第134話 テトラの夜景

 エリスは言った。テンプル騎士の一人、ライブラの二つ名は調律者と呼ばれていると。

 神に仕える騎士でありながら、それに反するような行いもためらいなくしてしまう男だという。


 エリスの推測では、ライブラの天啓は「世界の理を乱す者の排除」らしい。そのためなら、悪魔と契約してでも目的を達成する。


 それを聞いて俺が真っ先に思ったことは、大罪スキル保持者の敵だ。話が本当なら、世界の理から外れたスキルを持つ俺たちを彼が許すはずがないからだ。


 彼女にその考えを伝えたら、笑われてしまった。


 それよりも、もっと重要なことが今起こりつつあると……。彼の地への扉の方がライブラにとって優先順位は高い。


 あの存在自体が、世界の理すべてを崩壊させる力があるらしい。現に死んだ者たちが蘇っていることからもわかる。


 彼の地への扉が解決するまでは、彼を利用すればいいとエリスは言う。その後はボクが彼を殺すとも言っていた。


 エリスはライブラと因縁浅からぬ仲であるらしい。彼の名を口にした表情からも、殺したいほど憎んていることは明白だった。


 しかし、彼女の口から聞けたのはそこまで、過去にライブラからどのような仕打ちを受けたのかは教えてくれなかった。おそらく、言いたくないようなことをされてしまったのだろう。俺にわかるのはそれくらいだった。


 しばしの間、高台で一緒に夜景を眺めていた。


「ごめんね……フェイト」

「謝る必要ないさ。何でもかんでも知りたいなんてこと、俺には言えないから」

「あははっ、そうだったね。ロキシーに秘密ばかりだった君だものね。体のことは彼女に言ったのかい?」

「まだ……言えていない。でも、入れ替わってしまった時にバレてしまったと思う」


 でも、ロキシーはそのことについて俺に聞いてこなかった。


「彼女らしいね。そういった気遣いができる子が側にいることを君は感謝するべきだよ」

「言われなくたっていつでも、そう思っている」

「なら、ちゃんと気持ちに答えてあげないとね。時間がないというなら、尚更ね」

「……それは」

「いくら君でもわかっているはずだろ。ロキシーは聖騎士であることを捨ててまで、フェイトの力になろうとしている。なぜ、なんてことはもう言わせないよ」


 遠い目をしながらエリスは俺に訊いてくる。その目線の先は夜景でもなく、ずっと遠くにある何かを見つめているようだった。


 俺は夜空を見上げながら、ロキシーのことを思う。


 ガリアでのこと……髑髏マスクで顔を隠して、ロキシーを守ると言って戦ったりした。その過程で緑の渓谷に訪れた際に、地面が崩落して二人っきりになって、いろいろと話をしたのを覚えている。


 あの時、彼女は俺のことを心配してくれていた。まさか、髑髏マスクの認識阻害機能によって、俺が本人だとはわからずに、彼女は言ったものだ。仕草がフェイトによく似ていると。これを聞いたときには、流石にドキッとしたものだ。


 今となっては、それも笑い話だ。これはロキシーが事あるごとに俺に話すことだった。

 この話になると俺はどこかに穴があったら入りたくなってしまう。


 王都に戻ってきてからもそうだ。


 ラーファル・ブレリックとの戦いで傷ついた俺を受け止めてくれたのもロキシーだった。


 間違いなんてものは人である以上、どうしてもおかしてしまう。そのことばかりに囚われていてはいけない。その痛みを糧にして、前に進んでいかなければならない。


 ロキシーは多くの部下をガリアの地で失っていた。喪に服すことは大事だが、悔やみ続けてしまったら、残された部下を指揮していくことはできない。


 然るべき立場の者なら、それ相応の責任がある。俺は彼女の姿勢を見て教えられたのだ。

 俺は未熟だった。ロキシーだって、俺の知らないところで、たくさん傷ついている。その上で、彼女は俺を気遣ってくれていた。


 今の俺があるのは、間違いなく彼女のおかげだ。もちろん、エリスやマイン、アーロン、そしてメミルたちの力もある。その中で俺にとって一番の人といえば、やはりロキシーだった。


