第197話 暴食スキル
うめき声が奥底から響き渡る。それは耳に纏わり付き、背筋に悪寒が走るほど聞くに堪えない。
『ビビっているのかい?』
「まさか、お前の方こそ」
『僕は楽しんでいるよ。ここが暴食の世界……悍ましい。エリスなら泣いてしまいそうだね』
暗さの中に僅かに血のような色が混ざっている。それは下へ落ちていくほどに鮮やかになっていく。
死の予感。本能がこれ以上、下へ行くなと警鐘を鳴らす。
翼があれば空を飛び、ここから抜け出せそうだが……あいにく俺には出来損ないの翼しかない。
それにしても、エンヴィーは先程エリスがここを見れば泣くと言った。修羅場をくぐり抜けてきたと思われる彼女のそのような姿は想像できないが……。
『嘘だと思うのかい?』
エンヴィーはいつものはぐらかすような物言いとは違った口調で俺に投げかけた。それはずっしりとした重みのあるものだった。
『まだ下に着くまで、時間はありそうだね。それまで昔話でもしようか』
「お前の自慢話以外ならな」
『その心配は杞憂さ』
エリスの過去か……。結局、俺はライブラと彼女に何かがあったのは知っているが、詳しいことは知らない。
王都に残った白騎士たちも、教えてくれなかったし。エリス本人も、あまり言いたそうな素振りではなかったため、ライブラの話をされた際にも深くは追求できずにいた。
『エリスは臆病なのさ。戦うことから逃げて、僕からも逃げて、一人で新天地へ逃げた……でも、そこでやっと気が付いたのさ。そこには自分の居場所すらないってことにさ』
そうかもしれない。俺も暴食スキルの真の力に目覚めるまで、スキル至上主義の世界から、ずっと逃げ続けるしかできなかった。
そこに自分の居場所などなかったように思える。もし、目覚めることがなかったとしても、ロキシーに助けられていたかもしれないが、それは与えられたもので、やはり自分の居場所とは違うだろう。
どんな形であっても、宛もなく逃げ続ければ、置かれている場所は悪化の一途だ。その先にあるものは、あまり良いものではないだろう。
『君に興味を持ってから、少しずつ 変わり始めたようだったのに……残念だよ。逃げ続けてきたツケは回ってきたのさ』
「ライブラか……」
『エリスにとっての創造主であり、絶対的な主であり、育ての親』
過去に起こったライブラとエリスの戦い……いや、エンヴィーが言うには実際に戦ったのは、ケイロス。暴食スキルの前保持者であり、黒剣グリードの前の使い手だ。
一度だけ彼に会ったことがある。過去に囚われてしまったマインを引き戻すために、彼女の精神世界に潜ったときだ。何故か……そこにケイロスが介入してきて、道標となって助力してくれたのだ。
今も彼の魂は俺の中……おそらく暴食スキルの中にいて、見守ってくれているという。ケイロスが別れ際に言ったことだ。
『ケイロスは、仲間を集めて聖獣人たちから独立しようと戦っていた。誰かさんと違って、単独行動はあまりしない人だったね』
「うるせ。一人が好きで悪かったな」
『いや、普通はそうさ。大罪スキル保持者の力は強力だからね。でも聖獣人たちと戦うとなれば、そうはいかない。君だって今は仲間を得ているだろ。まあ、ケイロスは陽気で面倒見が良かったから、自然に人が集まったのもあるけどさ』
聖獣人は、人数が多くない。次々と仲間が増えていくケイロスの勢力に手を焼き始めていたようだった。
殺しても、殺してもその勢いを削ぐことができずにいた。積年の恨みという圧政への反発が、聖獣人たちがいる限り、収まらなかったからだ。
彼らも、手を倦ねいていたわけではない。そして自らの手を汚さずに解決する良い方法を思いついた。
自分たちの因子を人間に植え付けて、強力な力を持ち、操り人形として扱える兵士たちを用意したのだ。
それが聖騎士の始まりだった。大量に生産されたそれは、強力なスキルを行使してケイロスが率いる軍勢と戦うことになる。
