第126話 賢者の石

 俺はライネの研究室で出された紅茶を飲んでいる。味は悪くない、茶葉は良いものを使っているみたいだ。


 だけど、入れてもらったのがカップではない。ビーカーと呼ばれるガラス製の容器で、主に実験で溶液などを入れたりするものだった。


 もう少し人並みの入れ物はなかったのだろうか……。


 それもあって、不服そうに飲んでいたのが顔に出てしまっていたようだ。


「どうしたの? 砂糖が足りない?」

「そっちじゃない。問題はこのビーカーだよ。カップがないなら、屋敷から持ってこようか?」

「いらない。だって、邪魔になるから。ビーカーなら実験にも使えるし、紅茶も入れられる便利アイテム」

「これってなんの実験に使ったのか……気になるけど、聞かないほうがいいだろうな」

「さすがはフェイト、わかってる」


 ちゃんと洗ってくれていれば、どのようなことに使っていたとしても問題ないはず。

 俺はそう思いながら、研究室内を見回す。相変わらず、片付けをしていないため、足の踏み場もないくらい汚い。


 ……これは、洗っていないかもな。そんなことを思っていると、またしても顔に出てしまっていたのだろう。


「失敬な。これでもレディー。お客さんに出すものだけはちゃんとしている」

「なるほど、洗ってくれてはいるみたいだけど、ビーカーは譲れないんだ」

「そう」


 ドヤ顔で胸を張って言われても困る。

 もっと困っているのは、只今採血中のメミルだろう。


「早く、刺すなら刺す。刺さないなら刺さない……はっきりしてください」


 注射が嫌いな彼女の悲鳴めいた声が聞こえてくる。


 なぜなら、先ほどからライネが針を刺そうとして、やっぱりやめて俺に話しかけるを繰り返していたからだ。


 後もう少しで腕に刺さりそうになって、目を必死に瞑る。だが痛みはないからそっと目を開けると針は遠くへ離れている。

 それを何回もしていたので、メミルとしてはたまったものではない。


「だって、面白いんだもの」

「なんてことを言うんですか!?」

「ほら、こうやって針を近づけると」

「ヒィィィッ!」

「そして、針を離すと」

「ふぅ~……じゃない!? 弄ばないでください」

「ごめん、ごめん。メミルのようなちょっと生意気そうな子をみていると、意地悪したくなってしまう。もっとしてもいい?」

「ダメに決まっています。フェイト様からも言ってください!」


 助けを求めてくるメミルの声を聞こえないふりをした。俺はまだエレベーターで血を吸われたことを忘れてはいないのだ。


 ぜひとも注射器に血を吸われて、反省していただきたい。

 ライネの様子からも、日頃からこういったことをやっているようなので大丈夫だろう。


「仲いいな、君たちは」

「どこがですっ! 妹の大ピンチですよ」

「ああ……戦いの後の紅茶は美味しいな……ほっこりする」

「ちょっと聞いてます?」

「全然」

「しっかりと聞いているじゃないですかっ!」


 俺はすでに悟りの境地だ。なんせ、ライネに抵抗しても良いことにならないと知っているからだ。

 されるがまま、右から左へと受け流す。


 これがライネとうまくやっていく秘訣なのだ。


 あれやこれやと、いちいち反応していたら、彼女は面白がって助長してしまう。

 メミルはまだまだだな。


 やっと満足したライネは採血を始めた。腕に針が刺さると、メミルの顔色が青くなっていった。

 俺の血を吸うのは大好きなのに、吸われるのは心底嫌いのようだ。


「うううううぅぅぅ……まだですか?」

「まだ」

「もういいのでは?」

「足りない」

「血を取り過ぎですよ。またフェイト様からいただかないと……チラリッ」


 自分ではどうにもできそうにないからといって、俺を引き合いに出すとは……。


 先程、エレベーターの中でかなり吸われてしまったのにこれ以上を求めてくるのか。とりあえず、首を横に振っておこう。


「今日はもう血は無理だ。失血死してしまいそうだ」

「私だって、戦いで血をかなり失ったんですよ」


