第112話 魂転移

 窓から差し込む朝日を浴びて、気持ちよく目を覚ました部屋……それは俺の知らない場所だった。


 ベッドから周りを見回す。心が落ち着くような淡い青色の壁紙が印象的だった。少し離れた壁際に可愛らしい家具たちが据え置かれている。


 そして、俺がいる真っ白なベッドに目を戻すと、後ろ横に大きな黒クマの縫いぐるみが、どっしりと座っていた。


 どういうことだ。なんで俺はこの部屋にいるんだ。グリードに訊こうと思ったけど、彼も居ない。


 昨日の夜はメミルとのやり取りを終えた後、疲れて寝てしまった。そこまでは覚えている。俺は夢遊病にでもあって、この部屋まで歩いてきてまた眠ってしまったのだろうか……。


 わけがわからずに、ため息を付く。


「はぁ……ん!? この声はっ」


 女性の声を出してしまった!? しかも、その声はよく知っているものだった。

 そして自分の体に目を向ける。白を基調とした裾に品の良いフリルが付いたネグリジェを着ている。その間から膨らんだ胸元が見えた。


 女性になっているのか!?


 いよいよ、俺は眠気が吹き飛んで、もう一度気になっていた声を聞いてみる。


「うそ……えええええっ!」


 間違いないぞ。慌てて、自分の姿を確かめるために姿見へ駆けていく。自分の体ではないので、歩幅が違って走りづらい! 足がもつれて転びそうになりながらもなんと姿見の前に……。やっぱりだ。どうしてこんなことに!?


