第135話 精神世界のルナ

 帰りたくても帰れない場所。そんな世界があるとしたら、ここと似ているのかもしれない。

 見渡す限り永遠に真っ白な空間がどこまでも広がっている。


 歩き続けても、何もかもが同じで、進んでいる感覚さえ奪われてしまうだろう。そんな場所に俺はポツンとただ一人でいる。


 それでも毎日のように来ている俺としては、この精神世界にもかなり慣れてきたと思う。


「遅いな……グリードとルナ」


 いつもなら、俺がここへ来る前にグリードが待ち構えているのが常だ。それなのに今日はどこにもいない。


 精神世界は、ルナが作ってくれたものだ。


 この下には暴食スキルの世界がある。喰らった魂が怨嗟の声を挙げながら救いを求めている場所だ。

 ガリアで暴食スキルが制御不能に陥りそうになったとき、俺はルナによって作られたこの世界に助けられた。


 それ以降も精神世界が蓋となって、俺への暴食スキルの影響を緩和してくれている。


 それにしても、どうしたのだろうか。待ちくたびれてしまって、俺は真っ白な地面に寝転んだ。


 ここへ来るために現実世界の俺はぐっすりと寝ている。もし、この精神世界で目を瞑って寝たらどうなるのだろうか?


 気になる!