 それは確かだった。ロキシーを庇うためにオーガの攻撃を受けてしまったメミルは重症を負っていたらしい。


 ナイトウォーカーの始祖の力で、傷はきれいに治ってはいる。しかし、再生に大量の血を消費してしまっていた。


 メミルは今まで屋敷の外では決して血を求めてこなかった。おそらく、エレベーターに乗ったところで我慢の限界に達したのだろう。


 それにしても、ライネは黙々とメミルの血を採取し続けている。

 すでに試験管4本分だ。


「なあ、そんなに検査に血が必要なのか?」

「検査には二本。私の実験用に二本……いや、後一本」

「待ってください! 聞いていた話とは違います!」

「大丈夫、もうすぐ終わるから」

「ヒィィィ!」


 騙されていたと知ったメミルは目で必死に抗議する。だが、ライネはどこ吹く風で採血を続けていた。


 研究のことになったら、彼女はいつもそうなのだ。


 父親であるムガンからも、酒場で一緒に飲んだときにはどうにかならないものかと、よく相談されている。

 次は俺の検査だから、何をされてしまうのか……恐ろしくなってしまうほどだ。


 とりあえず、採血は試験管5本だということは予想できる。今日は結構、血を失っているので控えめにしてもらいたいところだ。


 でも、ライネだからな。希望薄だろうな。


「はい、終わり。この血は検査に回しておく」


 げっそりとしたメミルがやっと開放された。

 血を取られすぎたのか、放心状態で椅子に座ったままになっている。

 声をかけても反応がないので、俺の採血は別室ですることになった。


「そこに腰を掛けて」

「ああ、やっぱり血はたくさん取るのか?」

「まあね。君の場合はメミルよりも特別だから」

「そうか……。メミルの血を実験に使うと言っていたけど、何をする気だ?」

「君のためでもあるんだよ。ちょっと面白いことを発見してね」

「えっ、なになに? 教えてくれよ」

「ダメ。まだはっきりとしてないから。その時までお楽しみ。じゃあ、行くよ」


 腕に注射針が迫ってきたので、力を抜いて受け入れる。こうすることでEの領域による抵抗を無くすことができるのだ。


 初めは、このEの領域が阻んで注射針がまったく皮膚に刺さらなかった。だが、俺自身がそれを受け入れたいと思ったら、針が刺さったのだ。


 戦いにおいては、抜群の強さを発揮するEの領域。しかし治療や検査においては、通常の医療が使えないのでかなり邪魔な力だった。


「ねぇ、そのEの領域ってどのような気分。苦しい? 痛い? 楽しい? 気持ちいい? どう?」


 ライネは採血しながら、俺に聞いてくる。彼女はEの領域にすごく興味があるようで、こうやって事あるごとに感覚などを知ろうとする。


「普通かな。別に苦しくもないし、楽しくない」

「ステータスが生き物として、一次元上がっているから、なにか精神的な変化もあると思ったんだけど……違ったか」


 半分は当たっていると思う。なぜなら、その領域に達して心を無くしてしまったものは、崩壊現象と呼ばれ、人ではない何かに堕ちてしまうからだ。


 ラーファルなら、アンデッド・アークデーモンという凶悪な悪魔になってしまった。今回戦ったゴブリン・シャーマンによって、無理やりEの領域にステータスを上げられた人々はオーガという怪物にされてしまったし……あまりいいことにはなっていない。


「私見では心とステータスがあまりにも違いすぎてバランスが取れない、または非常に不安定になってしまうと思っている」

「当たっていると思うよ。ラーファルもそんな感じだった。それに今回のオーガたちも……」

「オーガって何?」

「検査後に言おうと思っていたんだけどさ」


 血を取られながら、俺はゴブリン・シャーマンとの戦いでの出来事を説明していく。


 ホブゴブの森の地下には、ガリアの技術を感じさせる研究室があったこと。

 そこで行方不明になっていた人たちが、人体実験のようなことをされていた。俺とアーロンの前で無理やりにステータスをEの領域にされて、オーガという化物に変わり果ててしまった。


