第57話 色欲の守護者

 店の中は開店前だけあって、お客は誰一人いない。いるのは俺とエリスだけだ。

 二十席ほどある丸テーブルの一つに腰を下ろす。


 エリスは翡翠色の瞳を俺に向けて、にっこりと微笑んでいる。


「あの……君はこの酒場の店主なの?」

「違うよ。ボクはここでアルバイト兼居候させてもらっているんだ。マスターは仕入れで店を空けているだけさ。ちなみにここのマスターは、40歳にして童貞なんだって、只今嫁さんを絶賛募集中とか――」

「そんなどうでもいい情報はいらない。それより、なぜ俺のことを待っていたんだ?」


 俺はこれを聞くために、エリスの誘いに乗ったのだ。この酒場のマスターの身の上話を聞くつもりは毛頭ない。


 答えを求めたがる俺に、エリスは垂れ下がった青い髪を耳にかけながら、席から立ち上がる。


「まあ、そんなに焦らずにいこう。せっかくやっと会えたんだ。この出会いを祝おうか」


 そう言うとカウンター奥へと歩いていき、グラスを二つ棚から取り出した。それらにワインを波々と注ぎ始めた。


 ワイン瓶のラベルを見るに、俺の知っている安物ではない。かなり高価なワインみたいだ。

 赤いワインが入ったグラスを2つ手にして戻ってくる。


「さあ、どうぞ。この日のためにずっと取っておいたんだ。君のためにずっとね。もしかしたら、古すぎて口にあわないかもしれないけど、許してもらえると嬉しいかな」

「……ありがとう」


 どうやら、この出されたワインはエリスにとって思い出深い品物らしく、物憂げな顔をしていた。

 そんなものを初対面の俺に出すとは……一体どういうことか。一方的な状況で戸惑ってしまう。


 でも、エリスに促されるまま、一口、また一口とワインを飲んでいった。たしかにとても古いワインで昔は美味しかったんだろうと思わせる味だった。


 飲み干した俺を見て、エリスは大変満足げな顔をする。


「良い飲みっぷりだね。おかわりを飲むかい?」


 俺は首を横に振る。そんなことをするために来たわけではないのだ。


「君はせっかちなんだね。まあいいさ。本来なら、王都で君が暴食スキルを目覚めさせた時に接触しようと思っていたんだ。だけど、なかなか機会に恵まれなくてね。手をこまねいているうちに、君がロキシー・ハートを追って王都を離れてしまったわけさ」

「そこまで見ていたのか」

「ああ、もちろんさ。言い忘れていたけど、ボクは色欲の大罪スキル保持者であり、王国の守護者でもあるんだ。君のことは把握していたし、そこのグリードのこともちゃんと知っていた。王都の商業区の蚤の市で売られているグリードを保護しようかと考えていたけど、きっとその内、フェイトと巡り合うと思っていたからね。そのままにさせてもらったよ」


 それを聞いたグリードの舌打ちが《読心》スキルを通して聞こえてきた。おそらく、エリスの手の上で踊らされていたのが気に入らないんだろう。


「グリードとは面識があるのか?」

「そこまではないかな。ボクは第二世代だから、第一世代たちとはあまり面識がないんだ。ちなみに、君がバビロンに来るまでに一緒にいた憤怒の彼女は第一世代だよ。もっと言えば、ボクとマインはあまり仲が良くないんだ。ほら、ボクって彼女よりも胸があるじゃない? それが気に入らないみたいなんだよ」


 エリスはあんなことを言っているが、ただ反りが合わないだけではないかな。マインは馴れ馴れしい人を嫌うのだ。


 それにしても、第一世代、第二世代か……。考えをよそに、エリスは俺に自分の胸が触れそうなくらい近づいている。


 チッ。この一挙手一投足が、俺の思考を邪魔をするように、邪な感情を呼び起こして揺さぶってくるのだ。一体……この無理やりに相手を魅了するオーラはなんだ。


 俺がそれに抵抗するように顔を引きつらせていると、


「ああ、ごめん。これは色欲スキルの弊害なんだ。この魅了の力はどうしても勝手に溢れてしまうんだ。これにあてられると、老若男女問わずボクを愛さずにはいられなくなる。フェイトが暴食スキルで、お腹が空いてしまうのに似ているよね」


