グリードとのクロッシングは溶けていた。


「父さんっ!」

「……何をやっている。俺よりも大事なことを、なんのために来た」


 俺は黒炎を取り払いながら、叫んだ。


「馬鹿野郎おおぉぉっ」


 父さんは何も言い返すことなく、静かに頷いた。

 その時、聖刻は漆黒の仮面と一緒に崩れて落ちてしまった。顕となった父さんの顔には、もう聖刻の姿はない。


「俺の天命は果たされた」


 その言葉が合図のように、帝都の頭上にある空が大きく割れて、異なる世界が顔を覗かせていた。ブラックキューブは役目を終えたとばかりに落下して雨のように降り注ぎ、次々と地面に突き刺さる。


「結局、こうなってしまうのか……うぐっ」


 父さんの体はひどいものだった。黒炎や毒などのダメージ、それ以上に黒槍を使いすぎたことによる負荷が大きいようだ。あれは使用者の血を求める性質がある。


 たとえ使用者が黒槍を抑え込んでいたとしても、すべては難しいだろう。あれもグリードと同じ大罪武器だから、一筋縄ではいかないはずだ。


「今すぐに治療を」


 黒籠手から黒杖に変える。そして、トワイライトヒーリングを発動しようとするが、


「やめておけ。無駄遣いをするな。まだ終わっていない」


 割れた空を眺めながら父さんは言う。


「それじゃ……父さんが」

「言ったはずだ。殺す気で来いと。それに俺はとうの昔に死んでいる」


 すでに死んでいる……その言葉で俺は固まってしまう。父さんが亡くなったときのことはよく覚えている。だけど、父さんがなぜ死ぬことになったのか。その理由は今までわからなかった。暴食スキルと向き合ったとき、それを知ることができた。


 フェイトという存在は二人いる。二重人格と言うべきか。俺ともう一人がいた。


 そいつはとても攻撃的で、時折、顔を覗かせては俺に影響を与えてきた。押し寄せるあの得体のしれない怒りは、精神世界で退治した偽フェイトが持ち合わせていたものだった。あいつは今も俺を憎み、襲うチャンスを窺いながら俺と取って代わろうとしている。


 本来は俺ではなく、あいつがフェイトになるはずだった。


 それを許さなかったのは、父さんだ。ケイロスとの戦いによって本来の自分に知ったことで、欠けていた記憶が補完されて思い出した。それと同時に、俺という存在もわかってしまった。


 エリスが魔物の寄せ集めなら、俺は暴食スキルで喰われた魂の寄せ集めだ。


 父さんは力ない手で俺の頬に手を当てる。


「お前は母さん似だ。本当に大きくなったな、フェイト」

「違う、俺は……」

「お前は勘違いしている」

「父さんの息子じゃなくて、暴食スキルが作り出した偽物で……。本当の息子は暴食スキルの中に今も閉じ込められて……」


 なかなか言い出せなかったことを吐き出す俺に、父さんは首を振る。


「ちゃんとお前は俺の息子だ。暴食スキルに封じたフェイトは、俺の力を受け継いだ聖獣人。お前は暴食スキルが作り出した偽物ではない。母さんの力を受け継いだ人間だ。しかし、ただの人間に暴食スキルは強力過ぎた。生まれてすぐに人間としてのフェイトはスキルに飲み込まれてしまった」

「……でも俺は今ここにいる。まさか……」


 暴食スキルから、母さんの命を奪った記憶があった。暴食スキルが母さんに負担をかけてしまったのだと思っていた。


「そうだ。お前を産むために母さんは亡くなったのではない。暴食スキルから救うために母さんは魂を捧げた。あのときそれができたのは、物理的に繋がった母さんしかいなかった」


 そう言って父さんは俺のへそを指差した。つまり、生まれたての赤子はへその緒で母親と繋がっていることを意味していた。その時は母さんも暴食スキルと繋がっていたのだ。


「代償を払って、お前を暴食スキルからすくい上げた。しかし、そのときにはすでに暴食スキルで喰われた者たちの魂と混ざり合ってしまっていた。それは断つことはできないほど深くな。これ以上、暴食スキルと交わらないように母さんは壁となってお前を守り続けるはずだった」

「守る? それって」


 俺は暴食スキルが初めて発動したときのことを思い出す。王都セイファートで門番をしており、お城に忍び込んだ手負いの賊を倒したときだ。


 押し込められたものが解放された感覚があった。そして、無機質な声と共に力を得た。


「母さんはお前が普通の人として生きることを望んでいた。しかし、ここはスキル至上主義。生まれ持ったスキルで、すべての人生が決まってしまう。それは努力では覆ることなく絶対だ。封じられ無能スキルとなった者には生きづらい世界だっただろう」


 父さんは死ぬまで俺のことを案じていた。


「俺が死んだ後に、お前が暴食スキルに目覚めてしまうことは容易に想像できた。しかし、予想は半分だけ当たっていたようだ」

「半分?」

「目覚めても暴食スキルに飲み込まれることなく、均衡を保っている。大丈夫だ、お前の根っこはちゃんと人間だ。寄せ集めの偽物じゃない。それに今も母さんはお前を守っている」

「父さん……」


 安全そうな場所に父さんを寝かしつけていると


「お仲間が来たようだ」


 この気配は……。振り向くとエリスが立っていた。ボロボロになっており、目のやり場に困る。あの凍結攻撃をなんとかやり過ごしたようだった。


「派手な親子喧嘩だったね。でも良かったよ。和解できたようで……積もる話もあるだろうけど、今はあれをどうにかしないとね」


 空間の割れ目が、ゆっくりと広がっている。ポッカリと空いた穴から、真っ赤な光が漏れ出ていた。どこか暴食スキルの世界――亡者たちが蠢いていた場所と重なって見えた。


 あの先にある世界が、生きとし生ける者にとって優しい場所とは思えなかった。

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