「人からオーガか……魔物になるなんて興味深い。実験施設や倒したオーガはどうなったの?」


 どうやら、自分の目で見てみたいようだった。ライネはこうなったら、大好きな物を前にした子供のように目をキラキラさせてしまう。


 答えるまで、ずっと同じことを訊き続けることだろう。


「研究室は、強力な力で凍らされてしまって中へは入れないよ。オーガは倒したのが森に転がっているから、回収できると思う」

「早速、明日にでも現場に行ってみたい。それで……お願いがある」

「わかっているよ。同行だろ?」

「うん、気が利く。さすがはフェイト」


 それはどういたしまして。だって、一緒に行かないと一人でも行ってしまいそうだし。


 ムガンから、娘が無茶をしないように監視役を頼まれているからな。ゴブリンたちの奇行は収まったといえど、まだあの森に危険がまったくないわけではない。


 元々ゴブリンたちの巣なのだ。ライネは戦う力はないため、そんな場所に行ってゴブリンに出くわしたら、大変なことになってしまう。


「楽しみ!」

「あんまりはしゃぐなよ」

「私は君よりも年上だし。そんな子供じゃない」


 鼻歌交じりに採血した血を試験管に移していく。全部で4本か……メミルより一本少ない。

 これは喜んでいいのだろうか。血を失いすぎて、軽くクラクラしてきたぞ。


「はいっ、終わり。検査に回しておく」

「ふぅ~」

「さて、次は上着を脱いで!」

「えええええっ」

「嫌がらない」


 体の見た目に変化はないかを調べるためだという。ライネはベタベタと手で触って、問題ないかを調べていった。


「体には変化はないみたい。問題は……」

「血か?」

「そうね」


 ライネは俺の血が入った試験官を手に取って言う。


「メミルより、君の血の方がかなり変質している。これは……もう人間のものとは言い難い」

「Eの領域だからとか?」

「それはない。だって、アーロン様は普通だった。これは君が持っている暴食スキルの影響だと思う」

「もしこのまま進行したら……?」

「体にも変質が起こると思う。そうなったら人の姿ではいられない」


 化け物になるということみたいだ。それまでの時間が近づいているのだという。

 今はライネがそれを抑えられないかを調べてくれているわけだ。しかし、今のところは治療法は見つかっていない。


「まだ時間はある。だから諦めるのは早い」

「ああ、諦めてはいないから大丈夫さ」

「なら、暴食スキルでEの領域を喰らうことは可能な限り、控えたほうがいい」


 オーガを喰らったことを心配してくれているようだった。


「あれは暴食スキルにとって、この上ないご馳走。でも君にとっては短い命を更に削る行為になっている」


 ライネはメガネをかけ直しながら、俺に忠告してくる。この仕草をした時の話は本気だと知っている。


 あの時……俺は右目から血を流していた。オーガの魂を喰らったことで、血の変質が進んで行き場をなくした血が目から溢れ出てしまったのだろう。


 昔グリードも言っていた。大罪スキルは目に出やすいって……。


 まずはここから変質が始まるのだろう。


「努力してみるさ。ここまでやってこれたんだし」

「……君がそういうなら。あっ、そうそう。例の山岳都市で面白いものが見つかったという報告を受けていた」

「ラーファル関係か?」

「ええ、ブレリック家が管理していた採掘場で新たな遺跡が見つかったの。そこで賢者の石を手に入れたって。明日の早朝には届くみたい」

「賢者の石って!?」


 集合生命体というナイトウォーカーの始祖――シンの分体だ。それ自体が生きており、宿主を求めて寄生する機会を狙っている危険な品物だ。


 ラーファルはそれに寄生されて、最後はアンデッド・アークデーモンとなってしまった。

 俺が心配そうな顔をしていたのだろう。それに対してライネは微笑みながら言うのだ。


「心配はいらないよ。人との接触はできないように特殊なケースにいれてあるから」

「そうなのか……」

「これでもガリアの危険な物をたくさん扱ってきたからね。そこらへんはしっかりしている」


 明日の朝、ライネをホブゴブの森へ連れて行くときに、採血の検査結果と賢者の石を見せてくれるそうだ。


 シンの分体か……。これが本体に繋がっているのなら、やつがどこにいるのかがわかるかもしれない。そして、その先にマインもいる。


 僅かな希望の光が得られてきたことに、少しだけ俺は浮かれていたんだ。

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