第210話 魂の海原

 俺の名を呼ぶ声がする。聞いたこともない声。

 だけど、どこか懐かしくて……なぜか悲しくなってしまう。


「フェイト、フェイト……起きなさい。いつまで寝ているの!」


 目を覚ますと、そこは幼い頃から暮らしてきた家だった。商人の都市テトラから、西へいくつもの山を越えた先の小さな村。痩せた土地で碌にまともな野菜も育てられない。


 それでも薬草だけはなんとか育つため、それを収入源に細々と暮らしている。


 起きようとすると体のあちこちが痛んだ。どうやら、昨日の農作業がこたえてしまったようだ。


「痛てて……なんだか変な気分だ」


 何かの繭に包まれていて、はっきりとしない感覚が燻っている。

 なにか大事なことを忘れているような……喉に小骨が刺さった感じでどうも落ち着かいない。


「フェイト! まだなの?」

「今いくよ」


 服を着替えて自室のドアを開ける。そこに父さんと見知らぬ女の人がいた。

 彼女は俺を見て不思議そうな顔をした。


「何しているの? せっかくの朝食が冷めちゃうわよ」

「ごめん、母さん」


 えっ……俺は今なんて言った? 母さん!?


「ほんとうにどうしてしまったの。ディーンもなにか言ってやって」

「まだ寝ぼけているんだろう。フェイト、ここへ座れ」


 父さんは笑顔で手招きしてくる。促されるまま、俺は使い古されたテーブルへ。そして父さんの向かいに座った。


 すると、さきほどの疑問は消え失せていた。


「さあ、食べようか。質素ではあるが、母さんが作ってくれた朝食だ」

「美味しそう」


 焼きたての黒パン。ライ麦の良い匂いがする。薬草が入ったスープはほんのりと苦味があった。

 それが黒パンと相性が良くて食が進む。


「食べたら農作業だ。最近は狩りばかりでサボリ気味だったからな」

「魔物狩りばかりで、心配だわ」

「母さんは心配性だな。これも仕事だ。村長が最近魔物が増えたと、うるさいからな」

「だから、ディーンばかり」


 父さんは母さんを抱きしめながら言う。


「この村で戦えるのは俺だけだからな。大丈夫だ」

「フェイトもいるでしょ。ねぇ」

「……俺?」


 俺が戦える? あれ、どのようなスキルを持っていたんだ?


「父さんと同じ槍術スキルでしょ? まだ寝ぼけているの?」

「そうだったっけ」

「お前ってやつは」


 父さんに頭をガシガシと荒っぽく撫でられてしまう。それでいいのかもしれない……また何かを忘れていくような感じがした。


「さて、朝食が終わったことだし。農作業だ」

「行きましょう、フェイト」


 父さんと母さんが家から外へ出ていく。残された俺は玄関ドアに手をかけたまま、進めなかった。俺の中の何かが拒否していた。

 外から先に行った二人の声が聞こえてくる。


「フェイト、まだか?」

「早く」


 ドア越しのはずなのに、声は直ぐ側から感じられた。


「俺は……」


 それにおかしいんだ。ずっと母さんの顔がはっきりとしない。

 靄かかっていて、見えない。なぜなのだろうか、俺は母さんの顔がわからない。いや、知らないのだ。


 この状況に対して違和感が大きくなっていく。なんなんだ、これは……せっかくいいところだったはずなのに。


 うずくまり、頭を抱えている俺に無機質な声が聞こえてきた。


 よく知っている声だ。何度も、何度もこの声を聞いてきた。嫌というほどに……。

 だけど、この声を嫌いにはなれなかった。


 俺に何を言っているのかまではわからない。どうせ……いつものように言っているのだろう。


 暴食スキルが発動しますって…………んっ!?


 それをきっかけに、記憶が鮮明に流れ込んでくる。


 そうだ、そうだった。


 ここはどこだ。故郷の村はもうどこにもない。ガーゴイルとの戦いで焼け野原になった。だから、存在しているはずがない。


 俺が違和感に気がつくと、音を立てて世界が崩れ始めた。

 幼い頃に住んでいた家が砂のように消えていく。その壁の向こう側は、真っ赤な世界だった。


『フェイト、しっかりしろっ! このままでは、この世界に取り込まれてしまうぞ!』


 グリードの声に目を覚ます。どうやら、俺は彼の地へ飛び込んで、すぐに意識を失ったようだった。

 辺り一面が、真っ赤な世界。暴食スキルの世界によく似ていた。瓜二つと言ってもいいくらいだ。


『心配させやがって』

「どのくらい経った?」

『わからない。ここは俺様たちがいた世界とは違うからな』

「マインやエリスは無事だろうか?」

『あいつらが簡単にやられるわけがない。それよりも自分の心配をしろ。何があった?』

「幼い頃の夢を見ていた。いや夢というより」


 現実のように思えた。母さんが生きていて、父さんも元気で……俺は暴食スキル保持者ではなかった。

 質素で平凡だけど、悪くはない世界だった。


『この世界がお前に干渉して、現実のような夢を見させていたのかもな』

「これが?」

『世界を構成している者たちによって、引き起こされたのだろうさ。暴食スキルを持つお前は特に敏感だろうからな』


 者たちって……まるで人を扱うような表現じゃないか。俺の体を取り巻く赤い光がまさか?


