第115話 ミリアの過去

 一刻も早く、暴食スキルからの衝動を低減させるために、ロキシーを抱えた俺は研究室の窓から飛び出した。


 相当な高さだったが、聖騎士である彼女の体なら問題ない。それに俺もこの体に慣れてきたところだ。


 見た目の線は細いが、日頃の鍛錬とステータスの加護によって、入れ替わっているロキシーの体は想像以上に力強くて機敏だった。


 飛び降りた窓からミリアが顔を出して、とんでもない行動に出た。


「私も行きます! とうっ!」

「コラっ!! なんて無茶なことを!!」


 俺たちの後を追って来たのだ。まったくもって後先を考えていないな。

 いつものことのように思えるけど、もしかしたらロキシーの件で気が動転しているのかもしれない。


 俺はミリアを受け止める。


「どうなってもしらないぞ。俺の背に!」

「はい!」


 両手はロキシーで塞がっているため、ミリアには背にぶら下がってもらう。


「フフフッ……ロキシー様の体……柔らかいです」

「このっ、非常時になんてことを!」


 背に頬ずりしてくるミリア。それをなんとか我慢しながら、並び建つすぐ隣の建物に目を向けた。


 俺とロキシーなら、そのまま地面に着地した衝撃もなんとかなる。だが、ミリアは聖騎士ほどのステータスはないのだ。

 着地したときに大怪我をしてしまうだろう。


「手間がかかるやつだな」

「私だって、ロキシー様が心配なんです。仲間外れは嫌です!」

「なら、しっかりと掴まっていろよ」

「はいっ」


 俺は今いた研究所の壁を横に強く蹴って、落下スピードにブレーキをかける。そして、すぐ隣の建物へ向かって、同じように壁を蹴った。


 後はその繰り返しで、落ちていく速度をコントロールしていく。


 一直線に地面の方が早いけど、これでもそこそこのスピードで降りれるはず。正直なところ、ミリアが付いてくるとわかっていたなら、研究所内にあるエレベーターがよかったかもしれないな。


「もうすぐ地面だけど、そのまま掴まっていろよ」

「わかりました」

「へぇ~、いつもと違って素直だな」

「私だって……こんな時までわがままは言いません」


 そう言って、ミリアはプンスカと怒っていった。俺としては、日頃の行いがわがままだと自覚があったことにびっくりだ。


 地面に着くと、そのまま一気に駆けて軍事区と聖騎士区を隔てる壁を飛び越える。本来なら、門を通っていくのが通例だけどそんな悠長なことをしてはいられなかった。


 聖騎士の筋力を持ってすれば、見上げるほどの壁もひとっ飛びだ。空中でふんわりとした無重力感を覚えていると、ミリアが心配そうな声で聞いてくる。


「ロキシー様は、本当に大丈夫ですよね……」

「うん、すぐに元に戻るさ。まずは、その前に俺の屋敷へ連れて行く。その後にゴブリン・シャーマンを倒す」

「私も戦います! ゴブリン・シャーマンを倒すんです。私にとってロキシー様は大事な人ですから……」

「今回はミリアを連れてはいけない」


 俺はアーロンへ助力を求めて、二人でゴブリン・シャーマンと戦おうと思っていた。彼のステータスはEの領域にあり、この王都では一二を争う実力者だ。


 可能なら、エリスの側近である白騎士にも力になってもらいたい。しかし、エリスだけに忠誠を誓う彼女たちとはどうも馬が合わないのだ。それにエリス不在の王都で、王に代わって職務を遂行しているため、頼みづらいこともあった。


 それに比べてミリアは明らかに実力不足だった。おそらく、古代の魔物と戦うなら少なくとも聖騎士ほどの強さがほしい。

 ロキシーと一緒に屋敷で待つように言う俺の肩を強く握って、ミリアは言う。


「私だって、ロキシー様の力になりたいんです……ロキシー様だけだったんです……私を助けてくれたのは……」


 助けてくれたか……その言葉は俺の胸に突き刺さる。


 ラーファルたちの下で働いていた時に、謂れなき暴力を振るわれ死にかけていた俺を助けてくれていたのはロキシーだった。


 そして、ガリアの地で彼女を助けるために戦っていたけど、結局は暴食スキルの負荷でどうしようもなくなりつつあった。そんな俺は彼女に救いを求めていただけだった。


 いやはや……なんともカッコ悪い話だ。意気がって彼女を助けると言って、このざまなのだから。


 それとは別にして、ミリアにも俺とは違った恩があったようだ。


 屋敷に着くまでに背の後ろで、ポツリポツリと話し始めた。


「私はフェイトさんと同じ孤児だったって言いましたよね」

「ああ……」

「ほら、私って孤児のくせに魔剣技スキル持ちですから、物心がつく前からいろいろとありまして……」


 彼女は物心がついたときには、孤児院にいたそうだ。なぜ、魔剣技スキルを持つ子を親は捨てたのかは定かではない。鑑定士に生まれた子のスキルを調べてもらうにもそれなりのお金が必要だ。


 だから、それすらもできないほどの貧しい家庭だったのだろうか。


 そのまま、彼女のスキルがわからないままだったら、この先に彼女の身に起こることは防げたのかもしれない。ある日、孤児院に訪ねてきた商人が慈善活動だと言って、孤児たちのスキルを鑑定したことで全ては始まった。


