第174話 ガリアの研究施設

 俺たちは研究施設から少し離れた東側に向かう。


「こっちだ」

「ケイロス、この先に何があるんだ」

「行けばすぐにわかる。臭うから覚悟しておけ」


 悪臭に気をつけろ?

 何を言い出すんだろう。そう思っていると、彼の言う通り理由が目の前に現れた。


「下水道だ。研究施設の汚水をここから排出している」

「本当にここを行くのか?」

「そうだが何か?」


 問題でもあるのかと言わんばかりの顔だ。

 後ろのマインが顔を引きつらせている。これは珍しい顔だぞ。


「提供された情報によると、下水道はセキュリティが手薄らしい。それに今はそのセキュリティも協力者によって、解除されている」

「その人を信用していいんですか?」

「言うと思ったぜ。なら、そいつを信用した俺を信用しろ」


 面白いことを言う人だ。


 しかし、謎の説得力がある。彼が言うのなら、信じてみたくなるというか……それに似た何かだ。

 バビロンにいる人々を率いて、帝都ガリアと戦っているだけある。


 汚水に足を入れる。ううううぅぅっ!?

 背筋がゾワッとしてしまう。


「早く進むぞ。遅れるな」


 先行するケイロスに促されて進もうとする。しかし、後ろにいる人が全く動いていないではないか!


「マイン、早くしないと置いて行かれる」

「……これは無理。乙女の沽券に関わる」


 彼女の口から乙女という言葉が出てくるとは、予想していなかったため、思わず吹き出してしまった。


 ゴッツン!


 結果として俺は黒斧の平で殴打されてしまった。


「痛っ! 何をするんだよ」

「因果応報」


 たんこぶができているじゃないか。

 この乱暴者がっ! この傍若無人は平常運転だ。


「仕方ないな。ほら、上に乗れよ。そうすれば汚水に浸からないから」

「それは……恥ずかしい」


 おいおい、ご冗談を!

 羞恥心の欠片もないマインさんが、肩車で恥ずかしがるなんて、ありえますかっ!?

 以前に下着一枚で俺の前に現れた御人だぞ。その際に、恥ずかしくないって胸を張って、俺に見せつけていた。


 それが顔を赤らめて、戸惑っている。

 もしかして、このマインは偽物か!? 絶対に偽物だ!


 なんだかさ。無表情なところは似ているが、とても感情豊かなんだよな。

 本当にお前は誰だよっ!

 今だにモジモジしている彼女に言う。


「なら、ここで留守番だな。ケイロスさんにはそう言っておく」

「待って、わかった。頑張る」


 手をぐっと握って、彼女は宣言をした。

 そして、ゆっくりと俺の肩に乗ってきた。


「重い!? 重すぎる、沈む! もうダメだ……沈んでしまう……」

「乙女に失礼! 今度こそ沽券に関わる」

「暴れるな。勘違いするな。お前が重いんじゃない。スロースが重いんだ。さっき戦ったときの重さは解除しているのか?」

「……忘れていた」


 頭の上でマインは失態をしてしまったことに照れているようだった。

 落ち着いたところで、ケイロスに合流すると額にデコピンをされてしまった。


「お前らな……これが潜入だってこと忘れてないか」

「「はいっ!」」

「返事は良いが、絶対にわかっていないだろ」


 次に騒いだら、頭から汚水の中に突っ込んでやると言われてしまった。

 それだけは、ごめんだ。

 俺たちは、心を入れ替えて静かに彼の後に続く。


「やればできるじゃないか。まあ、できてもらわないと困るんだがな」


 半ば諦めの色が混ざりながら、ケイロスは光が漏れている天井を指差した。


「あそこだ。この備え付けの梯子で登るぞ。先に行くぞ」

「はい。マインも先に行って」

「わかった」


 肩車したままだと体勢が悪くて登れない。


 マインは俺の肩から梯子に飛び乗る。そして黒斧を落とさないように登り出した。

 では、最後に残った俺は梯子に手をかけて、上を向いたときマインの悲鳴が聞こえてきた。


「キャっ……上を向くの禁止」

「でも、それって登りにくいよ」

「下を向きながら登る。そうしないと、この黒斧で下に落とす」


 見上げて下着を見られてるのが恥ずかしいようだった。


 またまたご冗談を。あの威風堂々したマインさんですよね。

 下着の一枚、二枚を見られたくらいでそのような反応をするわけがない。


「まだ見ている。落とす!」

「うああぁぁ、やめて! すみませんでした」

「だからっ! お前ら、静かにしろっ!」


 代わりにケイロスの雷が落ちてきた。


 やっとのことで上がると、白衣を着た一人の女性が出迎えてくれた。紫がかった白髪に褐色の肌をしている。眼鏡の奥から、知性的な瞳がキラリと光った。


「こんにちわ、みなさん。そしてケイロス以外の方、はじめまして、ミクリヤです。ケイロスからすでに話は聞いていると思うけど、彼に協力しています。さあ、こちらへ。ケイロスもよ。そのままだと臭うから」

「へいへい」

「へいは一回!」

「この女は変なところで厳しいんだよ」


 首根っこを掴まれたケイロスは奥の部屋に連れ込まれてしまった。

 俺たちもすぐに彼を追う。


「待ってください」

「あの女……ケイロスを手玉に取っている。なかなかやる」


 自分を倒したケイロスの姿にマインは興味を示していた。

 俺からは、ただ尻に敷かれているだけのように見える。


 中へ入ると、プライベートスペースみたいだ。

 案の定、ミクリヤから予想通りのことを説明される。


「ここは私の研究室。シャワーもあるから、まずは浴びてくると良いわ。その間に来ている服は洗っておくから。すぐに乾くから安心しなさい」


 それならお先とケイロスがシャワー室へ消えていった。

 残された俺たちは研究室を見回していた。


「フェイトも臭うから、早くきれいにしたほうが良い」

「誰かさんを肩車して、余計に汚れているんだよ」


 汚くなってしまった服をつまみながら言う。すると、彼女は少しだけ迷った素振りを見せた。


「その……ありがとう」


 おおおおっ。マジかっ!?


