第116話 大罪の反作用
玄関には、俺が戻っているのを予期していたかのように、メミルが立っていた。
うっすらと笑いながら、俺が抱いているロキシーを見て言う。
「やはり、そのようになりましたか。急を要するようですね。こちらへ……」
朝方、俺と入れかわったロキシーを見たときから、彼女の異変を感じていたようだった。
俺の前ではそのような素振りを見せていなかったけど、メミルが着替えを手伝った時には違ったという。一瞬だけ、立ちくらみのようにふらついたそうだ。
「俺に教えてくれても……」
「ロキシー様から、言わないように念を押されていましたので……申し訳ありません」
「そうか……」
メミルはロキシーをガリアの地へ送るために画策した過去があった。その後ろめたさのため、彼女のお願いを受け入れるしかなかったようだ。
そして、朝見せたロキシーの様子が、暴食スキルに影響される俺に似ていたという。
気のせいだといいと思いつつも、もしものために屋敷で待っていてくれたみたいだった。気が利く彼女に感謝しながら、ロキシーを自室へと運んでいく。
俺とメミルとの昔の関係は、今の真逆だった。それがまだわずかに尾を引いていることに引っかかっている自分がいる。それもしかたのないことだと思ってもいる。だって、彼女がやってきて一ヶ月も経ってはいないのだから。
互いの関係のリスタートには、俺もメミルも時間が必要なのだろう。しかし、俺たちには利害関係とも呼べるものがある。
ロキシーを助けるためにも、また今回もメミルの力を借りようとしていた。
「一昨日からまだ間もないけど、大丈夫なのか?」
「ええ、問題ありません。私としては毎日でも」
小悪魔のような顔を見せて、ニッコリと笑ってみせるメミル。何度か、してもらっている俺としても、あの感覚を思い出して苦笑いで返すしかなかった。
自室のベッドのロキシーを寝かせて、俺は後ろへ下がる。入れ替わるように、メミルが前に出て、今だに顔を歪めて苦しむロキシーを見据えた。
「よろしいですね」
「ああ、暴食スキルからロキシーを助けてくれ」
「では」
メミルはロキシーに覆いかぶさるようにかがみ込むと、大きく口を開けた。普通の人間とは比べ物にならないくらい発達した犬歯が顔を出す。それを首筋に突き立てたのだった。
吸血衝動。それがラーファルによって引き起こされた事件の末にメミルが負ってしまった体質だった。ライネ曰く、シンというナイトウォーカーの始祖によってもたらされたものだという。
彼女にもラーファルと同じように、シンの一部が移植されていた。しかし、ラーファルと決定的に違ったのは、それに適合してしまったことだ。
だから、メミルはシンの影響下に至らず、ナイトウォーカーとしての力をコントロールできるようになっていた。
通常、ナイトウォーカーに吸血されると、生きた屍のようになって所構わずに人を襲うようになってしまう。そうならないように、彼女は力を抑えることができるのだ。
メミルはナイトウォーカーの始祖までとはいないが、それに近い存在になっていた。そんな彼女でもどうしても抑えられないのが、吸血衝動だった。
これがまたやっかいで普通の人間の血では、大した満足感が得られない。そして、どの血なら自分を満たしてくれるのかは、その者を見れば本能的にわかってしまうのだという。
つまり、簡単な話……俺だった。
アーロンがお城からメミルを連れてきたあの日――バルバトス家の使用人として働くことになり、顔を合わせた時に、彼女は俺を見て、小悪魔のような笑みをこぼした。
その表情はメミルが意識的にやったものではない。血の乾きによって、無意識に出てしまったものだった。
俺はあの獲物を狩るような視線に、冷や汗をかいたくらいだ。
それ以来、ライネからも事情を聞いて、俺は週に一度。
メミルに血を捧げているのだ。そうしないと、血が欲しくて満足できないメミルが、我を忘れてアーロンやサハラに噛み付いたり、はてはお隣のハート家の人たちにまで危害を加えかねなかったからだ。
まあ……本人からはいくら吸血衝動が酷くなっても、我を忘れるほどにはならないと言っていたから、俺の予想は杞憂だろう。
初めて、彼女に血を吸われたときに俺はある発見をしてしまう。
そう、暴食スキルによる飢えが抑えられたのだ。グリードがいうには、シンが持つ大罪スキルと俺が持つ暴食スキルがぶつかりあって相殺されたらしい。
確固たる確証はないのだが、ナイトウォーカーを作り出す力……そのものがシンの大罪スキルが為せることみたいだ。その力の一部を取り込んだメミルが、俺を吸血することによって、すべてではないけど互いの力が治まったのだ。
俺はメミルが喉を鳴らして、血を飲んでいくさまを見守っていた。それにしても、すごく……美味しそうに飲んでいるな。
首元を噛みつかれる俺としては表情まで見ることはないので、あんなにうっとりとして啜られているとは思ってもみなかった。
「終わりました」
暴食スキルがかなり侵食していたようで、体の血を大きく奪ったという。メミルとしては失血死一歩手前まで吸うしかなかったみたいだった。暴食スキルからくる衝動は収まり、苦しむようなことはなくなった。
