第113話 ライネの研究室
研究所は二十階建てで見上げるほどの大きさだ。これほどの高さのものを建築する技術は、ガリアの中心部にある放置された都市を参考にしているそうだ。
あそこにある建物は遠目からしか見ていないが、百階から二百階以上はあった。それと比べると劣っているので、ガリアの技術のすべては再現できていないのだろう。
警備する兵士たちに挨拶をして中へ通してもらう。
研究所の中はランプとは違った照明が使われている。ライネから教えてもらったのだが、軍事区で魔導発電所というものがあって、そこから得た電気を使って所内を明るく照らしているのだという。
俺の姿をしたロキシーが、天井で光を放っているものを指さしながら言う。
「フラメントという特殊な鉱石らしいですね。なんでも、電気を流したらああやって光り輝くとか。このような技術が軍事区だけでなく、王国中に広まると人々の暮らしはもっと良くなるでしょうに」
「そうなんだよ。こういったガリアの失われた技術は、魔科学と言われていたみたいなんだ。ライネからの受け売りだけどさ。これが広まれば、生まれ持ったスキルに依存しなくてもいい世界ができあがるかもしれないってさ」
「素晴らしいです! そのような世界が早く実現するといいですね」
ロキシーはそのような時代を想像しながらワクワクしていた。そんな彼女に俺は、エリスとアーロンなどと進めている事業を教えることにした。
本当なら出来上がったところでお披露目してビックリさせたかったけど、事前に伝えておいてもきっと実物を見れば驚くに違いないと思った。
「実は、バルバトス家の領地――ハウゼンで軍事区の技術の共用を進めているんだ」
「ええっ、そうなんですか!?」
彼女は飛び跳ねるほど驚いていた。それもそうだろう。
今まで、軍事区の研究は王国の秘匿とされて、一般市民には決して触れることすら許されなかったからだ。
しかし、王都にエリスが戻ってきたことによって、状況は変わり始めた。
「エリスが魔科学都市のモデルケースとして、ハウゼンを選んでくれたんだよ。今は魔導発電所を建設中なんだ」
「もうっ、教えてくれてもいいのに!」
「ごめん、ごめん。ある程度、都市が形になったら、ロキシーを招待しようと思っていたんだ」
「フェイが言っていた。スキルに依存しない都市への第一歩ですね。そのときはぜひ!」
俺たちは真っ白な通路を歩き、自動で昇降するエレベーターという乗り物に入った。
ライネの研究室は最上階――二十階にある。その階へのボタンをロキシーが押してくれると、エレベーターのドアが自動的に閉まり動き出す。
「いつ見ても不思議ですね。勝手に動いていくこの感じは」
「俺も慣れないな。中に入れば行きたい階まで連れて行ってくれるのは楽だけどさ」
「そうですね。楽ちんですね」
エレベーターの狭い密室の中でハウゼンについて話していると、上昇が止まった。パネルの表示に二十階と出ている。
さて、ライネの研究室に行きますか……開き始めた扉から出ようとした時、淡い栗色の髪をした子が顔を出した。
そして、ロキシーの姿をした俺を見つけるやいなや、飛び付いてきたのだ。慌て、ロキシーの背後に退避する。
ドガッという大きな音を立てて、彼女はエレベーターの壁に顔から激突したのだった。
「痛~いです! ロキシー様、なんでよけたんですか!? しかも、フェイトさんの後ろへ」
「えっと……怖かった?」
「酷い! いつもだったら受け止めてくれて、おはようのキスをしてくれるのに!」
それを聞いたロキシーが顔を真赤にして、否定する。
「しません! ミリア、嘘を言わないでください!」
「??」
ミリアは俺とロキシーを交互に見ながら、首をひねった。
そして、眉をひそめていうのだ。
「なんだか……すごく違和感を感じます。ロキシー様の話をしているのにフェイトさんがそれを否定するし。二人の話し方や雰囲気がいつもと違います! ロキシー様がフェイトさんみたいで、フェイトさんがロキシー様みたいです。あれ、私は頭がおかしくなってしまったのでしょうか?」
