第120話 不実の果実

 ゴブリン・シャーマンは疲弊しつつある体から、力を絞り出すように錫杖を振り上げながら言う。


「カノチ……ヘノ…トビラ。ワレ二……チカラヲ」


 斬り込んで、一気に決着を付けようとした俺たちだった。しかし、その言葉と同時に周りに並んでいたガラスの容器が次々と割れ始めた。


「どうなっているんだ……」

「死んでいたはずなのに、これは……」


 赤い溶液と共に、死んでいたはずの人たちが地面に倒れ込み、そしてもがき苦しみ出したのだ。ありえない、間違いなく死んでいた。


 ナイトウォーカーかとも思ったけど、目は血のように赤くはないし。近づいて、口元を確認するが、犬歯が異常に発達していなかった。


 ただ、苦しみ続けていた。その声は獣……いや、魔物を連想してしまうものだった。


 そして、すぐに彼らに異変が起こる。


 アーロンが慌てて、俺から苦しんでいる人を引き剥がす。


「フェイト、離れろ! 彼らの気配はもう人ではない」

「嘘だろ……」


 もがき苦しむ人たちが変わっていく。これは……見たことがあるぞ。


 崩壊現象だ。


 今でも鮮明に記憶に残っている。ブレリック家のハドやラーファルが見せた姿――人ならざる者。


 グリードは言っていた。Eの領域に達しながら、人としての心を失った者の成れの果ての姿。


 知性はなく、暴れまわるだけしかできない生き物。

 単調な攻撃しかできないかもしれない。しかし、ステータスはEの領域だ。ロキシーの体である俺では太刀打ちできない。


 頼れるのはアーロンのみ。しかし、それが二十匹ほどいては分が悪すぎる。


「アーロン、彼らのステータスは?」


 鑑定スキルを持っている彼に、生まれたばかりでこちらを認識していないうちに確認してもらう。Eの領域のどの位置にいるのか、だけは知っておきたい。


「うむ、あの魔物はオーガと呼ばれる魔物みたいだな。ステータスはEの領域の入り口程度だ。奥のゴブリン・シャーマンはEの領域には達しておらん。儂がオーガたちを引きつけている間に、仕留めるのだ」

「はい」


 オーガたちの図体は大きくアーロンの二倍くらいはあった。屈強な体で、筋肉が異常に発達している。あの大きな手で掴まれたら、この体はいとも簡単に握り潰されてしまうだろう。


 この状況……何一つわからないことばかりだ。だけど、今すぐにでも倒すべき敵はわかっている。


 目覚めたばかりで、俺たちには意識がいっていない内に、オーガたちの群れを駆け抜けようとする。しかし、ことがうまく運ばないことは常だ。


 ゴブリン・シャーマンが叫ぶと、オーガたちはまるで軍隊のように規則正しく動き出した。どうやら、なんらかの術を行使しているようだった。


 一匹のオーガが俺に飛び込んでくる。そして大きな手で押し潰そうとしてくる。


「フェイトっ!」


 すかさず、アーロンが俺を後ろへ引っ張って、攻撃から逃してくれる。


「うおおおおぉぉっ」


 それだけでは終わらない。彼は踏み込んで、聖剣でオーガを頭から一刀両断してみせる。


「力は強いが、攻撃は単調だ。これなら、まだ頭を使うオークのほうがマシだな」


 操っていると思われるゴブリン・シャーマンも、それが二十匹以上になってしまうと手を持て余しているようだ。アーロンが指摘した通り、一匹一匹の動きは規則的で読みやすい。


「分不相応な術だな。儂が斬り開こうぞ」


 いくらオーガがEの領域にいるといっても、入り口だ。ラーファルとの戦いから更に強くなってしまったアーロンの敵ではない。


 初めは余裕に満ちた顔をしていたゴブリン・シャーマンだったが、彼の力量を見間違っていたようだ。歪く黄ばんだ歯を見せながら、苛立っていた。


「ナゼ……マタ…ジャマ……スル……ケンキュウ……セイカ」


 アーロンが三匹目のオーガを斬り捨てたところで、手が止まる。苦虫を噛み潰したような顔で彼は自分の聖剣を見ていた。

 優勢だったはずなのに、後ろへ後ろへ追いやられていく。理由は聖剣の状態の悪化だった。


「くっ、聖剣が腐食していく」


 オリハルコンというガリアで採掘される希少な鉱石を使用している剣。とても強靭でスライム系の強酸を浴びても、劣化することはないと聞く。


 そして聖剣技のアーツ《グランドクロス》の発動を留めて、剣の強度を更に上げていたにもかかわらず、溶けかけていた。オーガの体液になんらかの仕掛けがあるのかもしれない。ゴブリン・シャーマンは「研究成果」と言っていたことも気になる。