 俺だって、そこまで鈍感ではない。ここまでくれば、いつもグリードにバカにされている俺でもわかる。


 彼女が向けてくる温かさは、特別なものだと。


 使用人だった頃や、ただの武人だった頃は、彼女と地位が違い過ぎて考えることすら、おこがましいと思っていた。


 だけど、「おかえりなさい」という言葉と共に抱きしめられた時に、そのような堰を押しのけて溢れ出してしまった。


 俺はエリスの横顔を見ながら言う。


「俺は彼女を愛している」


 すると、エリスは俺の方を向いて、ニッコリと笑った。


「やっと言えたね。だけど、ボクではなくロキシーに言ってね。まあ、さっきのはボクを使った練習ということにしてあげよう!」

「偉そうに……」

「アハハハッ! 実際のところ、ボクは女王様だからね。万が一、ロキシーに告白して大失敗したときには、ボクが慰めてあげるよ」


 そう言いながら、エリスは魅了の力を全開にしてきた。

 得も知れない感覚――彼女から目が離せないような気分がこみ上げてくる。


「おいっ、こんな時になんて力を使うんだっ!」

「ええっ、いいじゃん。君の覚悟が本当か、確かめてあげたんだよ。あんなことを言っておいて、ボクに魅了されるくらいなら失格だね。大人しくボクのものになっていればいいんだよ」

「なんて……無茶苦茶な」

「ボクは女王様だから。こう見えて、わがままなんだよ」

「まったく、困った女王様だ」


 そしてまたしばらく二人でテトラの夜景を眺めていた。

 夜は少しだけ肌寒い。春はすぐそこまでやってきているというのに。


「そろそろ宿に戻ろう」

「……」


 彼女は返事をすることなく、首を横に振るだけだった。 

 このまま一緒に居てもいいが、どこかエリスは一人にして欲しそうだった。


 おそらく彼女だけで考えたいことがあるのだろう。多分、テンプル騎士であるライブラのことかもしれない。


 俺は宿屋に先に帰ることにした。


 エリスを置いて丘を下りていく。グリードがそんな俺に《読心》スキルを介して言ってくる。


『一人にしてよかったのか?』

「あのまま居ても、段々と気まずくなりそうだったからさ」

『ハハハッ、さすがのお前も気が使えるようになったか。成長したというわけか』

「その上から目線はやめろ!」


 散々、俺のことを笑ったグリードは、嘘みたいに静かに話し始める。


『父親と戦うんだな』

「ああ……父さんはテンプル騎士と呼ばれる組織に属していたみたいだ。グリードは知っていたんだろう?」

『だと言ったら?』

「お前らしいと思うだけさ。グリードはいつだって秘密だらけだからな」

『わかっているじゃないか。それに俺様が一々言わなくとも、フェイトはここまで来た。そのことは胸を張れ』


 それでも、グリードの力もあったからこそ、ここまで来れたのは確かだ。

 秘密だらけのやつだけど、ここぞというときには、ちゃんと教えてくれる。

 そして、俺たち親子の問題でもある。


 父さんは、追ってくるなと言った。だが、俺はもう子供でない。


「自分のことは自分で決めるさ」

『そうだったな。なら、ハウゼンへ行くだけだな。あと鍛錬を忘れるなよ。痛い目にあったばかりだから、よくわかっていると思うが』

「絶対凍結……この攻撃をなんとかしないとな」


 第四位階の魔杖をもっと使いこなせるようにならないといけない。

 少なくとも、父さんの凍結に押し負けない黒炎が必要だ。


 あの攻撃をされてしまうと、分厚い氷壁に阻まれてしまって手も足も出ないからだ。


「今日も頼むぞ」

『やる気じゃないか! ルナにも声をかけておいたほうがいいようだな。あいつも最近は力が入っているからな』


 ルナは姉であるマインに伝えたいことがあるらしい。

 そのためにも、グリードが言ったように、彼女も積極的に力を貸してくれているのだ。


 戦ってみてわかる。ルナは相当な手練だ。それと同時に、彼女は……戦いが嫌いなんだと感じる。


 それは恐れかもしれない。


 俺も似たものを持っているから。戦っていると、どこかで同じものを重ねてしまう。

 暴食スキルを持っている以上、終わりのない戦いが続いていく。

 そこから降りるためには、おそらく死ぬしかない。


「ルナは最近、よくいろいろと話してくれるようになったんだよな」

『元々、あいつはお喋りだ。やっと本調子になってきたというわけさ』

「グリードとは話さないよな。なんでなんだ?」

『そ、それはいろいろとあるんだよ!』

「ふ~ん……」


 なんだろうか……この狼狽えっぷりは!?

