第165話 スノウの暴走

 俺はロキシーに目線を送る。

 この戦いに共に挑むかだ。最後の心配も杞憂だったようだ。


 真剣な眼差しに恐れは、一切含まれていなかったからだ。

 ならば、俺は邪魔になる赤く透明な魔物たちを素早く《鑑定》する。


「ロキシー、魔物たちを任せる」

「はい」


 エンシェントスコーピオンの時と同じになってしまうが仕方ない。なぜなら、スノウとシンはEの領域だ。

 ロキシーには荷が重い。

 続けて、背中合わせになっているエリスに声をかける。


「シンと戦えるか?」

「当然! ということはフェイトはスノウだね」

「ああ、まずは彼女の正気を取り戻す」

「期待しているよ。ボクはそれまで時間を稼ぐわけだね」


 ウインクしながら言ってくる余裕に、俺は苦笑いする。


「なんなら、倒してもらってもいいんだぜ」

「えぇぇっ! こんなにか弱いのに~」


 甘ったるい声を出しながら黒銃剣を振るって、シンの攻撃を叩き斬ってしまう。触手のように伸びた赤い液体が、次々と宙を舞っていた。


 この様子なら、鍛錬していた効果は本物のようだ。


「無茶をするなよ」

「それって魔眼禁止ってこと?」

「リスクを思えば、使ってほしくはないけどな」

「あははっ、リスクのことは君だけには言われたくないね」

「たしかにな」


 そして俺たちは一斉に動き出した。

 俺はスノウ。エリスはシン。そして、ロキシーはサポート。

 各々の役目に代わりはいない。


「スノウォォ!」


 俺は黒剣を振り上げて、彼女の手刀とぶつかり合う。

 青白い障壁を体のすべてに展開しているようで、黒剣の刃すらも通らない。

 この鉄壁の守りは、エンシェントスコーピオンを彷彿とさせる。


 スノウは俺の呼びかけに一向に反応しない。


『フェイト! 滅びの砂漠と同じようにやるしかないぞ』

「それって……やっぱり」

『そうだ。気を失わせるしかないだろうな。あのときも、暴走状態が解けたからな』

「今回の場合はライブラの影響があるから目覚めてからと同じとはいかないかもしれないぞ」

『どちらにせよ。まず無力化だ』


 エンシェントスコーピオン戦のときは、父さんの助力があってなんとか静められたが……。

 今回は一人でやらないといけない。


『あの障壁が邪魔だ。黒鎌でいくぞ』


 押しのけたスノウが再接近してくるタイミングを見極めながら、黒剣から黒鎌へ変える。

 今だ!


 障壁だけを切り裂こうとするが……。


「なっ!?」


 スノウは急に動きを止めて、俺から距離をとってみせたのだ。

 暴走しておりまともな思考はできないはずなのに、なぜだ?


