第100話 フェイトとロキシー

 白髪の少年はクルクルと黒槍バニティーを回してみせる。まるで自分の一部かと思うほどに。


 俺たちは得体の知れない力を持つ少年に武器を構える。


 鑑定スキルを使いたいところだけど、発動と同時に少年は魔力を発して無効化してくるだろう。そして俺は両目を失明してしまう。


 Eの領域同士の対人戦において、《鑑定》スキルは意味をなさない以上に危険な行為なのだ。


 相手の出方を窺う硬直状態。そんな中で少年は俺たちを舐めるように見ていく。


「あれから……何千年経ったのかな。千年かい? 二千年かい? それともまさか四千年かな。時が流れるのはあっという間だね。そう思うだろう、マイン」

「シン……あの時にお前は死んだはず」

「もうわかっているんだろ、僕は死なない。分体がこの世界の何処かに隠してあるからね。それがあのくだらない人間に取り憑いて、僕は復活できるんだ。まあ、運の要素が大きいのが欠点だけどさ。でも、賭けには勝ったみたいだね。この通り、復活できたんだからさ」


 途端にコウモリの大群になって、俺たちの横へと移動してくる。そして、またもや黒槍をくるりと回すのだ。


「もうあの時とは違うんだ。マインもこっちに戻っておいでよ。禄に武器も使えない色欲、やっとEの領域に至った暴食。このメンバーじゃ、僕すらも倒せないよ」

「シン……」

「やってみるかい、結果はわかりきっていると思うけど」


 そう言ってシンは真っ赤な両目を光らせた。


 くっ……なんだ……これは。まるで俺の暴食スキルが飢餓状態になった時に発現する力に似ている。

 横にいるエリスも俺と同じように動くことも許されず、息すらも出来ずにいた。


「おやおや。ちょっと本気で睨んだだけで、気圧されているのが二人もいるね。なんと無様なことか」


 シンは俺とエリスを見ながら、心底落胆した顔をした。まるで今から楽しい遊びをしようかと思っていたのに、参加できる者がたった一人だったので諦めるしかないとでも言いたげだ。


 そんな中でマインだけが、黒斧を振り上げてシンに言う。


「彼の地への扉を開いてもらう」

「まだ……求めるのか。でもそういうのはきらいじゃないよ」

「シン!」


 マインは一瞬でシンに詰め寄って、縦に真っ二つにしてしまう。俺にはマインの動きが速すぎておぼろげにしか見えなかった。


 斬られたシンはまたコウモリの大群になって、俺たちよりも離れた位置に現れる。


「相変わらず、好戦的だね。いいよ、なら連れて行ってあげるよ。さあ、僕を追ってくればいいさ。寄り道はするけど、彼の地への扉は僕の終着点でもあるからね。じゃあ、マイン……行こうか」


 シンはコウモリの大群へと形を変えて、東に向けて飛び立っていく。

 マインが俺をちらりと見た。無表情な彼女らしくなく、少しだけ寂しそうに目を細める。


 一匹のコウモリだけがマインの周りをグルグルと飛んでいた。まるで、マインを早く来いと促しているようだった。


 俺は今だに声が出せずにいた。行くなって言いたいのに、何も言えないのだ。

 圧倒的な実力差が俺とシン間にはあって、手も足も出ない。今までマインに助けてもらったのに、ここで何も言えないのか!


 嫌だ。絶対に後悔する。もうこんなことは嫌なんだ。


「マ……イン……」


 シンの呪縛を振り払うように絞り出す。かすれた声でなんとか……マインを呼べた。

 コウモリが俺の方へ来て、驚いたように言う。


「これはすごい。君への評価は改めないとね。でも彼女は止まらない。たとえ、君がそう願ってもね。誰しも生きるために譲れないものがあるのさ。マインの場合は彼の地への扉だね。また、会おう」

「行く……な! マイン、行くな!」


 良くないことが始まる気がしてならない。そんなところへ一人で……望んで飛び込んでいくなんて、間違っているんだ。俺たちはもう仲間なんだから……まだ弱いかもしれないけど、もっと頼って欲しいんだ。もっと強くなるから。