 唯一、ミリアだけが特別なスキル――魔剣技を持っていたのだ。


 とんでもない掘り出し物を見つけた商人は目の色を変える。

 そして、シスターに彼女の面倒を見てやり、将来何不自由なく暮らせるように計らう。合わせてこの子を譲ってくれたら孤児院に大金を寄付するとまで言ったそうだ。


 人の良いシスターはその言葉を信じてしまった。まあ……そうだろうな。いい人でなければ……人を信じれなければ、見返りもなく孤児たちを育てることはできないだろう。


 現に、ラーファルによって持たざる者たちを人体実験に使われたときも、シスターたちは彼を信じて簡単に騙されてしまった。救いを信じて、救いを求めている……そういう人たちなのだ。


 こういったことはスラム街ならよくあることだ。だから、ラーファルの一件で多くの持たざる者たちの命が失われてしまったけど、シスターたちを悪く言う者はいなかった。


 ミリアも同じように、自分を売り渡したシスターを恨んではいないようだった。

 だが、商人に連れられていった先はある聖騎士の領地だった。そこで首輪を付けられた。言うことを聞かなければ、耐え難い痛みが首から全身に流れるという魔器だった。


 ほぼ奴隷という扱いで、五年という歳月を過ごしてきたようだ。最低限の食事が与えられ、彼女は休みなく領地内に入ろうとする魔物の退治をしていた。


「おかげさまで、たくさんの経験値(スフィア)を得ましたから、これでもレベルは高いんですよ」


 さらっと話していたけど、幼い子供が魔物と戦い続けたとは……。俺が彼女のいう歳で、魔物と戦えるかと思うと、厳しいだろうな。


 俺の初陣はグリードが一緒にいてくれていたから、なんとかなったようなものだ。強いスキルを持っているからと言って、強い心を持っているとは限らないのだ。そのような心は、戦いを重ねることで育てていくものだと思っている。


「戦って、戦って……繰り返していくうちに、この終わりのない戦いはいつまで続くんだろうって思うようになっちゃったんです。レベルも上がったことだし、ステータスも結構イケてると予想してですね。賭けに出たんですよ」

「まさか……」

「ほら、ここを見てください」


 バルバトス家の屋敷への道を駆けりながら、ミリアの首筋を見ると、うっすらと切り傷の痕が残っていた。いや、火傷のような痕とも言えるだろうか……。


「首と首輪の隙間にですね。炎の魔剣の先を突っ込んで、焼き斬ったんです。死ぬほど熱かったんですけど、運良く私が死ぬ前に首輪が切れました。そして、命からがら王都へ逃げ込んだわけです」


 他に行く宛もなく、彷徨い歩いたミリアは華やかな王都へ引き寄せられるように、たどり着いたのだという。これほどの都なら、自分でも何かできることがあるかもしれないと思ったようだ。


 その考え方……発想……なんか俺と似てないか!? いやいや……ミリアと同じレベルのはずがない!! だよな……?


「どうしたんですかっ? 話を聞いているんですかっ? 私がこんなにも真剣に話をしているのに!」

「聞いているって、それはもう真剣に、聞き入っちゃったんだよ」

「本当ですか~」

「失敬な、バルバトス家の当主である俺がそのようなことをするわけがない!」

「いつもは家の名前を持ち出さないのに……なんか怪しいですね」


 肩を掴む手に力を感じるぜ。だが、すぐに弱まっていく。


「まあ……いいです。一文無しで……ボロボロの服を着て王都のスラム街を彷徨っていたら、お腹が空き過ぎて倒れちゃったんですよ。そこで……」

「ロキシーに拾われたわけか」

「あっ、なんで先に言っちゃうんですか。大事なところなのに!」

「まったく……そういうところが駄目なんですよ」

「ごめん、ごめん」


 少しの間、またしもプンスカと怒らせてしまった。でもすぐに気を取り直してくれて、話の続きをしてくれる。


 ロキシーに拾われて屋敷でしばらく介抱されたという。すっかり元気になった彼女はロキシーの別け隔てない人柄に惹かれて、仲良くなってしまったのだという。


「もう誰も信じないって思っていたんですけど、ロキシー様だけなら信じてもいいかなって思ったんです。まあ……フェイトさんならわかってくれると思いますけど。今ではムガンさんやライネなど輪が広がっているんです。ロキシー様に感謝です」

「そっか……」

「いろいろ考えて、ロキシー様のお役に立ちたくて王都軍へ入ったんです。ほら、魔剣技スキルって希少ですから。でもそのときもロキシー様のお力を借りてしまいましたけど。ダメですね……私。今回のことだって、あまり役に立てていないし」


 元気だけが取り柄のくせして、ふと弱気なことを言ってしまうミリア。いつもは強がっているのかもしれないな。

 俺は目前に迫ったバルバトスの屋敷を見ながら言う。


「ダメじゃないさ。わかったよ、一緒にロキシーを助けよう。力を貸してくれるか、ミリア」

「はい、ありがとうございます」


 嬉しそうに返事をするミリアは俺の背中から飛び降りた。屋敷の門の前までやってきたのだ。


 門を開けてくれながら、彼女は言うのだ。


「私のことを教えたんですから、今度はフェイトさんのことを教えてくださいね。嫌とは言わせませんから!」

「ああ、ゴブリン・シャーマンを倒したら、教えてやる。長話になって、途中で寝るんじゃないぞ」

「それは、話の内容によりますね。面白くなければ、寝ます」

「俺の人生を面白いか、面白くないかで判断するんじゃない」


 ケラケラと笑いながら、ミリアは屋敷に入っていき、アーロンを呼びに行ってくれたようだ。


 いままで彼女と距離を感じていたけど、少しだけ縮まったような気がした。俺は今もぐったりとしているロキシーを抱いて、屋敷の中へ入った。

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