「えっ、いつものことだろう。おかしな言動はさ……」
「何をいうですか!? フェイトさん……いや、ロキシー様? やっぱりおかしい!」
ミリアが状況を飲み込めずに混乱し始めた。なんとなく頭から湯気を出しているようにも見える。
しかたないので、ここでも俺たちはエレベーターから降りて、入れ替わったことを説明していく。三度目ともなれば、手慣れたものだ。
ミリアは困惑しながらも、すぐに納得してくれた。意外にも適応能力が高い子だ。
「なるほど……わかりました。今はフェイトさんの体にロキシー様が入っているんですね。そして、ロキシー様の体にフェイトさんが……なんて羨ましい! 私がロキシー様と入れ変わりたかったです。そしたら、あんなこともこんなこともし放題です! ぐへへへへへ……」
本人を目の前にしてとんでもないことを平気で言うな……。見ろよ、ロキシーが青い顔して半泣きになっているじゃないか。
「よかったです。フェイと入れ替わって。ミリアだと私の体はどうなっていたことやら……」
胸に手を当てて、安堵するロキシー。俺はそんな彼女の肩に手を置いて同情するのだった。
ミリアは今日、ロキシーが結果を聞きに来ると踏んで待ち伏せをしていたようだ。聞いてみたら、エレベーターの出口の前に二時間ほど前から居たと言うので、その執念はある意味ですごいと思う。
さぞかし、その間研究所の職員たちの迷惑になったことだろう。
「相変わらずの暴走娘だな」
「くぅ~、ロキシー様のお顔でそのようなことを言わないでください。ロキシー様なら、なりふり構わず待ってくれていたなんて、嬉しいわって言ってくれます!」
「私はそんなことはいいません!」
いつも、三人揃うとややこしくなっているのに、俺とロキシーが入れ替わっているため輪をかけて騒がしくなっている感じだ。
「私はどうすればいいんですか!?」
「なんだ、なんだ? どうした?」
「だって、これじゃあ……ロキシー様に抱きつけません! ロキシー様の姿をしたフェイトさんだし。ロキシー様はフェイトさんの姿をしているし……私はどうしたらいいですか!?」
「知るかよっ!」
「知りません!」
血の涙を流すように、ミリアは崩れを落ちる。そして握った拳を床に叩きつけるのだった。
俺たちの横を通り過ぎていく職員さんが、怪訝そうな顔をしている。これ以上、目立っては研究所に出入りしにくくなってしまう。
ここは一つ、あまり気が進まないけど、ご機嫌取りをしておくか。頭の中でロキシーをイメージして、女神のような笑顔でミリアに声を掛ける。
「さあ、ミリア。そのようなところで座っていたら、皆さんの邪魔になってしまいますよ」
「ロキシー様!」
なんちゃってロキシーの演技がうまくいっているようで、ミリアは目をハートにして飛び付いてきた。
だがしかし、すんでのところで踏みとどまる。
「くぅ~、だっ騙されませんよ。中身はフェイトさんです!」
「何を言っているのです。私はロキシーですよ。さあ、こちらへいらっしゃい。抱きしめてあげますよ!」
「ふああああぁぁ……」
両手を上げて待ち構える俺に、吸い寄せられるようにミリアが近づいてきた。
「わかっているのに、わかっているのに……体が勝手に……」
「ふふふふっ! ミリア、早く来なさい」
「は~い!」
ミリアが抱きつこうとした間に、俺の姿をしたロキシーが割って入ってきた。
目を細めて、少々お怒りのようだった。
「二人共、何をやっているのですか! 今は非常事態ですよ!」
「「はい、すみません」」
ちょっと調子に乗りすぎてしまったようだ。いつもミリアに避けられ続けてきたものだから、好意的な態度を見てノリノリになってしまった。
しょんぼりとしたミリアはロキシーに言う。
「私はいつもロキシー様に抱きついて元気をもらっていたのに、どうすればいいですか?」
「そういわれましても……今の姿でもよければ」
「ううぅぅ……中身はロキシー様、中身はロキシー様」
