第64話 黒と白
あれから1ヶ月が経とうとしていた。今のところ、天竜がガリアの国境線を越えてやって来ることはない。だが、近くまでやってくることが何度もあった。
その時は、身内の暴食スキルが目を覚まして、俺を突き動かそうとする。それを必死にこらえて、天竜がガリアの中心部へ戻っていくのを待ち続けたものだ。
未だ、俺は天竜と向き合えるだけの力を持てずにいる。これはきっとステータス強化だけではない、何かが足りないからだ。なんとなくそう思い始めていた。
そして、その何かがまったくわからないまま、時が過ぎていく。
「お客さん、浮かない顔をしているね」
そう言って、俺が座っているカウンター席に近づいてきたのはエリスだった。艷やか青い髪を揺らしながら、魅惑的な微笑みを向けてくる。
それに対して俺は呆れながら、身につけた髑髏マスクを指差しながら答える。
「これがあるのに、俺の顔なんて分からないだろ」
「そうかな? ボクには分かるんだよ」
エリスは得意気な顔をして、俺の隣りに座る。いいのかよ、仕事中だろ? そんな俺の思考を汲み取るように、彼女は言う。
「マスターはボクに激甘だからね。沢山サボっても何も言わないよ」
「そんなことをしているとこの店は大変なことになるぞ」
俺は周りを見回しながら、今のとんでもない状況を教えてやる。
エリスの色欲スキルに魅了された人たちで店内は今日も大繁盛だ。後ろでは、あまりの忙しさにすっかりやつれてしまったマスターが、ヒィーヒィー言いながら動き回っている。
「雇用主が死にそうだけど」
「あははっ。だって、ボクにあんなことはさせられないって彼がいうんだもの……」
潤々させた瞳で見てくる彼女から、目を背ける。危ない……俺も魅了されてしまうところだった。エリスはなにかと俺の隙を狙って、仕掛けてくるのだ。
「ちぇっ、惜しかったな。ちゃんとボクの目を見てよ」
「嫌だよ。魅了されるだろ」
「ちょっとくらい良いんじゃないかな、かな?」
「駄目に決まっているだろ! 何がちょっとくらいだ」
少しでも魅了されたら、終わりだ。それほど色欲スキルが強力なのだ。まあ、この魅了が本人の意図しない色欲スキルの弊害というのだから、輪をかけてたちが悪い。
エリスとは前回、この酒場で色々とあったけど、俺は彼女と対立することを結局選ばなかった。それは、ロキシーに危機が迫っているということをわざわざ俺に教えてくれたからであり、この件について傍観者でいるとも言ったからだ。
すべてを信じていたわけでもない。だからこそ、こうやって酒場に足を運んではエリスの様子をうかがっているのだ。
疑いの目を向けていると、エリスはニヤニヤしながら、
「それにしても、フェイトがボクの店に足繁く通ってくれるなんてね。困っちゃうな……ボク」
「勘違いするなって。お前に会いたくてきているわけじゃない」
そう言いながら、接近してくるエリスを押しのける。だがしかし、彼女は不敵に笑い、
「あっ、もしかしてあれかな、ツンデレってやつかな」
「……はぁ!? 何を言っているんだよ。お前にデレるわけがないし!」
「あああぁぁ、酷いよ」
エリスは演技臭い感じでショックを受けたようにカウンターに崩れ落ちる。
そして、腕の中に顔を埋めながら、ちらりと俺を見て小声で言う。
「魅了されればいいのに……デレデレになれるのに」
「怖いこと言うなよ」
俺がドン引きしていると、有言実行とばかりにエリスが飛びついてきた。嘘だろ……俺は魅了の力に抵抗しながら彼女を引き剥がしていると、後ろから咳払いが聞こえてきた。
振り向いたら……そこにいたのは防衛都市バビロンの統治者――ロキシー・ハートだった。
相変わらず、凛とした顔をしていて、白い軽甲冑がよく似合っている。そんな彼女が、次第に顔をひきつらせながら、
「お楽しみのところ、いいですか? ムクロさん」
「ああ、その前に……」
横でブーブーと言っているエリスを完全に引き剥がして、横の席に座らせてやる。
彼女は横槍を入れられたことが気に入らなかったようで、俺のワインを取って勝手に飲みだしてしまう。……エリスといい、マインといい、なぜ彼女たちは俺の物を断りもなく、さも当然のように奪っていくんだ。
まあいいさ。今はそんな場合ではない。はて、ロキシーは何故俺に用があるのだろうか?