『本能で危険だと感じたのだろうさ』

「なんて……厄介な」


 思考より脊髄反射で動かれては、こちらの攻撃が後手に回ってしまう。そして、的確に読まれていたら、たまったものではない。


『手加減してどうにかできる相手ではないぞ。それでも手心を加えるつもりか』

「それでもだ。俺はもうスノウを傷つけたくない」


 グリードの呆れた声が聞こえてきた。続けて、豪快な笑い声で俺に言う。


『言うじゃないか。なら、やってみろ。俺様に見せてみろ!』

「ああ、やってやるさ」


 黒鎌を強く握りしめる。


 そのまま、目を閉じた。


 目で追って行動すると、彼女と比べて行動が遅れてしまう。

 ならば、スノウの魔力だけを捉えて未来を予想する。王都でアーロンから教わって、ずっと練習してきたことだ。


 エリスが隠れて鍛錬していたように、俺なりに頑張ってきた。

 実践でぶっつけ本番となってしまったが……練習に付き合ってくれていたロキシーのためにも、ここで真価を発揮してやる。


 それに……。俺が滅びの砂漠で父さんに言われたこと思い出す。それを見たグリードが俺の心を察して言ってくる。


『やはり……父親に言われたことを気にしていたのか。』

「父さんに言ったんだ。スノウのことは俺がちゃんとするって」

『少しは成長したと思っていたが、まだまだ子供だな』


 返す言葉もない。


 俺にとって父さんは、どんなことがあっても……やっぱり父さんなんだ。

 たとえ、王都で賢者の石を奪い、ライネを攫っても……。


 ライブラの仲間だったとしても……。

 スノウとの過去に何かがあって、それゆえに彼女を殺そうとしても……。


 俺は空中へ逃げるスノウを追いかけながら、建物を使って跳躍した。


「スノウ!」


 素早く動く彼女の動きを……魔力の流れから先読みする。

 二度目の攻撃は今後こそ捉えてやる。

 心を高めて、行動は冷静に。これもアーロンから教わったことだ。


 振り下ろした黒鎌の先に、スノウの未来の姿を捉えた。

 目を開ける。そこには、青白く光る障壁を失ったスノウがいた。


「よしっ」

『やるじゃないかっ!』


 といっても、これからだ。

 やっとスノウに届くところにたどり着いたといったところか。

 黒剣に戻して、鞘に戻そうとする俺にグリードは言う。


『俺様なしでいけるのか?』

「ああ、語り合うなら拳が一番だからさ」

『アーロンお得意のやつか』

「そういうこと!」


 障壁が無くなった今なら、スノウの手を掴むことができる。

 彼女の手刀や蹴りを躱しながら、懐へ潜り込もうとするが……。


 一発、重たい蹴りを側頭部にもらってしまう。視界が揺らぎ、意識が遠のくような感覚が、体中を襲う。


『フェイト! やっぱり俺様が必要か?』

「いらねぇよっ」


 グリードの声に意識を呼び戻して、一気に突っ込む。

 よしっ、届いた。


 もがく彼女の両手を抑えにかかる。まずはこのまま地上へ連れていく。そう思った矢先、周囲を翼を持った赤い魔物に取り囲まれたのだ。


「いいところなのに……」


 絶妙なタイミングで、赤い魔物が俺へ……いや、スノウもまとめて攻撃を仕掛けてきた。


 ステータス的に俺たちより劣るはず。だが、魔物が見せた鋭く尖った牙を見て、ある記憶を思い出した。


 ナイトウォーカーと呼ばれる化け物だ。シンの血によって、死ぬことも許されずに、人間に噛み付いてひたすらに仲間を増やしていた。


 その噛み付きは、Eの領域による守りすらも意味をなさない。グリード曰く、これはつまりシンの力によって可能になっているらしい。


 その牙が俺とスノウに襲いかかってるのだ。


「くっ」


 一旦、塞がった両手を離して、黒剣を鞘から引き抜くか。

 考えている間にも、間近に迫る赤い魔物たち。

 迷っている暇はない。

 間に合うのか……。


「フェイ!」


 そんな戦いの迷いは、俺を呼ぶ凛とした声によって一蹴されてしまった。

 聖剣技のアーツ《グランドクロス》が俺と赤い魔物を隔ているように展開されていった。


「ロキシー! これは……」


 俺は驚きが隠せなかった。なぜなら聖なる光によって、赤い魔物たちがいとも簡単に崩れ去っていたからだ。


 少なくともあの魔物の一体一体の強さは、Eの領域に及ばないまでも冠魔物クラスだったはず。それなのに、ロキシーは瞬殺してしまった。


「私にも理由はわかりません。相性がいいのでしょうか?」

「なら、エリスの加勢を頼む」

「はい」


 本人にわからないことらしいが、なぜか……シンとの戦いにとても相性がいい。これなら、あいつとのステータスの格差すら超えていってしまうかもしれない。

 ロキシーの頼もしさを嬉しく思いつつ、俺は未だに腕の中でもがくスノウを対峙する。


「逃さないぞ」

「……ぐぅぅぅ」


 がっちり捕まえたまま、地上へ引きずり下ろす。


「暴れるなって。しっかりしろ、スノウ!」


 言っても伝わらないことは、百も承知で何度も名前を呼びかけた。


 もみ合っている中で、スノウは俺の首筋に噛み付いた。


「痛っ……えっ……」


 その瞬間、初めて彼女に対して《読心》スキルが発動したのだ。

 今まで接触してきたけど、そのようなことは一度もできなかった。俺はマインのように、何らかの力で読心スキルを防いでいるのだろうと考えていた。


 それが今このときに発動したものだから、驚いてしまった。


 一方的に流れ込んでくる記憶の断片たち。

 その中で、一つの記憶だけが鮮明に頭の中で映り込む。


 彼女は今よりも大人な姿をしていた。それよりも体中がボロボロで、とても痛々しかった。


 明らかに大怪我と思えるもので、歩くたび地面に大量の血が流れ落ちている。

 彼女は鬱蒼とした森の中を一人で歩いていた。


 とうとう力尽きて、近くの崖に転がり落ちていった。

 しばらく、記憶が飛び……目を覚ました彼女の前に一人の男が現れていた。


(これって……まさか……)


 そのまさかだった。幼い頃の俺がスノウと会っていた!?

 嘘だ! だって、俺にはその記憶は一切ないのだ。


 さすがこれだけの怪我をした人と会えば、記憶に残っている。


 それなのに……思い返してみても、スノウと会った記憶はまったくなかった。これはもしかして、ライブラが言っていた記憶を与えたものなのか。


 だけど、このような記憶を捏造しても、ライブラになんのメリットもなさそうだ。

 なら、本物のスノウの記憶なのだろうか?