 俺は、すぐさまロキシーの聖剣をアーロンに渡そうとするが、首を振って断られてしまった。


「儂にもこだわりがある。お主のようにな。少々くたびれてしまったが、まだこの剣で戦える。なあ、フェイトよ。ここは手狭だと思わんか?」

「まさか……アーロン!?」

「そのまさかだ。この部屋は後で調べるために残しておきたかったが……死んでしまっては元も子もない。儂の後ろへ下がっておれ」


 拒否権はなし。問答無用でアーロンは聖剣に留めていたアーツを、オーガの群れとその奥にいるゴブリン・シャーマンへ向けて解き放った。


 彼が何をやろうとしているのか、気がついてオーガたちをぶつけてこようとする。


「遅いわ、グランドクロス!」


 何十年に渡ってアーツを使い続けて極めているアーロンの発動の方が明らかに早かった。

 敵の足元が白く輝き、光の巨大な柱となって、天井を突き破る。


 地下室なのにそんな大技を繰り出したものだから、予想するまでもなく瓦礫が俺たちに向けて降り注ぐ。


「フェイト、ここは儂に任せろ。よっと」

「キャァァァッ」


 いきなり左手で俺の腰を掴んで、抱え込んだものだから変な声が出てしまった。思わず、女の子みたいな声で叫んでしまったじゃないか……。


 そんな俺のなんちゃって乙女心も知らずに、アーロンは器用に崩れ落ちてくる瓦礫の上に飛び登っていく。かっこいいぜ! ハート家の上長さんことハルさんがうっとりするのも納得だな。


 俺にはそんなうっとりする暇もなく、地上に飛び出す。


「まだ、ゴブリン・シャーマンは倒せておらんようだな」

「みたいですね。というか……あの上にはミリアがいたと思うのですが……」

「問題ない。あの瞬間で彼女が頭上にいないことは把握済みだ。左下の左に傾いたあの大木を見てみろ」


 よく見れば、大木の陰で隠れながら、上空にいる俺たちに向けてプンプンと抗議していた。声は聞こえないけどたぶん、死ぬところでしたよ、殺す気ですか!


 この戦闘狂たちが! と言っているような気がする。戦闘狂なのはアーロンだけなのだが。


「元気に手を振っておるな」

「怒っているんですよ。突然、地面が吹き飛んだんですから」

「ハハハハッ!」

「笑い事じゃないです!」


 俺は空中で、ゴブリン・シャーマンの気配を探る。……いた!!

 足元にグランドクロスが展開された時にオーガの一匹を盾に使ったようで、死んだ魔物と共に落下し始めていた。


「広くなった。つまり、動きやすくなったというわけだ。相手もそうだが、こちらもな。行けるか、フェイト!」

「ええ、今度こそ」

「儂の聖剣が折れてしまう前に決着を付けろ!」


 アーロンは俺の手を取って、ゴブリン・シャーマンに目掛けて投げてくれた。そして、彼は生き残ったオーガの掃討にとりかかる。あの聖剣の状態では全ては無理だろう。


 気配を探れば、まだ十匹くらいは残っているからだ。

 勢いそのままに、俺は聖剣を握りしめて、ゴブリン・シャーマンへ。


 このまま貫いてやる。


 落下中なら、躱しようがないだろうと、楽観していたのが悪かったのだろう。俺の攻撃を予期していたゴブリン・シャーマンは同じことを考えていた。


 錫杖の先は俺を差していた。そして、巨大な火球を作り出す。炎弾魔法か!? グリードなら第二位階の魔鎌で無効化できるのに、この聖剣では……どうするグランドクロスを放つべきか。


 力をぶつけ合っては、その余波でせっかくの特攻攻撃ができなくなってしまう。


 諦めかけたその時、ゴブリン・シャーマンへ向けて、《グランドクロス》が放たれたのだ。威力はかなりの物で、詠唱中だった炎弾魔法が中断される。


 誰だ!? アーロンかと思ったら、女性の声が下から聞こえてきた。


「今です! 早くトドメを!!」


 メイド服をきたメミルだった。彼女は聖剣を手にして、俺を見ていた。


 バルバトス家に使用人としてやってきた時、彼女は王国に聖騎士としての行動を制限されていた。それは振る舞いだけではなく、聖剣を持つこともだ。アーツを使うなどもってのほかだった。


