第114話 古代の魔物

 モグモグと持ってきたサンドイッチを食べるライネ。俺とロキシーは昨日から何も食べていないという彼女の食事が終わるのを待っていた。

 それに便乗しようとミリアはバスケットの中へ手を突っ込もうとする。


「コラっ、お前の分はないから!」


 咄嗟に彼女の手を掴んで、止めようとするが、


「いいじゃないですか。私は朝食も食べずに待っていたんです! ロキシー様~……私も食べていいですよね」


 ミリアはロキシーに猫撫で声でお願いする。いつもの光景なのだが……姿が俺なので、とてつもない違和感を覚えてしまう。


 傍から見れば、仲のよいフェイトとミリアだ。中身がロキシーなのでそうなっているだけで今の現状を知らない者ならば、驚きを隠せないだろう。


 それくらいありえない光景だった。


 ライネも珍しい生き物を見るような目で見ていたくらいだ。

 なんだかんだいって、ミリアに甘々なロキシーはため息を付きながらも言うことは決まっていた。


「仕方ないですね……。ライネさん、サンドイッチを分けてもらってもいいですか?」

「いいけど、そのかわり後でしっかりと検査させてね」


 ロキシーが用意してくれた物なのに、この言いようは相変わらずだな。もらったら、もう私の物というこの思考……私情を挟まない合理的なところが研究者として向いているのかもしれない。探求のためなら恥じらいもなく、グイグイ来るので、そのたびに俺は困り果てたものだ。


 とりあえずはライネの了承を得たことで、ミリアもサンドイッチにいただけるようになった。


「ロキシー様の手作りサンドイッチですっ!」


 はむっと小さな口で懸命にかぶりつきながら、感極まって滝のような涙を流していた。


「最高です! もういつ死んでもいいくらいです」

「縁起でもないことを言うなよ」

「このところ、ロキシー様の手料理を食べまくっているらしいフェイトさんにはわからないのです。この幸せ者がっ、私と変わってください!」


 プンスカと怒りながらも、懸命にサンドイッチを食べていく。俺とロキシーが入れ替わったことに初めのうちは戸惑っていたようだったけど、段々と慣れてきたみたいだ。


 しかし見た目がロキシーということで、たまに無意識に体を寄せようとしてしまい、我に返って顔を赤くしていた。


「これは非常に難題ですね。見た目がロキシー様に抱きつこうとしたら、フェイトさんに抱きつくことになってしまい。中身がロキシー様に抱きついてしまえば、傍からはフェイトさんに抱きついているように見えてしまう。私はどうやって抱きつけば良いのでしょうか?」


 ミリアは人生の岐路に経ったような顔をして、俺とロキシーに聞いてきた。


「知るかよっ!」

「ミリア、とりあえず私に抱きつくことから離れなさい」


 そんな俺たちにライネは、最後のサンドイッチを食べながら言う。


「君たちは本当に賑やかだね。こんな騒がしい食事は久しぶり。さて、そろそろ本題に入ろうか」


 ポケットから取り出したハンカチで口元を拭き取ると、彼女は俺たちを別室へと案内する。たしか隣は検査機器が置かれている部屋だ。


 ここで俺やグリードが精密検査を定期的にされている。ん? そういえば、グリードの奴はどうしたんだろうか?


 腰に下げている剣に手を当てるが、反応がなかった。

 あっ……そうだった。今はロキシーの姿なので、装備しているのは聖剣だ。ということは、グリードはロキシーが持っていることになる。


 入れ替わったことに、気を取られ過ぎてあの小うるさい相棒を忘れてしまっていた。彼からも話を聞いておきたいと思って、前を歩くロキシーに声を掛ける。


「グリードと話したいから、黒剣をもらえるかな」

「そうですね、グリードさんの意見も必要ですね。私もずっと持っていたのに忘れていました。はい、どうぞ」

「ありがとう」


 さて、読心スキルを発動させて……おや……!?