 頭の中でぐるぐると考えている間にも、過去の出来事は進んでいく。


「大丈夫?」


 少年はスノウに話しかけてくるが、何も返ってこなかった。それもそのはずだ。

 言葉も発せないほどの大怪我だ。


 すぐに少年はそのことに気がついて慌てたようにワタワタしていた。この感じ……やはり俺なのか。


 スノウはわずかに残った力で身をよじって逃れようとするが、少年は逃さなかった。


「大怪我しているのに動いたらダメだよ。ちょうど父さんのために薬草をとってきたから、これを使えばいいかも」

「……」


 無言を通すスノウ。むっと睨みつけるが少年はお構いなしだ。

 手当は見た目にも手際が良いとはいえない。


「ごめんね。まだうまくできないんだ。父さんはいつも怪我をしてくるから、もっとうまくなりたいんだけど」


 服の下のスノウの傷を見て、口に手を当てていた。しかし、なにか決心したような顔をして、治療を黙々と始めたのだ。


 持っていた水筒の水で傷口を洗い、薬草を当てる。そして自分の服を破った布で保護をした。


「うん、いい感じかも。お姉さん、ごめんね。これくらいしかできない」


 そこで読心スキルから得られる記憶は途切れてしまった。

 理由は腕の中でスノウがぐったりしてしまったからだ。頬を軽く叩いてみても、まったく反応がない。


『気を失ったようだな。人騒がせなやつだ。どうした、フェイト?』

「……いや、何でもない」


 俺は、今の記憶が本物なのか確証が得られなかった。

 この場で動揺してもしかたない。俺はスノウと過去に会っていたということをこれ以上考えないようにした。


「それよりスノウのせいじゃないだろ。原因は……」

『ライブラだな。あいつは昔からああだ。自分の手は汚さないのさ』

「その昔についてもこの一件が終わったら、教えてくれるんだろな」

『いいぜ。だが、今は戦いに集中しろよ。見ろ、大口を叩いていたエリスが苦戦中だ』


 グリードが言われて、エリスとシンの戦いを確認する。

 たしかにエリスは押されていた。

 なんせ、一人で大勢のシンを相手していたからだ。


「ロキシー、スノウを頼む」

「はい」


 彼女はすでにスノウをいつでも預かれるようにしてくれていたようだ。俺が呼ぶと、群がる赤い魔物をアーツで浄化して、すぐにやってくる。


「うまくいきましたね」

「まあな。なんとなくだけど、スノウは俺を本気で殺すような戦いをしてこなかったし」

「そうですよ。スノウちゃんはそんなことはしませんから」


 謎の説得力によって、たしかにそうだなという気分になってきた。俺の中でロキシーが言うことなら間違いないという思考が出来上がりつつある。


 俺は今だに眠っているスノウの頭を撫でて、黒剣を鞘から引き抜いた。


「ここからは、本気で行く。この場からロキシーは離れてくれ」

「……わかりました」


 少しだけ残念そうだった。


 Eの領域同士のぶつかり合いなら、ロキシーには危険すぎる。

 俺と絆を結んで、彼女も同じ領域にと考えた時期もあったが……。やはり、俺から引き入れることはできなかった。


 結局、俺の中では保留になってしまっている。


 離れていくロキシーの背中を見ながら思っていると、


『この意気地なしが』

「そういうんじゃないんだ。アーロンのことで思ったんだ」

『大罪スキル絡みに巻き込みたくないってことか』


