第89話 蘇る過去

 廊下も白から赤に変わっていた。サイレンの大きさから施設内すべてに行き渡っているようだ。


 それでも、警備する者は直ちに侵入者である俺がいる場所に向かってやってくる気配はない。いや、それよりも、肌をピリピリとさせる嫌な予感が……。


 メミルを抱えて収容室をこじ開けた時、それは既に待ち伏せていたのだ。そう、人でもない、魔物でもない……ゴブリンの成れの果て。


 ここに来るまでに見た何らかの実験によって、変貌した魔物だったもの。


 醜悪なそれは50匹以上いて通路にひしめいている。おそらく、侵入者がいるのに人を寄こさなかった理由はこれだろう。生かして捉えるつもりなどない。


 あの餌として与えられていた血肉のように残さず、食い尽くさせて侵入者がいたという証拠すら残さない気なのだ。あのサイレンだって、地下施設内の職員たちを退避させるためのものだろう。


 にじり寄るそいつらを前にして、俺は瞳の色に違和感を覚えた。ゴブリンの瞳は黒色なのだ。しかし、今いるこいつらは鮮血のように赤く染まっている。


 俺が飢餓状態に陥った時、暴食スキルを引き出した時の色とは違う赤。忌避するほどではないが、それでも嫌なプレッシャーを感じさせるものがある。


 大した敵ではないとあのときは見過ごしていたけど今更ながら、《鑑定》を発動させて調べてみる。


「えっ……」


 鑑定できない!? まさかこのゴブリンだった者は隠蔽スキルを持っているのか、いやそれなら、スキルだけが見えなくてステータスは見えるはずだ。


 どういうことだ……これはマインを鑑定した時に似ている。


 謎は解けないまま、敵は待ってはくれない。歪な歯……その中に異常に発達した犬歯を見せながら数匹が俺に飛びかかってきた。


「チッ」


 噛み付こうとするそれらを斬り払う。そして、いつもなら、無機質な声によって暴食スキルの発動した内容が頭の中で聞こえてくるはずが……そうとはいかずに全く違ったものが俺の中で染み込んできた。


 クッ……。体が引き裂かれるような苦しさが襲ってきたのだ。これは暴食スキルからの飢えとは全く違う。まるで、体中に猛毒が行き渡るような感覚。


 そして、俺はたまらずに血を吐いてしまう。


「この感覚はなんだ……気分が悪い」


 右手に持っていた黒剣に付いていた血が蒸発して消えていく。それを見たグリードが《読心》スキルを介して言ってくる。


『フェイト、あれを殺してはならん。まさかと思っていたが……フェイトの状態と先ほどの血からあれの正体がわかった。あれは、ナイトウォーカーだ』

「ナイトウォーカー!? ゴブリンじゃないのか」


 倒してしまうと、ステータス加算・スキル追加ではなく、猛毒を喰らったような苦しみだけを味わう羽目になってしまうので、黒剣の腹の部分で殴打して距離を取る。


「なんで、暴食スキルが正常に発動しないんだ?」

『あれはもうとっくの昔に死んでいるのだ。そして僅かに残った魂の滓をつなぎ留めて動いているにすぎない。その劣化した魂を暴食スキルが喰らったことによって、お前にダメージが入っているのだ。だから、ナイトウォーカーは殺してはならん。喰らい続ければ、さすがのお前でも死ぬぞ』