「グリードと話せない!」

「えっ」


 俺とロキシーが顔を向き合って、この状況に驚いていると、ライネに笑われてしまった。


「それはそうでしょ。だって、今は入れ替わっているし。スキルはね、魂ではなく体に宿っていているの。だから、読心スキルを使えるのはロキシー様ね。でもどうかしら、入れ替わったばかりでまだスキルと魂が馴染んでいないかも」


「試してみます。フェイ、グリードさんをこちらへ」

「わかった」


 ロキシーへとグリードを返して、読心スキルで会話できるかどうかを待ってみる。

 始めのうちは何も反応が無いようで、彼女は首を傾げていてうまくいっていないようだった。何度か試していると目を大きく見開いて、ロキシーが声を上げる。


「グリードさんの声が聞こえます! 思っていたよりも、低くて渋声なんですね」

「あと態度が悪いから、気をつけてな」


 グリードの注意点を言うが、笑われてしまった。話してみると、紳士で良い剣だと言うのだ。

 そんなはずはない。グリードは偉そうで強欲の塊のような奴なんだ。


「信じられない……」

「そんなことを言わないの。グリードさんはフェイの相棒でしょ」

「……ちょっとまだ腑に落ちないけど、わかったよ。なんて言っているんだ?」

「えっとですね」


 ロキシーは黒剣と向き合って、何やら頷き始めた。そして、最後は顔を赤くしてしまう。

 一体……何を話しているんだ。気になって仕方ないぞ。


「ロキシー、どうしたんだ?」

「それは……」


 言葉を濁しながらも、話してくれた内容は俺がロキシーの体でエッチなことをしないように見張っておいた方が良いというアドバイスだった。


 くそっ! なんてことを言ってくれるんだよ、グリード!

 俺がそんなことをするわけが……………ない……だろうがっ!


