第98話 押し潰す黒斧

 未だ鳴り止まない避難サイレン。

 上空では、かき乱された雪雲の隙間から月が顔を出していた。


 俺が放ったブラッディターミガン・クロスと、アンデッド・アークデーモンが召喚しようとした大量の暗黒物質が合わさっての大爆発だ。


 これほどの威力ある攻撃を受けて、生き残れるはずがない……そう思いたいけど、まだ倒せていないという確証があった。


 無機質な声によるステータス加算とスキル追加のお知らせが、頭の中で聞こえてこないからだ。


 右目を凝らして、空の彼方へと魔力感知を引き上げる。


「生きているか……」

「みたいだね。あれは不死系だからな」


 魔力反応から弱っているのは感じられる。只今、再生中といったところか。

 敵までの距離が遠いな。変異派生させた第一位階の有効射程まで飛ばした。なので、それを超える射程距離の攻撃を持たない俺には為す術がない。


 アンデッド・アークデーモンの王都全体攻撃を防いだのはいいが、もしあのまま逃げられたらまずい。王都を破壊するとまで言っていて、逃げるとも思えない。


 地上戦しかできない俺たちには相性が悪い敵か……。


「全盛期と同じ力が出せたらな。まだ戦いようがあるんだけどね」


 エリスは久しぶりに扱う黒銃剣ため、まだうまくコントロールできないのだという。それにエンヴィーが好きにしろと言いつつ、まだ心を開いていないそうで扱える補助は2つしかないと苦笑いされた。


 扱える補助を教えてくれる。


ファランクスバレット(チャージ5):魔力オーラを展開して、3回まで攻撃ダメージを飛躍的に低減する。

バニシングバレット(チャージ7):姿と気配を消す。ダメージを受けると解除される。


 強そうな力だった。


 この黒銃剣の補助バレットはすぐに使うことができない。攻撃魔弾を撃って、敵に当てる度にチャージされていくのだという。


 チャージ5とは、五発の魔弾を敵に当てると使えるそうだ。

 黒銃剣の装弾数七発。撃つごとにリチャージに30秒かかるそうなので、無駄球をしていたら、この補助バレットはうまく使えないだろう。


 残弾管理とチャージ管理をしながら戦わないといけないので、俺なら混乱しそうである。


「こんなものかな。チャージはかなりできているけど、なんせこの場面で使えるものがないんだよね。また、上空からさっきと同じことをされたら、チラリ」

「何回もあれは撃てないぞ!」

「もう一回くらい、いけるっよ! 元気そうだし」


 何度もそんなことをやっていたら、ステータスが大きく低下してしまう。そうなったら、アンデッド・アークデーモンとまともに戦えなくなる。


 エリスと一緒にいて、いつも思っていたけど、彼女には戦いの緊張感というものが皆無なのだ。


 今も危機的な状況だというのに飄々とした顔をしている。

 もしかしたら、王都が破壊されて自分も死んでしまうかもしれないのに……。


「何ていう顔をしているんだい。あっ、もしかしてボクのお気楽な感じがまずかったのかな?」

「……うん」

「長いこと生きているとね。死ってものに鈍感になってしまうんだ。自分の死も他人の死もね。ああ、言いたいことはわかっているよ。でもしかたないんだよ、こればかりはね」


 エリスは小さな声で、「これでも昔は繊細な少女だったんだよ」という。自分で言ってしまうのはどうだろうって思った。だけど、そんなことをはっきりと言えてしまうほど、今では繊細ではなくなってしまったというわけだ。


「でもね。昔も今も、決して薄れないものがボクにはあるんだよ」


 そう言ってエリスは俺の見つめてきた。その目は俺ではない誰かを見ているようだった。

 他愛もない会話ができてしまうほど、手持ち無沙汰に陥っている。


 そんな中で、またしても強大な魔力を上空から放たれた。


「マジか……これは……」

「精神統一スキルを使ったみたいね。フェイトが吹き飛ばしたから、なりふり構わってはいられなくなっちゃったみたい」


 空が割れたのだ。そこからは夜空よりも黒い空間が顔を出している。

 月や星々はその空間の後ろに隠れてしまって見えなくなった。まるでパックリと割れた空間に吸い込まれていっているようだ。


 これが、精神統一スキルで底上げした暗黒魔法の力なのか……。おそらく、前回みたいに多重詠唱ではない。これは、ありったけの魔力を込めた単詠唱だろう。


 エリスの言う通り、もう一度ブラッディターミガン・クロスを撃つべきか?