「ロキシーになっているっ! えええぇぇぇっ!!」


 思わず姿見を掴みながら叫んでしまう。


「えっ! えっ ! ええええぇぇ……」


 部屋の中をあっちやこっちに歩き回って、なんとか心を落ち着かせようとするけど、心臓のバクバクは止まらない。そして、床に敷かれた絨毯に躓いて、コケてしまった。


「キャッ」


 なんなんだ、この状態は……あははは……そうだ、これはきっと夢だ。

 俺はまだ目が覚めてなくて、夢の中にいるんだ。

 絨毯に寝転がったまま、五分……十分…………二十分過ぎていったけど、目覚めることはなかった。


「現実だ! どうしよう、どうしよう」


 絨毯の上を右に左に転がっていると、突然勢いよくドアが開けられた。驚いて顔を向けると……そこには俺がいた。寝間着を着たフェイト・バルバトスだ。


 頭には寝癖をつけながら、ものすごく慌てた顔をして、俺へと迫ってくる。

 そのまま、馬乗りになって肩を両手で掴んできた。


「キャアッ、俺が襲ってくる!」

「しっかりしなさい。あなたはフェイなのでしょ?」

「ん? ……もしかして、ロキシー?」

「はい」


 あああああああぁぁぁぁ。俺は全身の体の力が抜けていくような感覚に襲われた。

 ゆっくりと互いに口を開いて、自分たちに何が起こっているのかを言葉にする。


「俺たち」

「私たち」

「「……入れ替わっている」」


 俺の姿をしたロキシーは俺から退いて、立ち上がった。そして、手を差し伸べてくる。


「さあ、立ち上がって。あまり床で寝るものではありませんよ」

「うん」


 手を掴んで、俺も起き上がる。そして、ロキシーに手を取られたまま、ベッドに二人で腰掛けた。


 段々と落ち着いてきたところで、彼女が今回のことについて推測し始めた。


「昨日の夜、眠るまでは私でした。朝起きましたら、フェイになっていました。フェイって寝相が悪いんですね。ベッドから落ちていましたよ」

「あははは、寝相はあまり良くはないかな。それは置いといて、俺も同じ」

「う~ん、そうですか。私は昨日、ホブゴブの森で未知の魔法陣の中へ入ったことが原因なのではと思っているんです」

「ああ……たしかにあの時、俺とロキシーがその影響で少しの間、体から赤い光を仄かに放っていたな」


 ロキシーは俺に更に近づいて言う。


「そうです! あの光によって私たちが入れ替わってしまったのでは。すぐにそうではなかったのは、途中でフェイが攻撃を加えて無理やり中断させたからかと」

「う~ん、本来ならあの場で入れ替わっていたのかな」


 俺とロキシーが……と思っていたら、首を振られた。


「違うと思います。おそらく、ゴブリンと私たちを入れ替えようとしていたのでは?」

「もしそうなら、危なかったな。ロキシーとで本当に良かった。ゴブリンとなんて最悪だ」

「私もフェイでよかったです。ゴブリンは絶対に嫌ですね」


 あははっ、お互いに笑ってはみたものの……入れ替わってしまっていることはどうにかしないといけない。このまま、ずっと俺はロキシーの体というわけにもいかない。


 それは、ロキシーも一緒だった。


「いきなり体を入れ替えとは困りましたね。私にも心の準備というものが……」

「俺も……」


 ベッドに座ったまま、ショボーンとする俺たち。しかし、この解決法を知っているかもしれない女性がいる。


 そう、王都の軍事区にある研究所で働いているライネだ。昨日、彼女に今回の得た情報を渡して解析をお願いしておいたのだ。


「もしかすると、ライネが昨日の魔法陣や、謎の腕のことを何か糸口をつかんでいるかもしれない。今から行ってみよう」

「はい、そういたしましょう。その前に!」


 ロキシーは俺の肩をがっしりと捕まえる。


「えっ、なにっ!?」

「こっちに来てください」


 言われるがまま、俺はクローゼットの前まで連れて来られる。彼女は扉を開けて、聖騎士の服を取り出し始めた。


「はい、準備ができましたよ。フェイは目をつむってください」

「目を!?」

「そうです! だって裸を見られるのは恥ずかしいですもの。念の為、目隠しをしておきましょう」


 問答無用で長い布を使って目を隠されてしまった。その後はされるがままだ。

 両手を上げて、ネグリジェを脱がされる。聖騎士の服へと着替えさせられる。


 足を上げたり、手を下げたりと忙しかった。ふいに手が当たってくるときに、堪らず声を上げてしまう。


「ヒャッ!」

「フェイ、私の体で変な声を出さないでください」

「だって、俺の体と違って敏感で……」

「もうっ、そういうことはいわない!」


 まだ肌寒い季節のためか、手が冷たいのもあったからだろう。俺の手はこんなにも冷たかったんだ。


 そんなことを思いつつ、何度か声を出してしまった。やっとのことで、着替えが終わると、目隠しから解放された。


「なんか……疲れた」

「もう、これからライネに会いに行くのに、そんなことではどうするのですか! それにまだ終わっていませんよ。さあ、次はこっちに来てください」


 今度は化粧台で座らせられて、長い金色の髪を櫛でといてくれる。それがとても気持ちよいのだ。


「うまいな」

「いつもやっていることですから。女の子は大変なのです」

「そうなんだ」

「はい、できあがり!」


 姿見まで歩いていき、確認するといつものロキシーだ。キリッとしていてかっこいい。

 試しに顎に人差し指と親指を当てて、キメ顔をしてみる。いい感じだ。

 しかし、それを見たロキシーに私はそのようなことはしませんと叱られてしまった。


「それでは、フェイの屋敷に行って、私も着替えましょう……か……」

「うん、そうだ……な……」


 部屋から出ようとした時、ドアから覗くアイシャ様の姿が!? なんとも言えないような顔をして俺たちを見ている。

 そのまま、スゴスゴと部屋に入ってきて言うのだ。


「ロキシー、フェイト……二人のことだからあまり言いたくはないけど、あそこからずっと見ていたら、あなたたち……そういうのはやめておいたほうがいいと思う。物事には順序ってものがあるの。いきなり部屋に入って、感極まって押し倒してみたり、目隠しをして服を着替えさせてもらったり。母として、娘の隠れた趣味を知ってビックリよ!」