繰り返して言いながら、ミリアはロキシー成分を補給していた。そんなにも俺は駄目ですか……様子を見ていた俺は軽いダメージを受けるのだった。
「フェイトさんの体なのでゴツゴツしていましたけど、ロキシー様の心の包容力で回復しました。今日もがんばりますよ! では、ライネの研究室へ行きましょう!」
散々な言われようだぜ。男だから、硬いのはしかたないだろう。このところ、アーロンに鍛えれて筋肉がかなり付いてきているからな。
まあ、元気いっぱいになってくれたのでよかった。ルンルン気分のミリアを先頭に、ライネの研究室へ歩いていく。
彼女の部屋はエレベーターを降りて、左の通路を進んだ突き当りにある。
最近は俺もよく出入りしているので、自分の部屋みたいなものだ。ライネは人見知りするような性格ではないので、俺が部屋の中に居てもお構いなしに研究に集中していた。今日も、朝食をろくに食べずに黙々と作業をしていることだろう。
それを見越して、屋敷から軽食を持ってきていた。
きっと、これを見せたら腹をすかせたウサギのようにぴょんぴょんと跳ねながら食らいついてくることだろう。
何気に、彼女の父親であるムガンから、暇なときでいいので娘に餌付けをしておいてくれと頼まれたりしているのだ。
娘の食事を餌付けと表現するムガンに、すごい言い方をするなと思っていた。だけど、実際にライネに食べさせるとその言葉の理由がわかったような気がした。
俺たちは研究室の前まで来て、自動ドアを開ける。勢いよく開かれた先には、ゴミの山が現れた。
そう、ライネは片付けられない人なのだ。ロキシーの整理整頓された部屋とは大違いだ。
「いつ見ても汚い部屋だな」
「ええっ、昨日少しだけ片付けたのに……もうこんなに汚れているなんて……」
「ロキシー様と私の頑張りはどこへ……」
目を覆いたくなるような書類や器具の部品の先に、パネルをじっと見ているライネがいた。目に隈ができているところを見るに、また徹夜をしたようだった。
彼女は部屋に入ってきた俺たちに気がつくと、眠そうな顔で出迎えてくれる。
「やあ、来ると思っていたよ。おはよう!」
「おはよう!」
「おはうございます」
「呑気に挨拶している場合じゃないですよ! 事情を早く説明しないと、ここは私がライネに話しましょう!」
やる気満々なミリアがライネに俺たちに起っていることを話そうとするが、
「あっ、それはいい。私はわかっているから」
「ええっ!?」
出鼻をくじかれて、何も言えなくなってしまう。そんなミリアを尻目にライネは俺とロキシーの側まで寄ってきた。
そして、髪で隠れていない方の目でじっと見つめて言うのだ。
「予想通り、入れ替わっているみたい。どう、気分は? 体に異常はない?」
俺たちは首を振ると、またしてもパネルの方へ行って、なにやら情報を打ち込み始めた。
「なるほどね」
「どういうこと?」
「まあ、入れ替わったばかりだから、影響はまだ出てないみたい。あっ、そのバスケットは私にかな?」
ライネは中に入っていたサンドイッチを口に頬張って、食べ出した。その姿はリスのようで餌付けをしているような感覚を覚える。
いやいや、今はそんなことを思っている場合じゃない。
彼女は言ったのだ。まだ影響は出てないみたいだねと。
不安に思う俺たちに、食べ終わったライネは言う。
「あまりずっとそのままでいると、体……器と魂が違うから、危険だよ。最悪の場合、衰弱死するかも」
「「ええええぇぇっ」」
それは、命にかかわることだった。ただ入れ替わって大変だ……ということでは終わらなかったようだ。
ロキシーと顔を見合せて、どうしたらいいのか。オロオロしていると、ライネに笑われてしまう。
「だから、こうやって寝ずに対応策を考えていたんだよ。話はこれからだから、まあそこらへんに座って」
俺たちはゴミをかき分けて、どうにか話ができるスペースを確保するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます