第202話 グリードの帰還
グリードを失っても、魔人ケイロスは止まらなかった。
振り上げた手。その指の爪が鋭く伸びていき、俺を切り裂こうと迫ってくる。
『フェイト! 上だっ』
攻撃を躱しながら、エンヴィーの声で頭上を見る。
そこには黒盾だったはずのグリードが、黒鎌に形を変えていた。しかも、第二位階の奥義を発動しつつあり、禍々しい姿へ移行している最中だった。手放している状態でも、あのようなことができてしまうのか……。
俺の知らない使い方だ。
それに、あの奥義はかすっただけで、即死する。父さんは易々と受け止めてみせたけど、俺にはまだ難しい。
『早く、とどめを刺すんだ』
「……ケイロス」
この期に及んで、俺の迷いが出てしまった。この場所で……この精神世界で、彼を倒してしまっていいのだろうか。
ケイロスにとって、取り返しがつかないことになってしまうかもしれない。
それでも、デッドリーインフェルノは待ってはくれなかった。ひとりでに高速回転を始めながら、俺に向かってきていた。
『フェイト!』
急かしたようにエンヴィーは俺の名を呼ぶ。
空を切る音が間近に迫っている。俺は魔人ケイロスと向き合っていた。
「……ケイロスさん」
次の瞬間には黒銃剣が彼の心臓を貫いていた。わずかに遅れて、俺のすぐ後ろを紙一重で黒鎌が通り過ぎ、地面に深く食い込んだ。
魔人ケイロスの姿が、瓦解していく。俺を威嚇するような角も、鋭い眼光も、肉を引き裂かんばかりの爪も……上空へ吸い込まれるように崩れていった。
途端に、脳裏に彼の記憶がフラッシュバックする。いや記憶ではない。自分が体感していたような感覚だ。
まるで、俺がケイロスだった。だがそれはとても断片的で、不明瞭な部分が多い。以前にマインを過去から解放するために、体験したものよりも、はっきりしない――ふわふわとしており、いろいろな部分が、もやで隠れていた。
それでも、実際にその場にいて感じ得たと思えてしまう。俺がケイロスになったとでもいうのか……。
「やっと……つながったな」
「ケイロス! これは……」
魔人の姿から元の姿に彼は戻っていった。しかし、それは止まらずに、次は彼自身が崩れようとしていた。
砂のように形を失う彼に、俺は何もしてあげることはできない。
「悲しむことはない。俺は元から死んでいる。それに……」
ケイロスは力ない手で、俺の胸に指先を押し付けた。
「俺はいつでもここにいると言ったろ。それはこれからも変わることはない」
前にも言われたことだ。暴食スキルを通して、俺たちはつながっているということだと思っていた。
だが、ケイロスは静かに首を横に振る。
「お前は鈍感なやつだな。いや、だからこそか。そうでなければ、ここまで辿り着けなかった。グリードの手に負えないわけだ」
ケイロスは黒剣の姿に戻ったグリードを見ながら、力なく笑った。
「俺はまたお前の中へ戻る。その時に理解できるだろう」
「……ケイロスさん」
「さんはいらないって言ったろ。お前ってやつはこんな時まで……まったく……今後こそ、グリードを手放すなよ」
「はい」
「全部、お前に託すことになってすまない。でも、そうならなければ、お前は生まれて来られなかったわけだから……本当に……わからないものだな」
彼の言うことの全ては、今の俺には理解できない。しかし、それは直にわかると、ケイロスは言った。
ここまで――暴食スキルの世界にまで来て、嘘を言う理由は無いだろう。
「じゃあな、フェイト」
「……また、会いましょう」
彼は少しだけ驚いた顔して、消えていった。
「ケイロスさん……」
砂となった彼は光の粒子となって、俺の中へ吸い込まれていく。融合……というより、感覚では欠けていたものが、あるべき場所へ戻ってきたような……。
脳裏に電撃が走る。思わず、呼吸すら忘れてしまうほど、衝撃が俺の頭の中を駆け巡った。
「……そういうことだったんだ」
なんてことだろうか。そうか……そうか……。
あの偽フェイトが、俺をあれほどに憎んでいたことにも納得ができてしまう。そして、ケイロスが俺の中にいると言っていたこともわかってしまった。
そして、ラーファルにはもう俺と戦う理由がなくなってしまったということすらも……。
全部……全部。
この世界にだって、俺は自我を保っていられることだってそうだ。
……全部。
「俺は……俺は」
『そういうことだ。フェイト』
懐かしい声が俺を呼んだ。
少し離れた位置で地面に突き刺さっている黒剣グリードだ。
彼は人の姿へ形を変えて、俺に近づいてくる。
「待たせやがって」
「ごめん」
「まあ、いいさ。またあいつともゆっくり話ができたわけだし」
のんきに欠伸をしてみせるグリードの横腹に肘鉄を食らわしてやる。
「お前な……なんで、あの時にあんな無茶をしてんだよっ!」
「ああするしか、方法がなかったからだ。でもこうして戻って来られたわけだ」
「このっ!」
もう一度肘鉄を当ててやると、当たり所が悪かったようで、グリードは地面をのたうち回っていた。
「なんてことをする! これが大事な相棒にすることかっ!」
「よく言う!」
どう考えてもグリードと感動的な再会は浮かんでこない。
まあ、それが俺たちらしくていいとも思える。
『仲良しはいいけど、そろそろ僕は元の世界に帰りたいんだけど?』
エンヴィーが呆れた声で俺たちに言う。
彼はエリスのことが心配なのだろう。あっちの世界では暴走した俺が大暴れしていた。それによってエリスが窮地に陥っていた。
しかし、もう暴走は止めているはずだ。なぜなら目を瞑れば、外の世界を見ることができるからだ。そこから覗ける情報から、俺は動きを止めて佇んでいるようだった。
静まったといえど、無防備であることは変わらない。急いで戻ったほうがいいだろう。
そう考える俺にグリードは声をかける。
「戻れるか? 手伝ってやろうか?」
「いや自分で帰れるよ。道はもうわかるから」
「そうか……なら、俺様も」
グリードは手を差し伸べてきた。ああ、懐かしいな。
こうやって、戻ったこともあった。
俺たちが生きているって感じていられる世界に。
「一緒に帰ろう」
俺はグリードの手を握り返した。
現実の世界で俺は、父さんに聞きたいことがたくさんあるんだ。父さんと呼んでもいいのか……という迷いもあるけど、聞かずにはいられない。
本当の自分。心に余裕がなかった以前なら、受け止めきれなかったかもしれない。それでも、知ってしまった今、どこか落ち着いていられる。
そういう力をくれた仲間の繋がりや優しさに感謝したいと思う。
現実の世界へ導かれるように光が俺たちに降り注ぐ。
その光と体が馴染み、同化していく。そして次第に形を失い、真っ赤に世界から天へと向かって浮かび始めた。
その足元では静まっていた亡者たちが俺たちの後を追おうと群がってくる。遠ざかる呻き声を聞きながら、しばらく眺めていた。
あれもまた俺の一部なのだ。決して忘れてはいけない。これから、暴食スキルで命を喰らうごとに思い返すだろう。
ここは俺という魂の故郷なのだ。
帰るべき方向を見据える。血のように真っ赤な過去の世界ではなく、青く明るい未来ある世界へ。
俺はそんな世界に希望を抱いて……。母さんを代償として生まれてきた存在なのだから……。
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