しかし、今度は大量の血を失ったことによって、意識も失ってしまった。
「こうするしかありませんでした。これでしばらくはロキシー様は大丈夫でしょう。ですが、また暴食スキルが暴れだしたら、抑えることは不可能です。これ以上は血を吸うことはできませんから」
「そうか……でも助かったよ。ありがとう、メミル」
すると、彼女は俺に顔を見せないように横を向いて咳払いをした。
ロキシーの容態が落ち着いたことで、急を要することもなくなり、ホッとした俺はベッドの横にある椅子に腰掛けながら言う。
「なあ、ちょっと聞いていいかな」
「なんでしょうか?」
「俺の血って美味しいの?」
「それは……」
「それは?」
「…………秘密です!」
教えてもらえませんでした……。がっくしと肩を落としていると、ミリアが部屋に飛び込んできた。
続いて、アーロンとサハラも中へ入っていくる。不安そうに駆け寄ってくるが、容態が落ち着いたことを話すと強張った顔が緩んでいった。
「フェイト様! 私、アイシャ様を呼んできます」
「そうだな。お願いできるか、サハラ」
「はい!」
サハラはツインテールを左右に揺らしながら、部屋を出ていった。幼いながらよく気が利く子なので助かる。
母親であるアイシャ様が来てくれると、ロキシーの看病もしやすいだろう。
メミルはバルバトス家のメイドという立場なので、他家の聖騎士である彼女の面倒を見るのは少々難しいところがあるのだ。ハート家はこういった家々の関係にうるさくはないというのはわかっている。しかし、他の家の使用人がはばかられるのだ。
たとえば、ハート家の使用人を俺がしていたときの上長さん――ハルさんも俺がお泊りするときに、顔見知りの仲であっても他の家の聖騎士であるということで、尋常ではないほどの気配りをしていたくらいだ。
俺が聖騎士らしくないというので忘れがちになるが、この王国では絶対的な特権階級であるのだ。
それを聞いたメミルは胸を撫で下ろしていた。
「アイシャ様が来てくださいるのなら安心ですね。私やサハラのようなただのメイドでは恐れ多いこともありそうですし」
「恐れ多い?」
なんだか……言葉に引っかかることがあるけど……。
その横ではミリアが、俺をどかすように座った椅子でロキシーの手を握っていた。
「ロキシー様……しっかりしてください。フェイトさん、本当に大丈夫なのですか?」
「ああ、今のところな」
ミリアやサハラには、ロキシーをどう治療したのかは言っていない。それはメミルが人の血を吸うことも教えないといけないからだ。
あまり、良いことではないので黙っていようと決めていた。メミルから、屋敷のメイドとしてきた時に、そうしてほしいというお願いを受けてもいたからだ。
吸血衝動について知っているのは、俺とアーロン、ライネ……それにエリスと白騎士たちくらいだ。おそらく、この一件が収まったなら、それに加えてロキシーも知ることになるだろう。
知られたくはない秘密を知られてしまう……その恐れは俺もよくわかる。
暴食スキルの真の力を得てから、いつそれに飲み込まれてしまい化物のようになってしまうか……しかもこの世界のレベルやステータス、スキルという理すらも逸脱している異端な存在。
……知られるのが怖かった。それを見たロキシーがどういう反応をするか……考えたくなかったんだ。
ミリアにロキシーは今は疲れて眠っていることを伝えて、大丈夫だと念を押す。そんな俺の肩にアーロンが手を置いてうなずくのだった。
「今はロキシーの体のままだが、これからどうするのだ?」
「ええ、入れ替わりの原因となった魔物がわかりましたので、そいつを倒そうと思います。そうすれば、元に戻るとライネが教えてくれましたから」
「なるほど、倒せば元に戻る術系か。リッチ・ロードと似たように呪術で魂を縛ってコントロールしているかもしれんな。今回の場合は、操るではなく入れ替えだがな」
俺が以前、ロキシーを追ってガリアを目指している時に、アーロンと出会い……そして戦った冠魔物【死の先駆者】リッチ・ロード。それは、死者の魂をこの世に留めて、死体を操る力を持っていた。
リッチ・ロードは、アーロンの妻と息子を盾にして、彼を長年に渡って苦しめていたのだ。しかし、アーロンはそのしがらみを乗り越えて、俺と共にリッチ・ロードを倒した。
その時に、支配されていた魂たちは解放されて、天に登っていたことをよく覚えている。
アーロンが言うように、今回の古の魔物――ゴブリン・シャーマンもリッチ・ロードと似たような力なのかもしれない。
「魂をもてあそぶような魔物は許すわけにはいかん。儂も参戦するぞ! よいな、フェイト!」
「はい、もちろんです。ぜひ、お願いしようと思っていましたし」
「そうか……腕が鳴るのう」
最近、お城での内勤が多かったこともあって、アーロンは戦いたくてウズウズしていたようだ。初めから、それを予期していたのだろう。
この部屋に入ったときから、帯剣していたし。