「心外だな。長い付き合いなのにグリードは酷いことを言うなぁ」

「今さっき、物凄く目が泳いでいましたよ」

「ロキシー様の言う通りです。フェイトさんもやはり男の子ですからね。これは今晩私がロキシー様のお体に何もしないように見張っておく必要がありそうです!」


 ここにきて、俺への信頼が危ぶまれていた。みんな、朝からの流れを思い出してほしいものだ。

 俺がいやらしいことを考えていただろうか。否! 入れ替わった状況をどうにかしようと慌てていた。


 今は落ち着いてきたから、少しばかりは……思うところがあるけど、それは健全な若い男としてある程度は見逃していただきたい。

 すると、ロキシーが俺を見つめながら言うのだ。


「私はフェイを信じていますから、大丈夫です!」

「ええええぇぇ、いいんですか! それで!」

「大丈夫です!!」


 ミリアはロキシーに必死に考え直すようにと言っていた。だけど、彼女の考えは変わることはなかった。


 なんだかんだ言って、最後は俺を信用してくれている。それに、このままでは命に関わるという。

 ロキシーの体になったことに邪な感情など持っている暇はないのだ。


「ありがとう、ロキシー」

「いえいえ、フェイとはガリアでいろいろとありましたし。これくらいなんてこともないです」


 頷き合っていると、横から咳払いは聞こえてきた。振り向けば、ライネが口をへの字に曲げているではないか。


「君たち、そういうことは後にしてもらえるかな。わかっているの? このままだと大変になることを!」

「「すみません」」


 ロキシーと話している時、どうしても楽しくなってしまうのだ。わかっていても、こうなってしまう。最近できた俺とロキシーの悩みの一つだ。


 二人して反省しているとミリアが偉そうに言ってくる。


「そうですよ! 今は大事な話をライネさんがしようとしているのです。ちゃんと聞かないと!」

「「ミリアがそれを言う!?」」


 元を言えば、彼女が俺たちを振り回していた。それなのに自分のことを棚に上げて、上から目線で言ってくるものだから、激甘のロキシーも今回ばかりは雷を落としていた。


 あんなに叱るロキシーは初めて見た。凛々しくてかっこよかったぜ。

 いつもなら保護者役のムガンがいるから、ミリアの暴挙を未然に防いでくれていた。しかし彼はエリスと共に山岳都市にあるラーファルの拠点に調査をするために向かっていた。


 ムガンがいないと本当に大変だな……そう痛感させられる。

 ライネもそれがわかっているみたいで、ミリアの首根っこを掴んで部屋の外へ連れて行った。


「えっ、なんですか? なぜに外へ。ちょっと待ってください。ライネさ……ん…………」


 ドアを締めて、さっと鍵をかけてしまう。締め出されたと知ったミリアがドアに付けられた分厚いガラスの向こうで、泣きながらこっちを見ている。

 ライネはそれを無視して、俺たちのところへ戻ってきた。


「邪魔者は消えたわ。やっと話せる。ミリアがいたら、いつも話が脱線に脱線を重ねて、戻ってこないから」

「あぁぁ……それはよくわかる」

「私も……」


 誰一人として、ミリアが閉め出されたことについて可哀想だという声は出さなかった。今回ばかりは満場一致で、退場やむなしだ。


 横目で見ると、ドアの向こうでミリアが捨てられた子猫のような目で俺たちを見ていた。気にしないでおこう……やっと静かになったのだ。


 ライネはミリアがいるドアの前を通り過ぎていく。そして機材の奥へ。

 しばらくして緑色の液体に満たされたガラスの容器を台車に乗せて戻ってきた。その中には、灰色の腕が入っている。


「これって、昨日のやつだよね」

「そうよ。大事なサンプルだから、腐らないように処理したの。どういいでしょ?」


 とろけるような笑みをこぼしながら、ライネは同意を求めてきた。魔物の腕が入ったガラスの容器に頬ずりまでしている。


 ロキシーは魚が死んだような目で顔をひきつらせる。俺も似たようなものだ。


「それよりも、その腕はどんな魔物のものか、わかったの?」

「もちろんよ! 聞いて驚かないでね」


 そして、またうっとりと溶液の中にある灰色の腕を見始めた。待てども待てども、続きを話そうとしないライネに俺とロキシーは声を上げる。


「「早く、教えて!」」

「わかったから、そんなに大きな声を出さないで」


 ライネは大事そうにサンプルを机の上に置いて、説明を始めた。


「これは解析の結果、四千年以上前に絶滅したはずの古代の魔物よ。現存する魔物と照合しても、同じものが見つからなくてね。それで、ガリアで発掘される古代の化石まで手を伸ばしたの。そしたら、ビンゴ!!」

「絶滅した古代の魔物……」


 頭の中によぎったのは、ガリアで緑の渓谷という場所――荒廃した大地で唯一緑のオアシスとも呼ばれるところで見た石化した魔物たちだった。


 それは、渓谷の地下で静かに永遠の眠りについていた。グリードが言っていた現代の魔物とは比べ物にならないくらい凶悪だったと……。


「なぜ、古代の魔物がホブゴブの森に出現したんだ?」

「それはわからないね。だけど、こいつはゴブリン・シャーマンと呼ばれる魔物らしい。ガリアの遺跡でね、古代の魔物についてのデータを得ていたんだ。まさか、こんなところで役に立つとは思いもしなかったよ」