 あのマインさんがお礼を述べられたぞ。

 俺がどれだけ尽くしても、当たり前だよねって感じだったのに……。


 このマインは、いい子だ!


 俺が知っている。金勘定が大好き。俺の食べ物を横取りする。そんなマインはここにはいないぞ。


 思わず頭を撫でたくなってしまうほどだ。


「よしよし」


 というか、感極まって実際に頭を撫でてしまった。


「何をする!」


 うあああぁぁ、危ないって!


 噛みつかれそうになって、さっと手を引いて躱す。もう少し遅れていれば、持っていかれるところだったぜ。


 猫かと思ったら虎だった。


 たまにじゃれついてくるような素振りを見せて、油断すれば本能に目覚めて噛み殺そうとしてくる。

 やっぱりこうではなくてはマインじゃないよ。


「何が可笑しい。なぜお前は私を見てすぐに笑う!」


 ポカポカと胸を叩かれる。いや、訂正する。

 そんな可愛いものではない。

 心臓に響き渡るほどのドカドカだった。


 あまりの衝撃に咳き込んでいると、ミクリヤに笑われてしまった。


「仲がいいのね。あなた達は」

「ち、違う!」


 マインは走って隣の部屋に行ってしまった。

 勝手に他人の部屋に入っていいのだろうか。ミクリヤの顔を見ると、微笑んで頷いてくれた。


「いいのよ。別に見られて困るものは置いてないわ。壊されても大丈夫っ!」

「なら、安心しました。」

「改めてまして、私はミクリヤ。ここの研究施設で副研究所長をしているの。ケイロスとは……まあ、いろいろとあってね……腐れ縁ってやつね」

「俺はフェイトです。さっきの子がマインです」

「彼一人で来るはずだったのに二人増えていたから、ちょっとびっくりしたわ。よろしくね」


 差し出された手。

 俺はミクリヤの手を握った。


「えっ!?」


 その瞬間、頭の中に真っ赤な映像が流れ込んできた。

 決して読心スキルが発動しているわけではない。ここは現実世界ではないのだ。

 無理やり流し込まれたそれを拒むことはできなかった。


 燃え盛る研究施設の中で、ミクリヤはケイロスに殺されようとしていた。

 首を絞められて、彼女はゆっくりと意識が遠のいていく。


 ケイロスは忌避されるほどの真っ赤な瞳で、泣いていた。


 そんな彼にミクリヤは最後の力を振り絞って、手を重ねて何かを言おうとしていた。しかし、首を絞められて声の出せない彼女には、唇を動かすことしかできない。


「フェイト、どうしたの?」

「ん!?」


 名前を呼ばれて、我に返ると、俺は研究室に立っていた。

 何なんだ……さっきのことは?

 彼女には俺が黙ってずっと俯いているように見えたようだった。


「ここにくるまで大変だったでしょう? ケイロスは人使いが荒いからね。シャワーを浴びたら、少し休むといいわ。私はまだやることがあるから、それを片付けてからしましょうか」


 ミクリヤはそのまま近くにある席に座って、パネルとにらめっこを始めた。

 なにかの研究資料に目を通しては、修正を加える作業みたいだった。


 内容を後ろから、ちらっとだけ覗いたら「集合生命体」という文字が飛び込んできた。えっ!? 集合生命体って、現実世界で今戦ってるシンのことだよな。


「コラッ、私の研究データを勝手に見ない。マナーが悪いわよ」

「すみません」


 続きをたくさんは見られなかった。それでも、転用方法について多岐にわたるという文章が拾えた。


 ミクリヤは集合生命体を使って、何かを作り出そうとしているのだろうか?

 さきほどの様子なら、そこに書かれている研究資料について教えてくれそうもないな。


 案の定、もう一度パネルに表示されている文章を読もうとしたら、睨まれてしまった。


「ケイロスがシャワーから出てきたみたいだから、さっさと行きなさい」

「一つだけ聞いていいですか?」

「う~ん、いいわよ。手短にね」

「集合生命体を作ったのはあなたですか?」

「そうよ。ほら、早く行く」


 背中まで押されてしまっては、観念してシャワーを浴びに行くしかなさそうだ。

 さっぱりとしたケイロスがすれ違いざまに俺の方を叩いた。


「今は先が見えなくて淀んでいるだろうが、そのうちさっぱりする」

「どういう意味ですか?」

「まずはシャワーを浴びて来いってことさ」


 ケイロスにまで背中を押されて、俺はシャワー室に向かうことになった。

 彼の言う通り、今はこの汚れきった姿をきれいにするほうが先決だろう。


 研究施設に潜入と聞いて、どうなることやらと思っていた。殊の外、すんなりとできてしまって、拍子抜けである。

 これなら、道中にであった魔物の群れとの戦いの方が大変だった。


 服を脱いで、シャワーを浴びながら、彼らが言うように一息つくことにした。

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