 なんて、厄介な敵だ。倒して喰らう戦いばかりしてきた俺にとっては、初めて出会う相性の悪さだった。


「殺せない敵か……」


 そして更にナイトウォーカーたちで気になったのは、異常な回復速度だ。黒剣の腹で殴打して潰れた箇所がもう修復されて元に戻っているのだ。


『フェイト、もう一つ大事なことがある。絶対に噛まれるな、あの行動にはEの領域をも突破する呪詛が込められている。噛まれるとああなるぞ』

「なに!? あいつらは!」


 ゴブリン・ナイトウォーカーの後ろにいたのは、俺が突き落としたここの職員たちだったのだ。そいつらは一様に、目を赤くして発達した犬歯をむき出しに、俺を狙っている。


 俺に殺されたという憎悪がまだ残っているのか、ゴブリン・ナイトウォーカーたちよりも、俺への敵意を剥き出しに襲いかかってくる。


「まったく、やり辛いな。だけど……」


 ナイトウォーカーたちは今もなお増え続けている。おそらく、俺が見てきた場所の他にも飼育場所があったのだろう。そこが解放されたと見たほうがいいか。


 俺は黒剣から黒盾へ形状を変えて、襲ってくるそいつらを止める。そのまま、前へと進んでいく。


 そして、偶然にも開かれた暗い部屋を見つける。《暗視》を発動させて中を確認すると、ナイトウォーカーはいない。とりあえず、中へ退避だ。


 俺はメミルを抱えなおして、転がり込むように中へ入る。


『フェイト、天井を切り崩して入り口を塞げ』

「言われなくても」


 後を追ってきたナイトウォーカーたちに入られる前に、飛び上がって天井を切り崩す。上から降り注ぐ瓦礫によって、思惑通りに入り口は塞がれる。


 耳をすませば、外からはナイトウォーカーが瓦礫を爪でひっかくような音が聞こえてくるだけだ。この様子なら、中へは入ることができないだろう。


 俺はメミルを床に寝かせて、この部屋を改めて見回す。

 作りは、ナイトウォーカーたちを飼育していたところのようだった。といっても、最近使われた感じはしない。壁や床にはナイトウォーカーが暴れたような形跡があるものの、あの血生臭さがなかったからだ。


 未だにサイレンは鳴り響く中、俺はこの施設から出る方法を考える。そして見上げながら、グリードに言う。


「やっぱり、あそこからかな」

『換気口か?』

「ああ、メミルを安全に外へ連れ出すにはあそこからの方がいいと思う」


 善は急げとばかりに未だ眠り続けるメミルを抱えて、脱出しようとした時、壁の隙間から光が漏れているのを発見する。


 なんだろうか……この施設を今まで見てきたけど、継ぎ目がどこにあるかわからないような作りをしていたはずだ。それなのに壁の隙間から光が漏れるなんて、ありえるのか?


 不思議に思って、そこへと近づいていく。すると、グリードが舌打ちしながら言う。


『隠し部屋だな。何かがあって歪んで光が漏れてしまっているのだろう。フェイト、どうする?』


 元々、ここへはブレリック家が何をやっているのかを調べるためにやってきたのだ。肝心のメミルは意識が戻らないままだ。


 なら、隠し部屋というほどなら、知られたくないものがそこにあるはずだ。


「入ってみよう」

『そう言うと思った』


 黒剣で壁を斬って、中へと入る。またしても、俺の目の前には見たこともない光景が広がっていた。


 円柱の大きなガラス製容器に赤くて透明な液体が入っており、その中で生き物が漬かっている。それは、猫や犬のような普通の動物だったり、魔物だったりした。それが、沢山並んでいるのだ。


「何かの実験をしているのかな?」

『おそらく、ナイトウォーカーに関連した実験だろう。あの溶液に入っている赤はおそらくナイトウォーカーの始祖の血を薄めたものか』

「始祖って?」

『それは、ガリアの生物兵器だ。おそらく、ブレリック家がどこかでそれを手に入れたのだろう。またよりによって、あんなものに手を出すとはな。制御できるとでも思っているのか、疑わしいものだ』

「伝染病みたいに、感染力が強そうだからね。病原体(ナイトウォーカー)が自ら動いて、仲間を増やしていくなんて、もしここから外へ逃げ出したら、あっという間に王都中に広まりかねない」

『そういうことだ』


 もしかしたら、この先にグリードが言う始祖がいるかもしれない。俺はそう思って、先に進んでいく。


 だが、俺の予想に反して一番奥のガラス製容器にはよく知った者がいたのだ。


「まさか……ハド・ブレリック!?」


 俺がガリアに向けて旅立つ前に、殺した聖騎士ハド・ブレリックが静かに眠っていたのだ。しかも、俺はあの戦いでハドの右足と両腕を消し飛ばした。だけど、目の前にいるハドはそれがあったのだ。


 様子を窺っていると、突然ハドの両目が開かれる。その鮮血のように赤い目が泳いで俺を捉えた途端、ガラス製容器に亀裂が入る。

 油断していた。他の生き物はメミルのように深い眠りについて、起きてこなかったからだ。


 俺はメミルを落とさないように後方へ飛び退く。

 それと同時に砕けたガラスは飛び散り、大量の赤く透明な溶液が床を濡らした。


 中から出てきたハドからは、他のナイトウォーカーと同じようにまともな理性があるとは思えない。しかし、俺への憎しみだけは、本物だった。

 

 ハドは俺だけを睨みつけて、不器用に口を動かしながら激高する。


「フェ……イト、フェイ……ト、フェイトオオオオオォォォオオオッ!!」 

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