 アーロンは面倒見が良い人だから、俺のことで助けてくれている。それはとても感謝している。それ以上に、大罪スキルによって彼の人生を大きく変えてしまったのではないのかとも考えている。


 俺と絆を結ばなければ、もっと平穏に暮らせていたのかもしれない。

 そんな世界を想像すると……。

 ロキシーにはこれ以上先に進んでもらいたくない。そう思ってしまう。


『言っておくぞ』

「なんだよ」

『あの娘は止まることはないさ。それはお前自身が一番わかっているはずだがな』


 わかっているさ。わかっているから怖いんだ。


『さあ、行くぞ。フェイト!』


 グリードの力強い声と共に、エリスとシンの戦闘に割って入る。

 まずは、エリスに襲いかかろうとしていたシンの分体を斬り伏せる。


 真っ二つにしたのにまるで手応えがなかった。ステータス上昇の声も聞こえないことから、倒せていないんだろう。


「遅いよぅ~。もう少し遅れていたら、ボクは大変なことになっていたよ」

「悪い……。少し手間取った。さっきまでの自信はどこに行ったんだよ」

「見ればわかると思うけど」


 見渡す限りシンでいっぱいだ。更に赤い魔物たちはもっといる。

 これは一人で数千人の軍隊を相手しているようなものだ。

 俺たちは背中を合わせながら、シンの分体を斬り伏せていく。


「エリスならいけるだろ。鍛錬の成果を」

「わかっていて無茶言うよ。魔眼を使おうかな」

「俺が悪かったって。冗談はさておき、シンの分体は倒しても意味なさそうだな」

「その通り!」


 エリスはシンの分体の眉間を撃ち抜きながら、頷いてみせた。


「こいつらはまた地中に潜ったシンの本体に繋がっているんだよ。こいつらはただの操り人形。いくら倒しても意味がないよ」


 のんきに言ってみせる彼女の緊張感のなさに、半ば呆れてしまう。とても長い間、生きていくと感覚や感情が段々と鈍ってきてしまうという。

 たしか……マインも同じことを言っていた。彼女の場合は、味覚がなかった。


「地中か……魔力を辿って位置を調べられないのか?」

「無理だね。こういうことに、あれは長けているからね。あの生き物はそういったものだろ?」


 元々シンは体をバラバラにして大陸中に眠っていた。その姿は賢者の石と呼ばれる特別なものだった。

 生き物ではなく鉱物になれるのだ。


 おそらく、地下でその形に変化して安全な位置から分体や赤い魔物を操っているのだろう。


「あれだけ大見得を切っておいて、これかよ」

「あははっ、シンは怖いのさ」

「ん? どういうことだ?」

「君だよ。つまり暴食スキル保持者さ。あれは前の使い手に何度も何度も挑んで負けているんだ。だから、こういう戦い方しかできなくなってしまったんだろうね」


 面白おかしく、そして誇らしげにエリスは言う。


「フェイトはどうするのかな?」

「決まっているだろ。俺も前の使い手と同じことをするだけだ」

「頼もしいね。なら、ボクももっと頑張らないとね」

「おいっ」


 エリスの目が淡く光り始めた。それは魔眼の発動だった。


「安心して、これはまだ負担が少ない部類だから。でも……」

「わかった。早く引きずり出そう」

「そういうこと! サポートを頼むよ」


 エリスは北へ向かって走り始めた。

 魔眼の力に集中するため、戦っている余裕はないようだ。


 俺はエリスの進む道を切り開くため、襲いくる敵に黒剣を振るう。

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