俺はロキシーに顔を向けて、
「それで、俺になにか?」
「ええ、沢山ありますよ。心当たりはありますか?」
「いや、まったく」
心当たり? やはり考え直してもなにもない。だけど、ロキシーの表情から察するに、そうではなさそうである。
髑髏マスクを擦りながら首をひねっていると、ロキシーは溜息をつきながら後ろに控えていた兵士から一枚の書状を受け取って読み上げ始める。
「武人たちとの暴力事件56件、器物破損21件です。しかも、これがたったの一ヶ月の間の行為です。信じられません」
ああぁぁぁ、そのことか……。もう日常の一コマになっているから、頭に浮かんでも来なかった。今日も酒場に来るまでに武人たちと軽い運動したところだしな。
「あれは仕方ないんだ。あいつらは俺のことを好き過ぎて、毎日のように襲ってくるからさ。口で言って聞くような相手ではないって、あなたもわかるだろ?」
「確かに、そういった武人はバビロンでは特に多いです」
「うんうん、そうだろ! 砂糖に群がる蟻のように襲ってくるからな」
「ですがっ、前も言ったようになんでも暴力で解決するのは擁護できません」
もしかして、以前言っていた牢屋行きか? そこで少し反省しろと……。酒場でのんびり酒を飲んでいたら、まさかの強制連行か?
髑髏マスクの下でヒヤヒヤしていると、ロキシーは首を振りながら言う。
「あなたはどうしてそうやって、他の武人たちに狙われるかわかりますか?」
「俺を好き過ぎるから?」
「違います! あなたがどこのパーティーにも属していないからです。人いうものは、個人には攻撃できても、集団となれば手出しができなくなる心理が働くものです。ですから、そうやって一人でいるよりも、どこかに身を置くべきです」
「そうすれば、要らぬ争いは無くなると?」
ロキシーが言っていることはよくわかる。俺を襲ってくる武人たちは、少なくとも五人以上だった。一対一でタイマン勝負にくる奴なんて一人もいなかった。
つまり、そういう奴らを牽制するなら、自分も個ではなく集団に属したほうが賢明というわけだ。
ロキシーは頷きながら、話を続ける。
「ですから、私から提案があります」
彼女は後ろの兵士から書状を受け取って、俺に渡してくる。
その丸まった紙を広げて読んでみると、思わぬことが書いてあった。
「これは……」
「ええ、どうですか。あなたほどの実力者なら、王都軍で傭兵として雇うことができます。そうなれば、あの血の気の多い武人たちもあなたに手出しはできなくなるでしょう」
「へぇ〜、俺のことを買ってくれているんだ」
そう言うと、ロキシーは咳払いをしながら困った顔をする。
「不服ですが、あなたはこれまでに小規模スタンピードをたった一人で数回鎮めています。それは、引き換え施設の職員から報告を受けています。実力者であることは間違いないでしょう。戦力の増強は王都軍としても今は優先事項です。そして、あなたのような人は、首輪をつけておくのが一番だと、私は考えます」
少々、バビロンで暴れすぎてしまったようだ。ロキシーから危険人物認定をもらってしまった。俺は髑髏マスクの下で苦笑いしながら、
「俺は犬じゃないぞ」
「そうですね……すみません。言葉が過ぎました。私から見たら……あなたは生き急いでいるように見えてしかたありませんから」
ロキシーは俺のためを思って言ってくれている。しかし、また彼女の庇護下に入ることはもうない。それは王都にあるハート家の屋敷を飛び出したときに決めたことだ。
それに、聖騎士ノーザンの件もある。俺がもし王都軍へ合流したと知ったら、あいつは何らかのアクションを仕掛けてくるだろう。しかも俺の上司として、命令に逆らえないような面倒なやつをだ。
やはり、身動きの取りやすいのが一番だ。
「気遣いはありがたいけど、俺はどこにも属する気はない」
俺の返事に、ロキシーは何か言ってくると思ったけど、すんなりと了承した。
「わかりました。なんとなく、そういうのではないかと予想はしていました。では、少しだけ私と付き合ってもらえますか?」
そう言いながら、ロキシーは酒場の外を指差した。外へ出ろってことか。
これは……どういう意味を指すかなんて口に出さなくてもわかる。ロキシーの周りの空気が一変したからだ。
「断ると言ったら?」
「軍事区にある独房で今までの所業を反省してもらいます。それが嫌なら手合わせしてもらっていいですか? 私は少々、武人ムクロの強さに興味があるんです」
ロキシーは先に酒場から出ていってしまう。やれやれ、できれば避けて通りたいけど、そうもいきそうにない。
なぜにロキシーと剣を交えなければいけないんだ。そんな俺に、エリスが手を振りながら応援してくる。
「面白いことになったね。ボクは応援しかできないけど頑張ってね」
「呑気なものだな」
「だって、ボクは傍観者だからね」
そうだった。だから、ロキシーとの会話に助け舟一つ寄こさなかったのだ。ニヤニヤ笑っているだけって……いい性格しているぜ。
そして、俺はもう一つのいい性格している黒剣に手を置いた。
『面白いことになった、フェイト!』
「お前も同じことを言うのかよっ!」
『ハハッハハハッハッ、俺様とて傍観者みたいなものだ。武器なんだからな。さあ、早く行かないと、ロキシーの機嫌を損ねて独房に入れられるぞ』
冗談じゃない! 俺はロキシーを追って酒場を出ていく。手合わせというなら、そう無茶なものにはならないだろうさ。
気が乗らないけど、やるしかないか。
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