 そんな俺の言葉に振り向いたマインは……薄っすらと泣いていた。初めて見る彼女の表情。そこには当方もない時間を生きてきた者の顔はなかった。


 見た目の年相応――普通の女の子だった。


「今までありがとう。フェイトといて、久しぶりに楽しかった」

「マイン!」

「ごめんね」


 マインはコウモリと共に東へに進んでいく。ほんの数秒だったのに、今はもう……マインの姿はどこにも見えない。


 王都の空にはまた雪雲が集まってきて、しんしんと雪が降り始めていた。

 シンの呪縛はいつの間にか解かれており、俺とエリスはただその場に立ち尽くすのみだった。


 まるで呪縛が今も続いているようだ。


 親しい人がいなくなり、俺の予想を超えた何かをしようとしている。力になれない無力感が襲ってきて辛かった。もしかしたら、ガリアで残してきたロキシーもこんな気持ちにさせてしまったのかもしれない。


「俺はバカだな……」

『今頃、気が付いたのか。まったく、フェイトらしいといえば、そうだが』


 グリードが《読心》スキルと通して言ってくる。その口調はいつものグリードらしくなく、少し優しかった。

 エリスがバツの悪そうな顔して、俺に寄りかかってくる。


「どうするんだい、フェイト」

「バルバトス家の屋敷に戻ろう。アーロンが心配だ」

「いいのかい。マインをすぐに追いかけないくて」

「ここで俺が感情に任せて、マインを追ってしまえば、また繰り返してしまいそうだから。それにバルバトス家の当主としての責任もあるし」

「そうだね。今日は一段と冷えそうだ。暖かくしていないと凍えそうだ」


 瓦礫と化した軍事区に薄っすらと雪が積り始めていた。


 王都中に鳴り響いていたサイレンは収まる。王都を巻き込んだ戦いは終わったのだ。


 そして、長かった夜は終わり、東から陽が顔を出していく。どんなことがあっても、一日はまた今日も始まってしまうのだ。


 いろいろありすぎて、未だに心は落ち着かないけど、家に帰ろう。帰れる場所があるのは、これ以上素晴らしいことはないのだから。


 エリスを伴って、聖騎士区へ歩いていく。夜にあれほどのことを起こしたのだ。兵士たちや聖騎士たちが俺たちの横を慌ただしく通り過ぎる。


「これはしばらく、軍事区はまともに使えないかもね」

「他人事だな」

「まあね。エンヴィーがずっと管理していた王都だから、ボクの王国って感じがしないし」

「これからはちゃんと女王様してくれよ」

「善処します。でもボクって飽きっぽいからな」


 大丈夫かな。この女王様は……。

 そんな彼女へ白騎士の二人が駆け寄っている。いろいろ言われて、初めは話を真剣に聞いていたエリスだったが、あくびをしながら言うのだ。


「あとはお前たちに任せる。上手くやってね」

「「はい! では私たちはこれで失礼します」」


 白騎士たちに細かな指示をするかと思いきや、すべてをぶん投げてみせたのだ。本当に飽きっぽいんだな。白騎士たちは大役を任されてと思って、ウキウキしてその場から離れていく。