彼はことにこういう戦いへの嗅覚は尋常ではないのだ。Eの領域にも達してしまったことだし……どんどんパワフルお爺ちゃんになっていく。今だに成長中なのである。
「俺はロキシーの体で戦うことになりますから、魔物がもしEの領域なら、アーロン頼りになってしまいます。あの……ラーファルとの戦いの傷はもう良いのですか?」
「ふむ、このとおり。完治しておる。任せておくのだ」
頼もしすぎるぜ。アーロンがいると基本的に負ける気がしない。
まだ見ぬゴブリン・シャーマン討伐に鼓舞していると、ミリアが割って入ってきた。
「私を忘れないでくださいね」
「ほう……ミリアも付いてくるのか? フェイトよ」
「はい、今回はホブゴブの森のどこにその魔物が居るのか分かりませんから、人数が多いほうが良いかと。あと、彼女の心情もありますし」
「落ち着きがないところが玉にキズだが、良い腕をしておるからな。うむ、よろしく頼むぞ」
「はい! えへへ……剣聖のアーロン様に褒められてしまったです」
俺が褒めても嬉しがらないくせに、アーロンだとぜんぜん違うな。この差が一体なんだろうと思いつつ、釘を差しておく。
「調子に乗るなよ。失敗は許されないんだからな」
「わかってますよ。本当にフェイトさんは口うるさいんだから……困ったものです」
注意しておいたのに、最終的に俺が悪い感じになってしまった。なんだか釈然としないぜ。そしてミリアのあの得意げな顔が……。
「フェイトさんは、どこか抜けたところがありますし。私が付いていかないと!」
「こらっ、俺を勝手に間抜けキャラにするなよ。ですよね、アーロン?」
「ん? …………そうだな」
嫌な間があった。もしかしたら、俺ってミリアが言うように、抜けているのか……そんなバカな……。
グリードに聞きたいけど、今はロキシーの体で読心スキルを持っていないのでダメだった。俺が黒剣をロキシーが寝ているベッドの横に置いて、何かあったときのためにグリードにお願いしておく。
「ロキシーのこと頼んだぞ」
返事はないけど、なんとなく「今回は俺様抜きでやってみろ」という声を聞いたような気がした。
部屋を出ていこうとするが、その前にドアが開かれた。入ってきたのはアイシャ様とサハラだった。
普段は飄々としているアイシャ様でも、今回ばかりはよほど心配だったのだろう。ここまで走ってきたようで息切れをしていた。
「ロキシーはどうなの?」
「今は落ち着いています。これから、入れ替わりの元凶を絶ちに行くところです」
「そう……」
アイシャ様は眠るロキシーを見て、次第に落ち着かれていった。彼女は夫であるメイソン様を失って、まだ一年も経っていないのだ。
朝、俺たちにいろいろとイタズラをして困らせていたけど、内心では不安があったのかもしれない。大事な一人娘の身に入れ替わりが起きて、今はこうして意識を失って眠りについているのだ。
これで心配しない親はいないだろう。
だがしかし、根っからなイタズラっ子な彼女を俺は失念していた。そう、辛い状況だからこそ、あえて明るく振る舞う彼女のこと……。そういったところは娘であるロキシーと似ている。
部屋から出た俺の耳に、戻りたくなるような話が聞こえてきたのだ。
(汗をたくさんかいていますね。体を拭いて着替えをしないと! メミル、サハラ! 手伝ってもらえますか?)
(それって裸にするってことですよね……ゴクリ……)
(しかし、フェイト様のお体ですよ。それはちょっとまずいのでは)
(わっ私も、メミルさんと同じ意見です!)
(何言っているの! フェイトの体でも、中身はロキシーです。母親である私が良いといえば、なんの問題もありません!)
((なるほど!))
えっ!? 納得しちゃったよ!
(さあ、脱がしますよ!)
((はい!))
俺の体はどうなってしまうんだ。なんで、メミルとサハラは清々しいほどの良い返事をしているんだ!
そこは止めるところだろう!! アイシャ様を呼んできたのは失敗だ。明らかな人選ミスが起きているぞ。
やっぱり、部屋に戻ろう。そう思ってドアノブを握ろうとするが、
「何をしておる! 急ぐぞ、フェイト」
「そうですよ。早く、ゴブリン・シャーマンを倒さないと!」
右腕をアーロン、左腕をミリアに掴まれしまう。そのまま、廊下を進んで行き、一階の玄関へ。
「ちょっと待って、俺の部屋で何やら危険な香りがするんです!」
「おかしなことをいう。アイシャが来てくれて看病してくれるのだぞ。これ以上のことはないではないか」
「アイシャ様が直々に見てくれるのです。羨ましいですよ」
「いやいや」
屋敷の外から俺の部屋を眺める。すると、女性たちの声が聞こえてきたのだ。
どう考えても、俺の体は危険な状態だ。あそこへ戻れないのならば、一刻も早くゴブリン・シャーマンを倒さないといけない。
俺は腰に下げている聖剣に手を当てて、ホブゴブの森へと駆け出す。うん、ロキシーの体にもかなり慣れてきた。
まずはゴブリン・シャーマンの腕が落ちていた場所へ行こう。
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