 黒弓を見つめるが、グリードは沈黙を保ったままだ。


 自分で決めろってことだろう。


 握っている黒弓に更に力を込めた時、もう一つの強大な魔力を感じた。

 エリスも同じだったようで、その方向へ視線を向ける。


「王都のお城の天辺から感じる」

「あっ、あの娘……このタイミングでご登場とはやってくれるね」


 《暗視》スキルをもってしても、この距離だ、彼女の顔まではっきりと見えない。だけど、白い服を風になびかせて、手には大きな黒い斧を持っている。


 このシルエットだけでも、容易に誰だか想像できてしまう。

 遅れて、やってきてくれたのはマインだった。しかも、あんな場所にいるとは……。


 彼女は空を見上げると、持っていた黒斧を夜空に向けて投擲したのだ。

 あまりに早く。その軌道を追うことすらできなかった。


 聞こえてきたのは、大気が震えるほどの衝撃音だった。途端に、上空で展開されていた暗黒魔法が消えていく。夜空に開かれた異空間の大口は閉じていっている。


 元の夜空に戻ったときには、俺たちがいる付近に、黒いものが物凄い勢いで落ちてきたのだ。


 とんでもない質量だったようで、軍事区が大きく揺らいで地震かと思ったほどだった。


 クレーター状になったところに近づくと、アンデッド・アークデーモンが黒斧に押し潰されている。

 ジタバタと手や足を動かしているが、起き上がれないようだ。


 黒斧スロースには攻撃すれば攻撃するほど、重くなる性質があるのだ。そういえば、夕方あたりにアーロンと模擬戦をしていたな。


 その時に得た重量をそのままにしていたみたいだ。マインはいつも黒斧の重さをリセットするのを忘れて、庭に置いておく癖があるのだ。彼女に聞くと盗難防止だそうだ


 藻掻くアンデッド・アークデーモンを見るに、対策として間違っていない。でも、バルバトスの屋敷の庭が陥没してしまうのだ。


 何とも言えない顔でアンデッド・アークデーモンを見ていると、


「どう、良い感じに落ちた?」


 暗闇の中から現れたマインから、淡々と聞いてきのだ。


「遅かったね。マイン」

「来てくれて助かったよ」

「うん、間に合った。屋敷で寝ていたら、アーロンに起こされたから」


 マインは俺の下へやってきて、前髪を上げて見せてくる。


「アーロンにやられた。痛かった」


 おでこがほんのりと赤くなっているようにみえる。たぶん、声がかけても一向に目を覚まさないマインに、アーロンは最終手段を使ったのだろう。


 メミルを抱えて急いでいた彼は、持っていた聖剣の鞘で小突いたのだ。


「でも、緊急事態だから、許した」

「そっか……アーロンも大変だったんだな」


 マインはアンデッド・アークデーモンを一瞥すると、俺を見て呆れたような顔した。


「まだまだ。これくらいに押されてしまうなんて。それに色欲がいて、この醜態はどうして? ねぇ、どうして?」

「それは、ボクに実戦のブランクがありすぎてね……ごめんなさい」


 目で殺すって感じで睨まれたエリスは俺の後ろに隠れてしまう。

 マインは敵を見定めて、言う。


「分離しないと……そのためにはアンデッド・アークデーモンを倒す。フェイトなら、殺せない敵を倒す術を持っている。あれを使えばいい」


 マインは分離と言った。少し見ただけで、このアンデット・アークデーモンに何かが取り憑いているのがわかったようだった。

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