 いつもの傍若無人なグリードらしくないな。思い返してみれば、精神世界のグリードは、ルナからいつも距離をとっていたような。


 これはどういったことだろう。


 気になるぞ!


「なあ、教えてくれよ」

『知らん。何でもかんでも訊くんじゃない!』

「急に様子がおかしいぞ、グリード」

『俺様は知らんぞ。何も知らん!』


 頑なだった。しかも、やけに慌てているような感じだ。

 珍しいな……こんなグリードは本当に見たことがないぞ。

 いいさ。こんな状態の彼は何も口を開かないだろう。


「なら、ルナに訊いてみるから」

『おいっ! 待て待て!』

「言ったろ、彼女は最近よく俺と話しをしてくれるんだって。頼めば、きっと教えてくれるはずさ」


 二人の関係については当人たちから訊くしかないのだ。

 こればかりはどうしようもない。


「よしっ、決まりだな」

『よしっ、あっちでフェイトを始末するしかないか』

「おい!!」


 まったく、とんでもないことを言うやつだ。


 人通りが少なくなり始めた大通りを歩いていく。もう時間は深夜を過ぎていた。

 それでも宿の灯りはしっかりと点いており、外出していた俺を迎え入れてくれる。


 ここは武人たちが利用する宿だ。ナイトハントする者がいるため、一日中対応ができるようにしてあるらしい。


 だからこそ、この便利な宿を選んだのもある。あとはベッドが柔らかくて、よく眠れることだろう。

 これは女性陣のこだわりであった。


 暗い部屋にランプの火を灯す。

 程よい明るさだ。炎の揺らぎがいい感じに眠気を誘ってくる。


 欠伸をしながら、黒剣を近くの壁に立てかける。風呂は明日の朝にでも入ろう。眠気が我慢できずにベッドに潜り込んだ。


「ん?」


 なんだろうか……柔らかい感触を感じるぞ。これはベッドではない。


「ああぁっ……」


 聞こえてくる変な声!? まさか、これは!?

 すっかり忘れていたことを思い出した。


「どこをさわっているんですかっ!」


 飛び出してきたのは案の定、メミルだった。

 頬を上気させて抗議してくる。どうやら、方法には問題があるけど、ずっと待っていてくれたようだ。


「そんなところに隠れているからだろう」

「だって、待てども待てども、帰ってこないから……ねむたくなってしまったんです」

「自分の部屋で寝てればよかったのに」

「わかっているくせに、それをいっちゃうんですね!」


 どうやら、メミルは限界のようだ。

 つまり、俺の血を吸いたくて吸いたくてしかたないといったところか。

 瞳は鮮血のように赤く光っている。こうなった彼女は、乾きに飢えた猛獣みたいなものだ。


「早く……早く……もう我慢できないです!」

「わかったから、落ち着けって! 深夜だぞ」

「深夜まで待ったんです! では、いただきます!」

「待ってくれって。ぐはっ!」


 問答無用で俺に飛びかかってくる。あまりの勢いにベッドに押したおされてしまった。

 そのまま、流れるように首へ噛み付いてきた。

 このときばかりは、メミルらしい嗜虐を帯びた顔を見せる。


「おいっ、落ち着けって……」


 疲れもあってか、意識が遠のきそうになってしまう。

 メミルは一旦首から離れて、ニッコリと笑う。口の周りには、俺の血がベッタリと着いている。


「あとは私がすべてやっておきますから、ごゆるりとお休みください」


 小さな口を開ける。ランプの明かりで鋭い犬歯が怪しげに輝いていた。


 それをまた俺の首に突き立てた。もう痛みを感じることもなく、意識は今度こそ遠のいていった。

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