「母上、誤解ですっ!!」


 ロキシーが必死にアイシャに飛び付いて、弁明しようとするけど逆効果だった。なんせ、俺の姿でアイシャに迫っていくものだから、さすがの彼女もあたふたしていた。


「フェイト、こらっ。どこを触っているの、あああぁぁ! どうしちゃったの!? ロキシーでは満足できずに私まで……ごめんなさい、あなた……私は一体どのようなことをさせられてしまうの!」


 ヤバイ、ヤバイ! 勘違いされているぞ! このままでは、俺への信頼が大暴落だ。


 俺はなんとか間に割って入って、事情を説明していく。朝、目覚めたら俺とロキシーが入れ替わっていたこと。そして、昨日のホブゴブの森で起こったことが原因かもしれないこと。アイシャ様が理解してくれるまで根気強く話した。


「そういうわけね。もうっ、びっくりしたわ。親子ともども、フェイトに襲われてしまうのかも、なんて思ってしまったじゃない。もう年甲斐もなく、ドキドキしちゃったじゃない」


 アイシャ様は冗談交じりに笑っていた。どうやら、誤解は解けたみたいでよかった。

 ホッとしていると、アイシャ様が今度は仕返しとばかりに、ロキシーの姿をした俺に抱きついてくる。なんで? 俺なの?


「アイシャ様、ちょっとやめてください」

「親子のスキンシップよ。ほら、見た目上は私たちは親子ですもの。それに嫌がっているとやめたくなくなっちゃう」

「キャアァァ、助けて。めっちゃ、お尻を触られている!」


 アイシャ様の悪乗りに、ロキシーもご立腹だ。こんな非常時にまた悪い癖が出てしまったようだ。彼女は何かにつけて、俺の困った顔を見て楽しむのだ。

 ロキシーはまた母親に飛びかかって、俺ごとベッドに上に転がり込んだ。


「母上、このような時に戯れはいい加減にしてください」

「やめて、フェイト。私の心にはまだ夫がいるの」

「ぐぬぬ……母上。今、私がフェイの姿なのですよ!」

「アイシャ様、遊ぶのはこのくらいに」


 俺の姿をしたロキシーがアイシャ様に馬乗りになって、プンプンと怒っている。俺はその横でどうしたらいいのか、オロオロしていた。


 ベッドの上ですったもんだしていると、部屋の開いたドアから視線を感じた。

 そこには、使用人の上長さん――ハルさんがメガネを曇らせながら盗み見ていたのだ。


 アイシャとロキシーもそれに気がついて、そちらに目を向ける。ハルさんは途端に青い顔をして、頭を何度も下げて言う。


「申し訳ありません。私は皆様がそのようなご関係だとはまったく知らず……今見たことを誰にも言いませんので、失礼します!」


 血相を変えて逃げ出していくハルさん。さすがのアイシャ様もバツの悪い顔をしていた。


 そして、俺たちは部屋を飛び出して、廊下の端まで走っている彼女を捕まえに奔走するのだった。


 ◇ ◆ ◇ ◆


 ハルさんの誤解もなんとか解け、俺たちはやっとことでバルバトス家に移動した。

 俺は玄関で、ロキシーの着替えを待っていた。俺のときのように目隠して、着替えるほどのこともないと思ったので、彼女にすべてを任せたのだ。


 ハート家の屋敷を出ていく時にアイシャ様が、ロキシーにはまだ荷が重そうなので、自分が着替えを手伝うと言い張っていた。だが、ロキシーの大反対によって、それはなくなった。


 俺的には、アイシャに俺の体を預けるほうが遥かに危険すぎるので、どう考えても信頼できる彼女一択だ。


 今日中に元の体に戻らなかった時は、アイシャ様から一緒にお風呂に入りましょうね。なんて言われてしまっている。


 本気ではないと信じたいところだ。そんなことを思っていると、着替えの終わったロキシーが階段から降りてきた。その横にはアーロンとメミル、サハラまでいる。


 どうやら、彼らに捕まって中身がフェイトではないと気づかれてしまったのだろう。案の定、アーロンがロキシーの姿の俺にニッコリと笑って話しかけてくる。


「フェイトよ、またおかしなことになってしまったようだな」

「はい、まさかロキシーと入れ替わってしまうなんて」

「あまり外の者に知られ渡るのは聖騎士の立場上、よくないだろう。まだこのことを知っているのはハート家のアイシャとハル。そして儂らだけだ。これから軍事区にいくなら、おかしな言動は控えるように。今はロキシー・ハートであることを忘れるでないぞ」