 そう言いながら、後ろを向いて機器を操作し始める。すぐに目の前にある大きなモニターに灰色の魔物が映し出された。


 頭にはロックバードの羽で作ったと思われる飾りを身に付けている。そして、手には大きな錫杖を持っていた。


 体格はゴブリンよりも大きく、ホブゴブリンよりも少し小さい。

 一番気になったのは、目だ。ゴブリンは普通二個の目を持っている。だが、ゴブリン・シャーマンは四つ目だった。


「気味の悪いゴブリンだな……」

「ええ……異質ですね」


 俺とロキシーの見解は同じだった。

 見るからにおぞましいゴブリン。それが、俺たちを入れ替わらせた魔術を使ったというのだ。


 古代の魔物なら、現代に生きる者らが知らないような失われた秘術を扱えてもおかしくないだろうと、ライネは言う。


「興味深いね。ぜひ、腕だけではなく。ゴブリン・シャーマン本体もサンプル化したいところかな」

「それよりも、入れ替わりを解除する方法は?」

「簡単だよ。地面に描かれていたという魔法陣を見せてもらったけど、この術式の描き方なら現代にも似たようなものがある。まあ、入れ替えという奇天烈なものではないけどね」


 ライネはニヤリと笑って簡単に言う。


「倒せばいいんだよ」

「それだけでいいのか?」

「うん、この系統は呪詛系だからね。術者が魔力を消費して行使し続けないといけないんだ。今もどこかで君たちに呪いをかけ続けているはずさ」


 薄暗いホブゴブの森で、腕を奪われた恨みと合わせて、呪っている姿を思い浮かべる。

 考えただけで、気分のいいものではないな。


 解決法がわかったのなら、すぐにでも動き出したい。なぜ、古代の魔物が現れてしまったのかは、入れ替りが解除できてからゆっくりと思案すればいい。


「ロキシー、ホブゴブの森へ……!?」


 彼女に声をかけようとするけど、様子がおかしい。額に尋常ではないほどの汗を浮かべている。


「フェイ……」


 俺の名を呼ぶのが精一杯だったようで、そのままくずれおちて床に倒れ込みそうになってしまう。慌てて、受け止めるけど意識を失ってしまった。


 すぐにライネが真剣な顔して、ロキシーの容態を見ていく。そして俺がいつも使っている検査機器の上に寝かされてしまった。


 十分ほど経っただろうか。俺はただあたふたとしていた記憶しかなかった。普段ならグリードの助言を仰げるのに、今はロキシーの体だから読心スキルが使えない。

 検査結果を聞かされた時、俺は愕然とした。


「君ならよく知っていることが彼女の身……魂に起こっているようだ」

「それってまさか……」

「暴食スキルによって飢餓状態になりかけている。そのとてつもない衝動に彼女の魂が持ちこたえれずに、気を失ったようだね」


 ライネが言うに、俺は暴食スキルを持って生まれたため、その耐性も少なからず持ち合わせているそうだ。


 さらに、俺はルナという魂の防壁がある。彼女が普段の暴食スキルから湧き出す飢えを軽減してくれている。これらによって、今までなんとか正気を保ってこられたのだ。


 それがロキシーにない。


 つまり、暴食スキルの現状を考えると……彼女にはおそらくガリアで天竜を喰らったとき……いやそれ以上の飢えが襲いかかろうとしている恐れがある。


 思っただけでも、身の毛もよだってしまう。

 ライネもここまで酷くなるとは思っていなかったのだろう。


「症状が悪化していく前に、ゴブリン・シャーマンを倒したほうがいい。このままではロキシーの魂が保たない。彼女は私が看病しておくから」


 しかし、俺は助けになる人物の顔を思い浮かべていた。


「いや、先にバルバトス家へロキシーを連れて行こう。そこで彼女を診てくれないか」

「えっ!? それってどういう……」

「すまないけど、先に行っているよ」

「あっ、ちょっと!」


 俺は答えることなく、ぐったりとして眠るロキシーを抱き上げると、ドアを開けた。


 外で心配していたミリアはこのときばかりは、口を開くことなかった。おとなしく俺と共にバルバトス家へ付いてくる。こういったときはちゃんと空気を読める子なのだ。


 急ぐか……屋敷にはメミルがいるはずだ。今の彼女なら、きっとロキシーを助けてくれる。

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