第117話 ミリアの奮闘
俺たちは聖騎士区を出て、商業区へ移動していた。ここにある外門からホブゴブの森へまた行くためだ。
昨日はロキシーとミリアとだった。今回はアーロンとミリアだ。
歴戦の猛者であるアーロンが付いてきてくれているので、俺としては安心だ。ミリアも同じようで、どこか落ち着いた顔をして隣を歩いている。
ゴブリンたちの不穏な動きに、今日も商人たちが操る荷馬車が行き交って騒がしいはずの外門は静まり返っていた。
アーロンが閑散とした状況を見回しながら言う。
「これは……思った以上だな。お城にもこのことは上がってきていたが、聞いていたよりも酷い」
「ええ、俺も昨日見た時はびっくりしました」
「はい、は~い! 私もです。ここで小腹を満たそうとしたら、食べ物の露店がないから、がっかりしたんです」
人が真面目にアーロンと話していたら、間に入ってきて、ミリアはどうでもいいような話を始める。まあ、いつもの調子が戻ってきたからいいとしよう。
アーロンも苦笑いしながら、話を続ける。
「ロキシーとフェイトの命もかかっていることに合わせて、このまま流通が滞れば最悪の場合、王都内の食料が底をつくかもしれん」
そして髭をさすりながら、難しい顔をしていた。
王都自体に食料の生産能力はほとんどなく、他の領地から流通によってまかなっていた。特に生きていく上で最低限必要な小麦粉、塩が絶たれてしまうのは厳しすぎる。
俺は王都のスラム街に五年ほど住んでいるからそれが身にしみてよくわかっていた。商業区への外門が王都への流通の要となっており、その道の先に商人の都市テトラがある。
テトラで一旦、各領地からの食料などが備蓄、検疫された後に、王都へ運ばれるのが通例となっている。それ以外のルートで入ってきた食料は認められず、もし見つかったなら厳しく罰せられるのだ。
今は、テトラまでの道中にあるゴブリン草原、ホブゴブの森の異変によって、商人たちがおいそれと来れなくなっている。
すべてではないだろう。
何人かの商人は競争相手がいない今を見計らい、命をかけて物資を王都へ運んでくるかもしれない。それでも、王都民が消費する量からみれば、微々たるものだ。
こういったときに貧乏くじを引くのが、立場が一番弱いスラム街の人々だ。
俺も以前はその枠にいたので、一年に一度くらい経験していた。
ゴブリン草原にはぐれ魔物という強い魔物がやってきて暴れだしたときには、餓死するかと思ったくらいだ。あのときは、暴食スキルからくる空腹感と、食べ物がないという絶望で本当にヤバかった。
この閑散とした外門を見るに遠くない未来、食料危機がスラム街を襲うことだろう。
「今日中に、かたをつけましょう」
「うむ、そうだな」
「もちろんです! ロキシー様のお命がかかっているんですから! フェイトさん、しっかりとしてくださいよ!」
まるで……俺がしっかりとしていないような言われようである。ぷりぷりと怒ってみせているが、ミリアなりの気遣いなのかもしれない。
ロキシーをバルバトス家の屋敷に連れて行く際に、彼女の過去を教えてもらった。そのことで距離が少しだけ近づけたのかも?
よしっ、今後の事を考えて、もう少し距離を近づけておきたい。なんせ、ミリアはロキシーが行くところ行くところに付いてくるからだ。
だから、そうなった場はに三人で仲良くしたいのだ。
今はロキシーの姿でもあるし……パンチが飛んでくることはないだろう。俺は意を決して、ミリアの頭を撫でながら言う。これはロキシーがよく俺にしてくることでもあった。
「ありがとう。心配してくれて……よしよし」
「うううぅぅ……卑怯です……ロキシー様の姿で親愛に満ちた顔で言うのは反則です」
ミリアは顔を真赤にして、なんとか持ちこたえているようだった。しかし、しばらく頭を撫でていると、ふにゃ~とした緩んだ顔になっていた。
「ロキシー様じゃないのに……ロキシー様じゃないのに……」