 それの一つに触れると、誰かの記憶が脳裏を過ぎった。断片的ですべては理解できないが、武人の男の記憶だ。しかも、魔物と戦って食い殺される最後の記憶。その痛みまで覗いた俺に伝わってきた。


「うっ……」

『ハズレを見たな。それは碌な死に方をしなかったようだな』

「この世界に溢れているすべてが、人間の魂だというのか?」

『いや、それだけはない。あれを覗いてみろ』


 先程よりも大きな魂を触れた。

 くっ! これは人間ではない。


 圧倒されるほどの憎悪が流れ込んでくる。人間が憎い、人間が憎い、殺して喰らってやるという魔物の記憶だった。

 本来の縄張りから離れて、ひたすらに人間を襲っては喰らう。はぐれ魔物のものだ。


 群から離れて単独行動という放浪の旅をする理由は今まで不明だったが、理解できたような気がした。やつらは本能レベルで人間が憎くて喰らいたいとの欲求が他の魔物に比べて異常に強いのだ。


 それも武人たちに追い詰められて、最後は聖騎士によって退治されてしまった。命を失う一瞬までも、はぐれ魔物は憎しみに溺れていた。見終わっても、その残滓がまとわりついてくる。気分はとても不快でしかたない。


『どうだった?』

「最悪だ」

『魔物は大概があのような思考だ。何千年という時を経ても、人間への憎しみは消えることはない。憎しみに溺れ、理性すらも失ってしまう。理性なき者とは一生分かり合うことなど不可能だ』

「だから、人間は魔物と戦うのか?」

『そうなるように初めから仕組まれているとしたら、お前はどうする?』

「馬鹿げている。殺し合いをさせて、何の意味がある」

『その成果は、今お前が見ている世界だ』


 グリードの言葉から辺りを見回す。どこまでも続く真っ赤な世界が広がっていた。

 ここはただの空間という規模ではない。もう一つの世界が存在していると言っていいほどだった。


 だが、この膨大な小さな魂たちが寄せ集まって、この世界を構成させてなんになる。


『お前なら……暴食スキルを持つお前ならわかるはずだ』


 グリードはそう言って、俺の答えを静かに待っていた。

 俺は魂に触れたときのことを思い返す。そこには触れた瞬間に暴食スキルが疼くのを感じていた。


「まさか……これらすべての魂には……」

『ステータス、そしてスキルを内包している』


 暴食スキルの世界と似ているはずだ。つまり、ここはあの世界よりも、遥かに規模を大きくしたところというわけか。

 なぜ、このようなことをしているんだ。


『フェイト、お前は農耕をしたことがあるか?』

「当たり前だろ」


 幼い頃は村で薬草と僅かな作物を育てていた。硬い土を耕し、種を蒔き、水や堆肥を与える。時には育ち始めた作物が天災や病気によって枯れてしまったりする。


 とても根気のいる作業の繰り返し、どれだけ手をかけてもどうしようもないことすらある。


『もし、スキルという種を撒き、ステータスという作物を収穫しているとしたら』

「……グリード」

『ここが、この世界が収穫した魂を集めて保管する場所だったとしたら』


 武人と魔物がスキルで戦い、レベルを上げて、ステータスを加算させる。その行為が作物を育てると一緒だと!?


 生き物ならいつかは死ぬ。魔物との戦いとか、寿命や病気、不慮の事故。例を挙げればきりがない。死んだ後、スキルは鍛えられたステータスと共に魂という器に入れられて、ここへ集まる。そして保管され続けて世界は肥大化していく。


『彼の地へ扉が開こうとしたことで、僅かな魂が逆流していまい、蘇りなどいう現象を引き起こした』

「つまり、それって」

『開きった今、本来の流れに戻ろうとしている。それも扉が開いているだけに驚くべき勢いを持ってな』


 グリードの言うとおりだった。


 今まで流れのなかった世界に変化が訪れ出す。魂たちが吸い寄せられるようにゆっくりと動き始めていた。


『行くか。この流れの先にライブラ、そしてロキシーもいるはずだ』

「ああ、進もう」


 俺は黒剣を強く握りしめて、魂たちが集まる中心地を目指す。ふと、脳裏を過ぎった無機質な声。


 なぜ、この世界に囚われかけようとした俺を呼び覚まそうとしてくれたんだろうか。いつもなら、暴食スキルの発動を知らせるだけしか喋らないはずなのにさ。


 無機質な声については、暴食スキルの深淵を覗いた今でも謎のままだった。この声は一体どこから来ているんだろうか。

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