第206話 死を司る天使
真っ黒な顔からは、理性があるようには思えなかった。神から授かった天啓のみに従う。それを本能として、邪魔をする者はいかなる手を用いても排除する。
真っ赤に染まる聖刻が、標的として俺を認識しているように見えた。
「父さん、いつも俺のことばかりで……どうしてそこまで……俺は父さんの本当の……」
声は黒天使となった父さんに届くことはなく、帝都に吹き込む風によって彼方へと運ばれていった。
『フェイト! 来るぞっ』
黒天使に目を向けると同時に、姿が消えた。
聖獣ジェミニが使った空間跳躍か!? そう思えてしまうほどの高速移動。
二枚の翼が増えて六枚になったことによる推進力か!?
目では追いきれない。見えているのは残像で、本体はずっと先にいるだろう。
黒盾に変えて身を守るのが精一杯だった。黒天使は止まることなく、長く伸びた黒槍の先をぶつけてきた。
「重い」
構えた黒盾が軋む。この攻撃はマインのノワールディストラクトに匹敵する。スピードがあり、パワーも兼ね備えているのか。
ブラックキューブという不安定な足場から、いとも簡単に吹き飛ばされる。建物をいくつも貫通して、地面に突き刺さった。
口に大量の血がのぼってくる。黒盾で受け止めたはずなのに、余波が貫通して俺の内部にダメージを与えたようだった。
積み上がった瓦礫を押しのけて、這い上がる。
黒天使は、ブラックキューブの動きを抑制しているエリスの魔弾を気にしているようだった。魔法陣を描こうとするたびに、魔弾がそれを拒む。
状況を一瞥すると、黒槍を振るった。
「エリスっ!」
俺の声と共に空間が凍った。体が動かない。
かろうじて首を傾けて周囲を見渡す。帝都が氷の世界に包まれていた。
体の芯まで凍っているわけではない。魔力を高めて熱に変え、凍った表面を溶かしていく。
「エリスが……」
彼女は黒天使の真下にいた。俺とは比べ物にならない冷気を浴びたはずだ。
『大丈夫だ。心配ない。あいつはお前が思っている以上に丈夫だ。そう作られている』
誰が彼女をそうしたのかはグリードは言わなかった。わかりきったことだ。ライブラは今も緑の大渓谷で大人しくしているのだろうか。食えないやつだから、俺の予想を超えてきそうだ。
「お前は自分の心配をしろ。また来るぞ」
帝都を凍りつかせるほどの魔力を見せつけた黒天使は、狙いを再度俺に定めたようだ。
エリスの魔弾による邪魔がなくなり、ブラックキューブは漂いながら魔法陣の構築を再開した。
黒天使は、残像を描きながら襲ってくる。黒盾で守ろうとするが、寒さで手がかじかんで、うまく力が入らない。
甲高い金属音がぶつかり合う。
今度は押されることなく、黒槍と拮抗していた。
「『まったく、お前はいつもそうだな』」
俺の口でグリードが喋っていた。
「『一人で戦いたいって言うから見ていれば、このざまだ』」
「『グリード……お前、無理やりクロッシングを』」
「『フェイトは俺様の相棒だ。それにこうすれば、一心同体ってわけだ』」
「『そうだろ?』」
ああ、グリードの言う通りだ。今まで一人ではできないことは二人で戦ってきたんだ。本当に今更だよな。
「『お前がいて、俺様もいる。それに、ケイロスまでいるときている』」
「『最高じゃないかっ』」
今グリードと魂は重なっているからこそ、手に取るようにわかる。彼は心からこの状況を楽しんでいる。
世界を賭けた親子喧嘩と揶揄していたくせにな。
「『ここからが反撃だ』」
黒盾で押し返して、黒剣へと切り替える。毒スキルを付加させて、黒天使へ斬り込んだ。
こちらの行動はお見通しとばかりに黒槍で応戦してくるが、
「『俺たちを舐めるな』」
体をねじって黒槍を躱して、懐へ。リーチの長過ぎる武器だ。こうなってしまえば、こっちのものだ。
黒天使は翼を動かし逃げようとするが、もう遅い。
クロッシングによって精度が増した俺たちの動きには無駄はない。黒剣の先が黒天使の脇腹を掠めた。
「『やるな』」
タイミングはバッチリだった。脇腹を斬り裂くはずが、黒槍の持ち手を器用に使って、黒剣の軌道をずらしてきた。