「気をつけます」


 俺たちを心配して言ってくれていることなので、屋敷から外は気を引き締めていこうと思う。喋ると男っぽい感じになってしまうので、できる限り口を開かないほうが良いだろうな。


 サハラが心配そうに俺の側までやってくる。


「フェイト様……」

「大丈夫! すぐに元に戻るさ。それまでは屋敷のことを頼んだよ」

「はい、がんばります!」


 頭を撫でると、サハラは安心したように笑顔を見せてくれた。

 そしてメミルは何やらロキシーと話した後、俺へ向けてお辞儀をすると厨房の方へいってしまう。


「では、行ってきます」


 アーロンとサハラに見送られながら、俺たちは軍事区の研究所を目指して歩き始めた。途中、俺はロキシーにメミルと何を話したのかを聞いてみると、彼女は微笑みながら言う。


「メミルも素直じゃないですね。彼女なりに心配していたようです。フェイト様のことをどうかお願いしますって言っていました」

「そっか……あのメミルがそんなことを……」


 いつもそっけない態度で俺に接してくるメミルだったけど、心の中の距離は昔より近づいてきたと感じた。


 満月のときの行為をしないといけない彼女にとって、俺はどうしても必要な存在なのかもしれないけど……。一抹の不安を覚えつつ、今はロキシーが教えてくれた言葉が嬉しかった。


 しばらく聖騎士区の北へ進むと軍事区へ繋がる大門が見えてきた。ここは聖騎士専用の門のため、行き交う者は少ない。


 門番も遠くから俺たちの姿を確認すると、門を開き始めた。俺とロキシーは五大名家なので、顔は兵士の中に知り渡っているためだ。


 アーロンが言ったように有名人であるロキシーの品位を傷つけてはいけない。門を通り過ぎる時、ロキシーがいつもしているように、兵士たちに愛想よく挨拶をしていく。


 それだけで、彼らは目をハートにしてメロメロになってしまう。何ていう破壊力だ……さすがは王都セイファートの女神様という言われるだけのことはある。


 手応えを感じながら、後ろを歩くロキシーに目を向ける。

 彼女はいつものように俺の顔で満面の笑みをして兵士たちに挨拶してした。


「皆様、いつもご苦労さまです!」

「ああ……はぁ……」


 そして、よく見たら彼女は俺の体で内股に歩いていた。その姿を兵士たちがいぶかしげに見ているのだ。

 俺はすぐさま、ロキシーに伝える。


「まずいって!」

「なにがですか?」

「俺じゃなくて、ロキシーになっていたよ」

「えっ、あらら。言われてみれば、やっちゃいました。今の私はフェイト・バルバトスですね」


 そう言ってロキシーは懸命に俺のマネをしていた。少々ぎこちない歩き方だけど、前よりは良いだろう。

 本人はうまくやれていると思っているようで、得意げに言ってくる。


「どうですか? うまいものでしょう。私はフェイのことをよく見てますからね。いつもこんな風に歩いています」

「そんながに股歩きはしてないって」

「意外にもこのような感じですよ」

「えええぇぇぇ」


 本気で歩き方を見直そうかと思う俺に、ロキシーはしてやったり顔で言うのだ。冗談ですよと。

 また、騙されてしまった。でもそれは悔しいという感情は一切なくて、楽しい気分にさせてくれた。


 俺たちは入れ替わってしまった状況でも不安はあまりなかった。きっと、入れ替わった相手がロキシーだから、こんなに落ち着いていられるのだろう。


 互いのマネをしながら進んでいくと、ライネが居る研究所が間近に見えてきた。ここで有力な情報を得られることを願うばかりだ。このままロキシーの姿だと、アイシャ様と一緒にお風呂に入らないといけなくなるしな。


 そうなったら、絶対に無茶苦茶にされてしまうだろう。

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