第195話 精神世界
真っ白な世界が広がっている。俺はいつの間にか、そこへ佇んでいた。
初めて訪れたときには戸惑っていた。だけど今では見慣れた景色。
ルナとグリードがいた頃には、修行と称してここでバカ騒ぎしていた頃もあった。そんな彼らは居なくなり、静かになってしまった世界。
楽しかった日々は過ぎ去り、残ってしまったのは、俺たちだけ。
白い地面から水が湧き出すように、真っ黒いものがゆっくりと現れた。純白の布に黒いシミが滲むように、ルナが残してくれた精神世界を侵していく。
しっかりと広がりきった黒いシミは、浮き上がる。
そして集まり、人の形を成す。真っ黒なそれは、首を振るたびに色付いていった。
固唾を呑んでいる俺の前に姿を現したのは、もう一つの自分だった。真っ赤で忌避したくなるような両目で俺を睨んでいた。
「会いたくはなかった……」
俺の言葉にそいつは醜悪な笑みを浮かべてみせる。
待ちに待ったとでも言いたそうだった。
もうひとりの俺――偽フェイトは手をまっすぐに前に上げる。その指先から落ちた黒い液体が、またしても真っ白な世界に黒いシミを作り出す。
世界にぽっかりと空いた黒い穴。そこからは暴食スキルに喰われた者たちの叫び声が聞こえていた。
何をする気なのか!?
身構える俺の前に現れたのは、禍々しい黒大剣だった。偽フェイトが以前に持っていたものよりも、サイズアップしたように見える。。
暴食スキルに喰われた者たちがいる場所……暴食の胃袋と繋がっている穴からゆっくりと出てくる黒大剣がすべての姿を表す。
やはり大きい。黒剣の三倍以上はある。
偽フェイトはその黒大剣を片手で軽々しく持ち上げる。そして、剣先を俺へ向けた。
「くっ……」
少しずつ後ずさり俺に、偽フェイトは蔑むような目で歩いてくる。
ここでは俺の武器――黒剣がない。無手ではあの強力そうな黒大剣に立ち向かえない。
現実の俺が目を覚ますまで、この精神世界であいつから逃げ切れるのか……。偽フェイトは逃がす気などないようだが。
「来るっ」
あれほどの黒大剣なのに、動きはコンパクトで速い。
紙一重で躱して、後ろへ飛び退く。着地と同時に左へ回避。
それを追うように、真っ黒な刃が俺の首筋があった場所を通り過ぎていった。
少しでも遅れていたら、首と胴体がおさらばだった。
前に対峙したときよりも、動けるようになっている。現実の鍛錬がこの世界でも生かされている。
しかし、防戦一方だということは変わりない。
スピードを増して偽フェイトが右から袈裟斬りで踏み込んでくる。
体を反って躱そうとしたとき、頭の中に電流が走るような感覚が駆け抜けていく。その攻撃はフェイントだ。本命は横一閃だと何かが教えてくれるのだ。
なんなんだ……この感覚は……。
時折、偽フェイトの攻撃方法がわかってしまう。同時に真っ黒で悍ましい思考も無理やり頭の中に入り込んでくる。
それは、人を……魔物を……生き物を殺すことに喜びを感じているような恐ろしいものだった。俺との戦いですら、偽フェイトは歓喜していた。殺したくて、殺したくて仕方ないようだ。
この偽フェイトは暴食スキルの化身なのか? 殺して魂を喰らいたいなのか?