黒天使は今度こそ攻撃しようとしてくるが、体の異変を感じたようで、俺たちから距離をとった。
早速、毒スキルが効いてきたみたいだ。
掠っただけであの効き目。父さんが嫌がるはずだ。
俺たちに接近戦は好ましくない。そう認識した黒天使は、黒槍を俺に向けて、冷気を放った。
この帝都をまるごと凍らせるほどの力を集中させたものだ。俺たちから遠く離れているはずの建物にも影響が出てしまうほど、極寒が押し寄せる。凍った建物が冷気の波に飲み込まれて砕け散っていく。
握っている黒剣からも、手がしびれそうな冷たさが伝わってきた。
まともに浴びてしまえば、あの建物のように塵となって舞うことだろう。
それでも、逃げるという考えは俺たちにはなかった。
ステータスを無尽蔵に使えるほど、蓄えがあるわけではない。ここで決める気概がなければ、あれは止められない。
黒剣から黒籠手へ、俺たちが持てる最高の一手で向かい打つ。
「『ディメンションデストラクション』」
気合と共に第五位階の奥義を叫ぶ。
黄金色の光を放つ黒糸が無数に枝分かれして、極寒の冷気とぶつかり合う。
黒糸は冷気を空間ごと切り裂く。そして、ポッカリと空いた異空間に冷気を引きずり込む。
いける! この奥義は冷気と相性がいい。このまま押し切ってやる。
そのとき黒天使が人とは思えない声を発した。途端に、放たれる冷気の量が一気に増した。
奥義ですら抑えきれないほどだ。両腕に今までにない重さを感じる。
じわりじわりと冷気が黒糸を凍らせていく。これほどまでに、父さんの思いは強いのか……。
「『それでもっ!』」
息子と呼んでもらえる以上、その思いに応えたい。相反する力を付加する。
俺の一部――ケイロスも呼応して、力が流れ込んでくる。真紅の炎が黒籠手を包み込むように燃え上がり、黒糸の黄金色と混ざり合う。
冷気を蒸発させて、無効化。さらに切り裂き異空間へ追い込む。
これなら、押し返せる。父さんの思いを受け止められる。
黒糸が黒槍の矛先へ迫ったとき、異変が起こった。
「『反転した!』」
冷気から冷たい色をした炎へと変わった。これは……今までの冷気とは比べるのがバカバカしくなるくらいだ。
父さんが教えてくれた黒槍で扱える力は冷気と空間跳躍だったはず。それ以外にもあったのか。
いや、父さんは言っていた。以前は真逆の力を使っていたと。
聖刻によって、あの姿になっても……。
「『まだ手加減をさせていた』」
それも今はない。本来の黒天使が扱う炎となり代わっている。
もしかしたら、すべてを凍らせる……その力はあの黒天使に戻りたくない思いから真逆のものとなって現れていたのかもしれない。父さんに聞いて教えてくるとは思えない。それは、この戦いを通して感じたことだった。
青く冷たい炎の勢いは増していく。真紅の炎を宿した奥義を燃料として更に燃え上がる。
あまりの熱量に辺り一面で、大気が荒れ狂う。
奥義はまだ発動中だ。まだいける。だが、青い炎は膨張しながら進行を続ける。
あまりの圧力に両腕が吹き飛びそうだ。近づく青い炎によって、服から煙が上がり始めた。
「『このおおぉぉ』」
体の血液が沸騰しているような感覚が襲ってくる。もしかしたら、体が燃えているのかもしれない。
もう抑えきれない。そう思ったとき、両手が誰かに支えられた。
(何をやっている。お前たちには、もう一つの炎があるだろ)
ケイロスの声が聞こえた。それは優しくしっかりとしたものだった。
(俺の力ではなく、誰にも消すことはできないお前たちだけの炎を)
まさか……あれを今ここでいけるのか?
この第五位階の黒籠手の姿で呼び出し、操りきれるのか?
(俺とは違う。お前らならできるさ。俺に見せてくれ……フェイト、グリード)
「『うおおおぉぉぉ』」
クロッシングした俺たちの魂は重なり合う。第四位階――黒杖の力をここに召喚する。
黒籠手の指先から、バチバチと音を立てて、黒き炎が産声を上げ始めた。
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