そう言っているけど、おとなしいミリア。されるがままだ。
これでミリアとも仲良くなれたと思っていると、アーロンに叱られてしまう。
「何を遊んでおるのだ! 早く行くぞ。そのようなことはすべてが終わった後にでも、いくらでもできよう」
「「すみません……」」
二人して謝ること……。
言うだけ言って先に外門を出ていくアーロン。彼を追っていると、ミリアから小声で言われる。
「もうっ、フェイトさんのせいでアーロン様を怒らせてしまったじゃないですか」
「ミリアがあんなに幸せそうな顔をしているからつい……」
「そんな顔はしていません」
「いやいや、していたって。なんなら、もう一度しようか?」
「それは反則です」
ミリアは走り出して、アーロンのところへ。俺も追いかけるように合流した。
さあ、ここから先は戦いだ。良い気分転換をさせてもらった。ムードメーカーたるミリアには感謝している。
◆ ◇ ◆ ◇
鬱蒼とした森の中に俺たちはいた。
足元には所々戦いによってかすれてしまっているが、奇っ怪な魔法陣が描かれている。ここは、俺とロキシーが入れ替わりの魔術をゴブリン・シャーマンによって行使された場所だ。
そしてホブゴブの森で中心部であり唯一開けたところでもある。
この場所からなら、周囲を見渡すことも可能だ。同時に敵からも俺たちが丸見えとなってしまうわけだが。それでも、今やろうとしていることはどうしてもここが効率が良かった。
「フェイト、始めるぞ」
「はい」
俺とアーロンは頷きあって、意識を集中させる。二人で、ホブゴブの森――そこにいる全ての生き物の魔力を探知しようとしているのだ。
直径十キロメートルほどある広い森を隈なく把握するには骨が折れる作業となるだろう。
時間もそれなりにかかる。アーロンの目算では十五分ほど。
それまでの間は俺たちは意識を集中させて身動が取れない。つまり、その際に手下のホブゴブやゴブリンキングなどが邪魔をしようと襲ってきたら、俺たちは完全に無防備になってしまう。
アーロンはEの領域のステータスをもっているため、格下なら攻撃を受け付けない。だが、以前に戦ったナイトウォーカーの件もある。
相手は未知の魔物……俺たちも知らない攻撃によって、Eの領域にダメージを与えられるのはEの領域だけという概念を覆してくる可能性は捨てきれない。
ようは、現状に自己過信していると、簡単に足元を掬われかねないということだ。
古の魔物ゴブリン・シャーマンは、ただのゴブリンとは違って、人間のように物事を考え、敵である俺たちをはめようとしてきた。
この戦いは魔物と戦っていると言うよりは、対人間と思った方が、不思議としっくりくるのだ。アーロンも俺と同じ見解だった。
「ミリアは、その間の守りは頼むぞ」
「はい、お任せください。この魔剣フランベルジュで邪魔をする悪い子は燃やします! フェイトさんもロキシー様のお体のために守ってあげます」
「ありがとう」
「どういたしましてです」
ミリアは魔剣を構えて、周囲を見渡す。俺とアーロンは背中合わせになって意識を集中させる。
探索領域の担当は、俺が南側、アーロンが北側だ。
昨日、ブラッディターミガンを放った方角が南だった。たしか、ここから500メートルほど離れた位置にゴブリン・シャーマンがいたのだ。
おそらく、入れ替えの術を発動させる距離の限界がその距離だったと推測している。そして、術にかかけた相手の効果を継続させるためには、対象との距離はもっと広いのだろう。
術をかけ続けるために発動と同じ距離が必要なら、ゴブリン・シャーマンは王都の中にいたことになってしまうからだ。
つまり、願わくばホブゴブの森から出ていなことを願うばかりだ。昨日片腕を失って、傷がまだ癒えていないだろうから、それほど遠くへ行っていないはずだ。
俺は目の届く周囲から、魔力の流れを探り始めた。
……嘘だろ!?