 まあ、上手く回っているんだからいいのか……あれで。

 そんな俺の心配を察したエリスが得意気に言うのだ。


「あの子達は昔から真面目だから、大丈夫。真面目過ぎるところがたまにキズだけどね」


 おそらく、エンヴィーを王様とした旧体制のことを言っているのだろう。

 ヘイト現象を利用した冠人間を作ろうとした件だ。長い年月をかけて民を苦しめて、人為的ヘイトを溜めるという壮大な実験だった。


 そして、民衆に好かれていたロキシーを生贄として、完成させるつもりだったみたいだけど、俺がガリアで無に還したのだ。


「笑っちゃうよね、エンヴィーのやり方には……でも彼は本気だったんだよ。私の代わりがどうしても欲しかったみたい。これは私の罪でもあるね」


 エリスは言うのだ。生きていく以上、間違いなんて沢山してしまうのだと。


「だからね、これから少しは住みやすい国にするよ」

「信じていいのか?」

「そうだよ。ならね、今日はお菓子食べ放題の日にしようか」

「なんだよっ、それ」

「お菓子を食べると幸せな気持ちになれるからだよ」

「ああ、王国の未来がなんだか心配になってきたぞ」

「えええええっ、名案だと思ったのに!」


 そんなに驚くことか!でも昔よりも住みやすくはなりそうだ。補佐をする白騎士たちは有能そうだし。


 エリスに絡まれながら、進んでいくと、バルバトス家の屋敷の前に沢山の人が集まっていた。


 アーロンに、酒場の店主までいる。それにハート家の使用人たちだった。


 その中から、一人の女性が姿を現す。金髪をなびかせて颯爽と歩く、変わらない姿。


「ロキシー様……」


 さっきまで俺にくっついていたエリスは空気を読んでくれたみたいで、離れた位置にいるではないか。


 俺はなんて話しかけていいのか、わからないまま彼女の下へ歩いて行く。この歩みはとめることができなかったのだ。


 ロキシーは悲しんでいるのだろうか、それとも怒っているだろうか、それとも他になんていわれてしまうのだろうか。俺の頭の中で、いろいろことがグルグルと回ってしまう。


 彼女の前まで来て、立ち止まり、見つめ合う。


 何か言わないと……口を開こうとする俺に、ロキシーは見惚れてしまうほどの笑顔で言うのだ。その言葉にすべてが吹き飛ばされてしまう。


「おかえりなさい、フェイ」

「ロキシー様……」


 俺がそう言うと、彼女は首を振ってみせるのだ。


「違うでしょ。あなたはもう聖騎士であり、バルバトス家の当主なのだから。私に様はもういらないわ」


 そうだ。そうだった。俺はもう、門番だったフェイトではなく、ハート家の使用人だったフェイトでもないし、素性を隠す武人だったムクロでもないのだ。

 俺はロキシーと同じ聖騎士で、バルバトス家の当主なんだ。もう彼女に負い目を感じるわけにはいかない。グリードがよく言うように、胸を張っていこう。


「ロキシー、今まで黙っていて……すみませんでした。あなたには沢山の迷惑をかけてしまいました。俺は……」

「そんなことを私は求めていません。ガリアでも言ったでしょ、フェイはフェイだって。仮面で自分を偽っても、誰かのためにフェイは戦ってきたんでしょ。ハド・ブレリックのことは悲しかった。でも、そうさせてしまった一因は私にあります」

「そんなことはない! あれは俺が勝手に……」


 その先は言えなかった。ロキシーに抱きしめられたからだ。


「私たちは人間なんだから、間違いなんてしてしまうんです。私だってそうです。ガリアでの戦いで多くの部下を失いました。もし、あの時にああしていればよかったのかもしれないと後悔してしまう。でも、そんな気持ちばかりだと、生きていくには苦しくなってしまうんです。今のフェイはそんな苦しそうな顔していますよ」


 抱擁から解放されて、ロキシーは俺を見つめながら続ける。


「だから、もう一度いいます。おかえりなさい、フェイ」


 俺はロキシーの優しさに目頭が熱くなっているのを感じた。もしかしたら、もう涙が出てしまっているかもしれない。

 この言葉だけは、ありったけの心を込めて言いたい。


「ただいま……ロキシー」

「はい、おかえりなさい」


 ここまで来るまでに、遠回りし過ぎたのだろう。


 ロキシーとただ向き合っていれば、良かっただけなのに。でもそれも、また俺らしいと彼女が受け入れてくれた。


 これからも間違いをおかしてしまうかもしれない。それは人間である証拠なのだから、俺はそれを持って生きていこうと思う。


 しばらく、ロキシーと見つめ合っていると、エリスからもういいですかと言われていまう。


 我に返って周りを見回せば、アーロンや酒場の店主、ハート家の使用人たちまで、じっと成り行きを見守っているではないか!?

 俺たちは完全に二人の世界に入ってしまっていたみたいだ。


 ロキシーを見ると顔がみるみる赤くなっていく。多分俺も同じだろう。


 そんな恥ずかしさが心地よかった。

 彷徨い続けた心はここへ落ち着いたのだ。

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