 知られるとただではすまない行為をしてまで助けてくれたのだ。俺は驚きつつも……驚いてしまったことに反省した。


 彼女はもうブレリック家の人間ではない。バルバトス家の人間だ。だから、身内のピンチに駆けつけてくれただけなんだ。俺はメミルに頷き返す。


「いっけえええぇぇっ!」


 メミルの不意打ち攻撃は功を奏した。ゴブリン・シャーマンのガードが甘くなっていた。俺が握った聖剣はやつの心臓を容易く貫いた。


「ギャアアアアアアアアアアアアァァァァァ」


 生き物とは思えないほどの悲鳴を上げる。思わず、手で両耳を塞いでしまいたいくらいだ。


 それと同時に、ゴブリン・シャーマンから赤い光が飛び出してきて、その輝きを失わせていった。


 俺もその弱まる光と共に、意識が遠のいて行くのを感じた。


◇ ◆ ◇ ◆


 目を開くと、そこは真っ白で何一つない世界だった。地平線の彼方までというより、すべてが白で境界線などわかりもしない。


 ここはよく知っている場所だ。ルナが俺のために作ってくれた暴食スキルからの影響を守るための防波堤――精神世界だった。この場所に来れたということは、俺とロキシーとの入れ替わりは終わったようだ。


「まだ、終わってないでしょ」


 涼しげな声がして振り向けば、長い白髪をした女性が立っていた。少しだけ無表情な顔付きが、マインを思わせるものがあった。


「ルナ!」

「まったく……入れ替わりなんてことをしてくれたものだから、大変だったのよ」

「ああ……ごめん」


 暴食スキルの飢えによって、ロキシーが気を失ってしまったことを言っているのだろう。


 あのとき、暴食スキルの影響を緩和するために、メミルに協力してもらっていたけど、裏側ではルナも無理をして俺の体に留まり、助けてくれていたようだった。


「私がいなければ、ロキシーの魂は暴食の餌食になっていたんだからね。これは大きな貸しが発生したよ」

「マインのときは貸しを返すのに、大変な思いをしたんだけど……それって怖いな……」

「何を言っているの! 姉さんの貸しのおかげで、私が今あなたを守ることができているのよ。そんな事を言ったら、姉さんが悲しむわ。これは……もっと頑張ってもらわないとね」


 ノリノリになってルナは俺を攻め立てくる。押しが強いのは、姉妹一緒だな……トホホ。


「じゃあ、どうやって貸しを返せばいいだよ」

「簡単よ…………姉さんを、止めてほしい」


 とても真っ直ぐな目をして、俺に言う。決して逸らしてはいけないと思わせるほどだ。


 マインは彼の地への扉を探していると言っていた。それが彼女にとって譲れないもの――生きている意味だという。


「なあ、俺はまだ彼の地への扉のことについて、まったく知らないんだ。グリードも教えてくれないし」

「あいつはいつだってそうだよね。私は見ていることしかできないけど、すぐにわかるわ。もう始まろうとしている……ううん、もう始まってしまっているのかも……感じるの」

「良くないことなのか」

「ええ……誰も幸せにはなれない。絶対にね」


 ルナの言うことが本当なら、マインはなぜそれをしようとしているんだ。う~ん、わからない。


 なら、会うしかない。

 会って、何を望んでいるのかを直接、彼女の口から聞くしかない。


 でも、今はホブゴブの森にいるオーガたちを倒さないと。戦えるのはアーロンだけ。そんな彼も十匹ほどのオーガを一人で相手をするには厳しいだろう。


 元に戻ったロキシーも心配だし。ミリアとメミルも大丈夫だろうか。考えていると、どんどん心配になってきたぞ。


 急ごう!!


 俺は精神世界から出て行く前に、ルナにお礼を言う。


「ありがとう。ロキシーを守ってくれて、感謝してもしきれないよ。マインのことはまた後で」

「ねぇ、ちょっと待って」


 急ぐ俺にルナは手を掴んで申し訳なさそう顔した。どうしたのだろうか。彼女がそのような顔をするのは稀だった。


「ロキシーはここに来てしまったことで、あなたの状態に気がついてしまったかもしれないわ」

「……そっか…………そうなのか」


 俺から出てきたのは乾いた笑いだけだった。ルナは追い打ちをかけるように続けるのだ。


「彼女には、もう嘘をつかないって言ったくせにね。いつかできるといいわね。あなたも私も……」


 何も応えることが、俺にはできなかった。今はこれ以上の話をしている時間もなかった。


 もしかすると彼女には逃げ出すように見えるかもしれない。しかし何も言わえずに、彼女の精神世界から出て行った。

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