「お前は俺を喰らいたいのか?」
「……」
「答えろ!」
偽フェイトは何も言わない。これが答えだとばかり、黒大剣を俺に振り落とす。
それを躱して、全力の回転蹴りを首筋にくらわせる。偽フェイトは後ろへ大きく吹っ飛ぶ。すぐに何事もなかったかのように、俺を睨みつけた。
有効打にはなっていないらしい。
「ああぁぁっ……ああぁぁあああぁ」
俺の反撃が刺激になってしまったのか。偽フェイトは雄叫びを上げ出した。いや、喚き散らすと言ったほうが正しい。
口から締まりなく涎を垂らして、頭を掻きむしる。知性のある人間とは思えない行動だった。
その後、しばらくして顔を上に向けて放心状態になってしまう。このまま静かにしてくれるなら、どれほどありがたいか……願うばかりだ。
「そうなるよな……」
突如として偽フェイトの背中から、四枚の黒い翼が生えてきた。それをゆっくりと羽ばたかせながら、顔を俺に向けた。
その表情は先程までと打って変わって違う。
獣のような目から、意思が宿ったものとなっている。
そいつの口から、放たれた第一声は意外な言葉だった。
「偽物が」
俺にそっくりなお前に言われたくもない。何が……偽物だ。
「体を返せ」
これは俺の体だ。お前の体ではない。
暴食スキルが俺に似た形を成しているだけなのに、無茶苦茶な物言いだ。
「偽物はお前だ!」
そう言ってやると、偽フェイトは四枚の翼を大きく広げた。真っ白な世界が揺らぐほどの威圧力だった。
僅かに、翼が動いたかと思うと、偽フェイトは俺の目前まで接近していた。
「速いっ」
避けきれない斬撃が俺の右腹を切り裂く。肉体ではない精神体へのダイレクト攻撃は、身を焦がされる以上の激痛だった。
ルナが精神体へのダメージを恐ろしさについて、よく語ってくれていたし、以前にも偽フェイトから攻撃を受けていたので、耐えきれると思い込んでいた。
しかし、これは……予想を遥かに上回る。たった一撃なのに、以前とは重みが別物だ。
「ぐうああああぁぁぁ」
立っていられないほどの痛み。ふらつく俺の頭を偽フェイトが空いていた手で鷲掴みする。
「お前がそれを言うのか」
そして、締め上げてきた。
逃れようと暴れるが、ものすごい力で微動だにしない。
「放せ」
「本物は俺だ……偽物はお前だ。よくも……よくも……よくも……本物は俺だ……偽物はお前だ」
偽フェイトは同じ言葉を呪詛のように繰り返すのみだ。こちらの声など届いていない。
聞こえたところで、聞く気などないだろうけどさ。
「鎮め……」
「クッ」
傷口から黒いシミが現れて、俺の体をじわりじわりと侵食し始める。先程の激痛とは打って変わって、感覚が失われていく。
そしてこの脱力感は、グリードにステータスを捧げるときに似ていた。俺の力を……存在を奪おうとしているのか!?
くそっ……。こんなときにグリードが居てくれたら……偽フェイトと戦えるのに……。
「グリード……」
「居なくなれ」
「……グリード」
「終わりだ。お前は元々……」
「グリード!」
右手の中にずっしりとした重みが伝わってきた。
俺はそれを力一杯に振り上げた。偽フェイトは躱すために、俺を名残惜しそうに開放する。
俺が手にした武器と偽フェイトの黒大剣がぶつかり合う。そして、刃先から火花を散らしながら、互いに顔を向けて睨み合う。
「邪魔をするな」
『僕の本意ではない。しかし、これはエリスの願いだ。使い手に応えるのが武器の役目だ。たとえ、気に入らない奴でも』
俺が手にしている武器は、意外なものだった。
ガリアの地で殺し合った仲。エリスとは色々あったようで最後は和解したと聞く。だが、俺とはあの一件以来、話す機会もなく保留という形で今に至っていた。
「まさか……お前が助けに来てくれるなんて」
『非常に不本意ながら、助けてやる。僕を使いこなせるのならな』
グリードとは違った憎まれ口を叩く黒銃剣。
エンヴィーが敵として立ちはだかったときの苦々しい思い出が蘇ってくる。それと共に、そんなやつが俺に協力してくれるとは……これ以上ないほど頼もしい。
「使いこなしてやるよ」
『言ってくれるね。そうでなくては……僕も困る。君にはここから現実に戻って、やってもらうことがあるからさ』
やってもらうことは、聴くまでもなくエリスのことだろう。
ライブラから彼女を解放する。エンヴィーと俺には共通の目的がある。いる場所は違えど、同じ方角を向いているのなら、俺たちは共に戦えるはずだ。
俺は黒銃剣を握る手に力を込めて、黒大剣を押し払う。
「いくぞ、エンヴィー」
『言われなくとも。遅れを取るなよ、フェイト』
銃口を偽フェイトに向けて、引き金を引いた。
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