アーロンもすぐにわかっていたようで、聖剣を引き抜いて構えようとするが、
「待ってください! 皆さんはこのまま続けてください。相手は私がします!」
「しかし」
「私を信じてください。これでも王都軍では強いほうなんですから」
ミリアが魔剣を向ける先から、ゴブリン・キングが3匹現れる。おいおい、まだいるのかよ。
ゴブリン・キングって珍しい魔物で、そんなにいないはずだ。さらにはホブゴブリン・アーチャーの気配まで感じられる。三十匹ほどか……一斉に矢を放たれたら、面倒だぞ。
そう思ったときには、矢が一斉に俺たちに向けて放たれていた。360度からの攻撃である。
これはさすがに一人では守りきれないだろう。
「ミリア!」
「私だって、これくらいはっ!!」
いつものとぼけた感じとは違って、力強い声をあげた彼女は魔剣を勢いよく地面に突き立てた。
その瞬間、ミリアの魔力の飛躍的な上昇を肌で感じたのだ。
事実、俺たちを円状に取り囲むように炎の柱が空に向けて立ち上る。炎の壁は分厚く、俺たちに向けて飛んできていた矢をいとも簡単に燃やし尽くしてしまう。
ホブゴブリン・アーチャーが追撃で矢を放ち続けるが、俺たちに届くことはなかった。
「すごいじゃないか、ミリア」
「私の奥の手です。ですが、それほど長くは持ちません。手早く、索敵をお願いします」
「ああ」
アーチャーの攻撃がまったく通用しなかったため、三匹のゴブリン・キングがいきりたって、ネイチャーウェポンである大きな棍棒を振り回してきた。
しかし、大木から削り出したそれは、炎に弱くて燃え上がってしまう。そんなこともわからずに攻撃してくるとは、普通の魔物といったところだ。
十分ほど経過した頃だ。
ゴブリンたちの猛攻を一身に引き受けていたミリアも額から、汗を一筋流して呼吸が荒くなり始めていた。魔力切れが近いのかもしれない。
「まだ、ですか?」
「ふむ、儂が探っている方角は、ゴブリンの群れもすらもなく……まるで反応がないな。これ以上、北側を進めても意味がなさそうだ。フェイトはどうだ?」
「南はゴブリンの気配がたくさんあります。おそらく、ゴブリン草原の奴らまでそこに集まっているからでしょう。そのおかげで、索敵が正確にしにくい感じです。四キロ先まで終わっています。こっちが可能性が高そうですね。アーロンも加わっていただけますか?」
「わかった、そうしよう。だが、ミリアもきつそうじゃ。儂はゴブリンたちの相手をしたほうが良いかもしれんな」
アーロンがそう言って、ちらりとミリアの様子をうかがった。当の彼女は首を横に振りながら言うのだ。
「まだいけます。このくらいで皆さんの足を引っ張りたくはないです。ここだけはやり遂げさせてください」
「その負けず嫌い。嫌いではないぞ。なら、ここはミリアに任せよう。フェイトよ、さっさと索敵を終わらせるぞ」
「はい」
残りの範囲をアーロンと協力して、索敵していく。すると、ゴブリンやホブゴブリンたちとは違った魔力を感じた。それは微弱だが昨日、俺が探知したものと同じだった。
「見つかりました。場所はここから五キロ先です。ホブゴブの森の終わり付近です。もしかしたら、この森から逃げ出すつもりかも」
「ふむ、急いだほうが良さそうだな。その前に……ミリア、もうよいぞ」
炎の壁が解かれると同時に、アーロンと俺は二手に分かれて、斬りかかった。まずは前衛のゴブリン・キングたちの首が飛ぶ。
そのまま木々の後ろに隠れているゴブリン・アーチャーを一掃していく。聖剣技のアーツである《グランドクロス》を使うまでもない。
魔物の死体が地面に横たわり、静かになった頃に、体に温かい何かが流れ込んでくる感覚に襲われた。その後、不思議と力が前よりも湧いてくるのだ。
それ何かをアーロンに聞いてみると、腹を抱えて笑らわれてしまう。
「何を言っておる。それはレベルアップしたということだ」
「レベルアップ!? これが噂のレベルアップなんですね!! すごい満ち溢れるような感覚ですね。気持ちいいです!」
「そういえば、フェイトは暴食スキルの影響で経験値(スフィア)を得ることができずにレベルアップできないのだったな。今はロキシーの体ゆえ、それが可能になったわけか」
もう一度言おう! レベルアップはすごい。
癖になりそうなこの気持ちよさは……他の武人たちはみんな、こんな感覚だったのか……羨ましい。
だって、俺の場合は暴食スキルとの飢えに怯えながら、ステータスが強くなっていくのだ。強くなれるが体外は苦痛を伴う。それに比べて、レベルアップはこの幸福感だ。
唖然としているとアーロンが言う。
「レベルアップは、神であるラプラス様の祝福と言われている。言葉通り、幸福感が得られるというわけだ。連続レベルアップはもっとすごいぞ」
「本当ですかっ!?」
「こらこら、食いつきすぎだ。そのような……はしたない姿はロキシーはしないぞ」
「すみません……」
ロキシーの姿であることをすっかり忘れてしまうほど、レベルアップの感覚はすごかった。もう一度したいな……と思っていると、
「フェイトよ、それよりも、ミリアを診てやりなさい。先程無理をしただろう」
「はい」
彼女は地面にへたり込んだまま、呼吸を荒くしていた。そんな彼女の頭を撫でながら、俺は言う。
「よく頑張ったな」
「へへへ……私もやるときにはやるんです」
「なら、この先も付いてこれるだろ」
「もちろんですよ」
俺が手を差し伸べる。その手を握ってミリアが立ち上がって、笑顔をみせてくれた。
こんなに可愛く笑えるんだと虚をつかれてしまうほどだった。
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