戦況が盛り返してきたことに気を良くした聖獣人たちは更なる研究を進めた。その中で最もこの研究に入れ込んだのがライブラだった。
より強く、容姿も良い選りすぐりの聖騎士たちを交配させて、精度を高めていった。聖獣人の因子率が上がることで、攻撃的な聖騎士が増えていたが、首輪を付けて操り人形にするので大した問題にならなかったようだ。
『繰り返される生産の中で、聖騎士ではない者が生まれてきた』
「それって……」
『エリスさ』
常闇に落下を続ける俺に、エンヴィーは懐かしそうに言う。
『見たこともないスキルを保持した赤子。ライブラは強く興味を持った。そして、すぐにケイロスが持つスキルと同系だとわかると、自分専用の実験体として利用していったのさ』
エリスが持つ魔眼は、魔物から抽出したものを移殖したと言っていたし。その他に身体を強化するために、いろいろと改造されていた。
『エリスは人間というよりも、魔物に近い存在さ。だから、居場所がどこにもないのかもしれないね。救ってくれたケイロスも、居なくなってしまったわけだし』
「お前はエリスを解放する方法は知っているのか?」
『知っていたら、君に教えているさ。それに、僕は覚えているのはケイロスがエリスの首元に触れただけで、あの従属の首輪が外れたことだけさ』
「触れただけ?」
『何をしたのかはわからない。ケイロスはそのままエリスを置いて、ライブラとの最後の戦いに赴いてしまったからね。その後どうなったかも僕たちは知らないのさ。解放されたエリスに残されたのは、崩壊寸前の世界と自我に目覚めた聖騎士たちだった』
エリスとエンヴィーは協力して、世界の復興をしようとしたそうだ。
しかし、気性が激しく気位の高い聖騎士たちを束ねることは容易なことではなかった。長い時間を要したようだ。
その中で信頼できる聖騎士が現れ、眷属として縁を結んだのが、王都にいる白騎士たちだった。あれほど聖騎士がいるにも関わらず、縁を結べたのが、たったの二人とは……それほどまでに聖騎士の扱いは難しかったようだ。
俺も王都で聖騎士として、お城に出入りしていたことがあるので、大変さはよくわかる。アーロンから家督を継いだ報告の際に、王の謁見の間で、難癖をつけられて抜剣されたくらいだしな。
『新たな王国を取りまとめるには、わかりやすい理を作ることが必要だった。聖騎士たちを優遇することになったとしても、来たるべき戦いに備えようとした』
「ライブラとの戦いか?」
『そうさ。スキル至上主義という厳しい環境を作り、そこから生まれる怨嗟を利用して、新たな冠人間――大罪スキル保持者を作りだそうとした……』
しかし、エリスはエンヴィーを残して出て行ってしまった。彼女には、ライブラと戦うためと言っても、そのようなことはできなかったからだ。
『エリスはライブラにされたことを……同じことをしてまで戦えなかったのさ。以前に僕がロキシーを殺そうとしていた時、エリスは君に会っていたようだね』
「ああ、その時は……」
ロキシーが殺されるのを邪魔をするなと言っていた。それに対して俺は怒ったのを覚えている。
『彼女らしいね。ああ見えてエリスは不器用だからね』
「どういうことだ?」
『自分には止めることはできないから。君に頼んだのさ』
「あぁぁ……」
つまり、俺を怒らすことによってエリスはロキシーを救うようにけしかけたのだ。
「わかりづらいって」
『そういうものさ。口で言っているのと、本音が違っていることなんてよくあるさ。その点、君は実にわかりやすい』
「褒めているのか?」
『どっちかな』
「この……やっぱりお前とは合いそうにない」
亡者共の声が一層大きくなりつつある。じめっとした肌に纏わりつく嫌な空気もより増している感じだ。
俺は下を見ながら、黒銃剣を握り直す。
『時間だね。お喋りはここまで』
「ああ、やっと終点みたいだ」
俺たちは暴食スキルの根源に辿り着こうとしていた。
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