 試しに目を瞑っていると、よく知った声が頭の上から聞こえてきた。どこか幼さを残した甘い声は……。


「やあ、ルナ! 待っていたよ」

「まったく……こっちでも寝ようとする人は初めて見たわ。それとレディーを下から覗き込むとは、なかなかやるわね」

「あっ、そういう意図はないから」


 慌てて起き上がる。彼女はそう言いながらも、俺に一歩一歩近づいてきていたからだ。

 見せたいのだろうかと勘違いしてしまいそうな行動だ。


「起きたわね。あのまま近づく私を見続けていたら、踏んづけてやろうと思っていたのに残念」

「それもいいかもな」


 また寝転ぼうとする俺に、彼女は目を細めた。


「ええっ、キモいんですけど」

「アハハハッ、冗談だよ」

「もうっ」


 初めて会った頃には、ぎこちなかった関係も今ではこうやって他愛もない会話もできるようになった。


 ルナには感謝している。それと同時に、後ろめたい気持ちもある。

 俺はハニエルと同化した彼女ごと、その魂を喰らってしまったからだ。ルナはこの精神世界を作り出していても、暴食スキルの牢獄からは永久に開放されることはない。


 ハニエルのコアとして取り込まれて、信じられないほどの長い年月を過ごした。その後に今の状態だ。


 これで救われたとは、俺には到底考えられない。


 だけど、彼女は「ありがとう」と言った。ここでは少なくとも自分でいられることが嬉しいと……。


 俺はそれを聞いて、やるせない気持ちになった。


 世の中は、うまくいかないことばかりだな。ずっとずっと大昔には神様が居て、救いのある世界だったらしいというのにさ。

 これは父さんの受け売りだ。かつては俺も信仰していたラプラス神が世界の平安を守っていたという話だ。


 誰もが平等に生きていた時代、そこにはスキルはなくステータスもなく、そして魔物も存在しなかった。嘘みたいなおとぎ話だった。


 神様の庇護のもとで永劫の幸福は続くと思われた。だが、神様はこの世界から居なくなり、代わりにスキルやステータスを残して……魔物という試練を与えた。


 幼い頃に聞かされたことを思い出してしまう。父さんが死んでから信仰など捨ててしまったはずなのにさ。


 ルナは首を傾げながら、俺を見ていた。


「どうしたの? 難しい顔して……あっ、私の下着をどうやってみようかとやっぱり考えているんでしょ」

「違うよ!」

「どうだかな。最近のあなたは、いろいろな女の子とあれやこれやだものね」

「おいっ、やましいことは何もないぞ」

「そうかな? 私はフェイトを通してずっと見ていたからね。誰よりもあなたことをわかっていると思うの」

「俺のプライバシーとは一体……」

「大丈夫、大丈夫! こう見えて私って口が堅いし」


 初めて会ったときには、どこか物静かな人だと思っていた。

 しかし、ここにいる彼女はあの頃のような姿はどこにもない。よく喋り、よく笑う、活発な人だ。


 この精神世界を通して、ルナは俺の行動を見ることができる。だから、俺の父親のことや、テンプル騎士のライブラのことなども知っている。


 テトラの丘でエリスと話した内容も、もちろん把握しているはずだ。案の定、ルナはニッコリと微笑みながら、俺の反応を楽しんでいた。


「私としては、ロキシーとうまくいってほしいと思っているの。決めたんでしょ、なら早く伝えたほうが良いと思うの」

「……そうだな」

「まあ、君が心の何処かで留まっているのは、暴食スキルのせいだとはよくわかっているわ。ロキシーは君にとってかけがえのない人なら、もう決まりだね」


 ルナはその先で止めてしまう。


 わかりきっていることなので、あえて言わないということだろう。

 暴食スキルが俺のもっとも大事な人を贄として求めている。これはスキルが持っている習性だった。


 考えたくもないが、もしそうなってしまった先はルナも知らないという。なぜなら前の暴食スキル保持者は、それをさせなかったからだ。


「それでも君は一緒に居たいと願い、彼女は答えたのだから、もう進むしかない。だけど暴走したら、側にいるロキシーが危険ということも忘れてはいけないわ」

「忠告を肝に銘じるよ。うん……ちゃんと、伝えるよ」

「期待しているわね」


 ルナは満足そうに頷く。

 でもすぐに首を傾げながら言うのだ。


「話は戻るけど……やっぱり最近のフェイトはたるんでいるわ」

「ええっと、どこらへんが……」


 彼女の言いたいことはわかっている。バツの悪さがあって、そのような返事になってしまう。

 ずっと見ていたのだ。ならルナは現実世界の俺がどのような状況になっているかを知っている。


「アハハハッ、わかっているくせに! フェイトってすぐに顔に出てしまうよね。とても困った顔をしているよ」

「何も言えないです」

「うむ、うむ。ならね、今のフェイトの状況……ベッドで寝ている様子を見てみようか」

「で、できる……の?」

「当たり前よ。さあ、どうなっているのかな?」


 いつもしているという要領で、指を鳴らすルナ。


 すると、俺たちの前に四角の形をした映像が現れた。そこは天井だった。

 どうやら、俺視点のようだ。まあ、ルナは俺を通して見ていると言っていたから、当然だろう。


 俺はベッドで仰向けで寝ている。こう見えて寝相は良いほうで、起きたら枕が足元になっているということはない。


 スヤスヤと寝息を立てている俺。別に変わったことはない。


「なんだ……びっくりさせて、ただ寝ているだけじゃないか。こんなのを見ても面白くないから、これくらいに……」


 メミルにベッドの上で血を吸われたところまでは記憶がある。その先は失血と疲労によって、夢の世界へ……というか、ここへ来た。

 実は、メミルに血を吸われてから、どうなっているのは俺も知らないのだ。


 理想では、満足した彼女が自分の部屋に戻っていてくれるといいけど……。


 最近は朝になって目が覚めると、同じベッドの上でメミルも寝ている場合が多い。注意しても、血を飲むと抗いがたい眠気に襲われて、動けなくなってしまうと言われてしまうし。なし崩し的にこうなってしまっていた。


 でも、今のところ……メミルの姿はないな。ホッと胸をなでおろしていると、


「あっ、見てみて! メミルちゃんがいたわ」

「えっ!?」


 ごそごぞと布が擦れる音がした後、掛け布団の下からひょっこりとメミルが顔を出した。


「ふぅ~、またお腹が空きましたね。フェイト様! 起きてますか? どうやらしっかりと寝ているようですね。ではいただきます!」


 一人芝居をした後、彼女は俺の首に噛み付いた。

 そして、血を啜り始める。

 知らなかった……まさか、夜通しで俺の血を飲んでいたとは……。


 朝起きたら、貧血でクラクラになっているはずだ。


「飲み過ぎだ!」

「まあまあ、落ち着いてフェイト。これくらい大したことないわ」

「……ま、まだあるの?」

「うん」


 ルナは、もう起きるしかないとする俺を羽交い締めにして、笑顔いっぱいで答える。

 嫌な予感しかないぞ!


 そんな風に俺たちが見守る中、メミルが大満足の顔をしていた。


「ふぅ~、飲みました。これ以上は失血死してしまうかもしれませんし、我慢です! さてさて!」


 またもや、ゴゾゴゾと動き出して、俺の視界から消えていった。どこへ行ったんだ!?

 下の方へ下がっていたのはわかるんだけど……。


「気になって仕方ないって!」

「まあまあ、落ち着いてフェイト! 大丈夫、彼女を信じてあげて」


 だが、ルナの言うとおりだった。

 しばらくして映像からは見えないところで、メミルの鳴き声が聞こえてきた。押し殺しているのだろうか、くぐもった声だった。


 俺はただそれを聞くことしかできなかった。

 時折、「お兄様、なんで……」と言う声も聞こえてくる。おそらく、ラーファルやハドのことだろう。


 日頃のメミルと違った弱々しい一面を垣間見えてしまった。口では過ぎ去ったことだと言っていたが、本当は嘘だった。


 肉親に裏切られてしまった心の傷は、今も癒えずにふとした時に顔を出してしまうのかもしれない。

 俺はその様子を見ながら、ルナに礼を言う。


「メミルにもう少し優しくするようにするよ。教えてくれて、ありがとう」

「どういたしまして。ちょっと見ていられなかったからね。たまに思い出して泣いちゃうみたい」

「知らなかったよ……」

「でもね。調子が良い時は、フェイトにイタズラしているみたいから、そこは注意したほうが良いかもね」

「えっ!? 仕方ないメミルだな。これはお仕置きが必要かもな」


 何をされているかはわからないけど、他愛もないことだろう。ルナが笑いながら言っていることからも予想できる。


 これ以上、メミルの泣いているところを見るのは申し訳ない。映像から目を離して、ルナと向き会う。


 そろそろ本題に入りたかった。ここから先は、ルナでないとわからない。


 ルナも俺の様子から、これから訊くおよそのことはわかったようだ。指を鳴らして、現実世界の映像を消した。

 いつでも、どうぞと言わんばかりの顔で俺を見つめ返してくる。ならば訊こう。


 俺はゆっくりと息を吸い込んだ後、


「マインはなぜ、彼の地への扉を目指しているんだ。ハウゼンに着くまでには知っておきたい」

「そうね。今も昔も姉さんが変わっていないのなら、目的は唯一つ」


 ルナはどこまでも続く真っ白な世界を見つめながら、話し始めた。


 俺はそれを聞いて、やるせない気持ちになり、そしてマインを止めなければいけないって思ったんだ。

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