 エリスは大して気にしている素振りもなく、笑ってみせる。


 俺は暴食スキルのせいで、敵を倒してその魂を喰らい続けないと、その内自我が崩壊する業を背負っているのに……。エリスは色欲スキルは俺と違って、そこまでのリスクはないようだ。おそらく……。


 エリスの陽気さに、俺は苦虫を噛み潰したような顔で睨んだ。


「まあまあ、そんな顔はしない。ボクもこれはこれで苦労をしているんだ。あっ、そうそう、マインで思い出したよ。昨日、君たちは機天使(キメラ)ハニエルを倒したんだよね。あれは7タイプの中でちょっとばかり面倒なやつだったから助かったよ。ありがとう」

「7タイプ?」

「うん、そうだよ。あれは太古のガリアを守護していた生物兵器なんだ。全部で7つのタイプがあるんだ。ハニエルは障壁の機天使と呼ばれていて、成体化してしまうと簡単には近づけなくなってしまう。今の弱体化した聖騎士クラスでは討伐するのが厳しいだろうね」

「考えたくないけど……本当にあと6タイプいるのか……」


 空耳なら良いんだけどな……と思いつつ、恐る恐る確認のために聞くと、エリスは苦笑いしながら頷いた。うんざりしていると、空になったグラスにワインを入れてくれる。


「そう、気負うことはないと思うよ。あれのほとんどはガリアの首都で機能停止しているんだ。まあ、気になるのはそのうちの一体……ハニエルを何者かが、運び出したということだね」


 あの風化して村の形も失われつつあった場所に、ハニエルの繭が鎮座していた。あれは、もとからそこにあったわけではなく、誰かが故意に置いていったことになる。


 俺もハニエルの一件に関わったので、気にならないと言えば嘘になる。だけど、あえて関わってしまえば、本来の目的を見失ってしまいそうだ。


 注がれていたワインを飲んで乾いた喉を潤していると、


「この話はここまでにしようか。ボクとしても第一世代の揉め事にはあまり首を突っ込みたくはないんだ。さあ、ここからは本題だね」

「本題!?」


 てっきり、機天使絡みの話で終わると思っていた。しかし、彼女にとってそれは重要な事ではないようだ。あんな強い敵を超える問題って何だ?


 そして、エリスが口にした言葉に俺は怒りを覚えた。


「聖騎士ロキシー・ハートのことだよ。彼女にはガリアで死んでもらう」

「なにをっ! バカなっ!!」


 俺は手に持っていたグラスを床に叩きつける。怒りを露わにして睨みつける俺に、エリスは涼しい顔をしながら続ける。


「これは王都、いやこれから先の王国にためにとって大切なことさ。彼女の死はきっとこの国をより良い方向へ導いてくれる」

「バカを言うなっ! なぜ彼女が死ぬと王国が良い方向へ行くんだっ! 今の聖騎士の中で、ロキシーほど民を思う人はいないんだぞ。俺だって、だから……」


 俺はエリスの片袖を掴み上げていた。それでも、エリスは怒ることもなく、淡々としている。


「君は知っているかい。ヘイト現象というものを?」

「魔物を倒していくと、ヘイトが溜まって狙われやすくなるってやつだろう。あれは一日置けば、リセットされるはずだ」

「半分は正解かな。だけどもう半分が足りない。ヘイトは完全にはリセットされないんだ。長い年月をかけて、蓄積されていく。そして生まれてくるのが固有名称を持った魔物――冠さ。君が以前、ハート家の領地で戦った冠コボルトがそれさ」


 そうだった……あれは何世代もハート家の当主がコボルトを倒し続けてヘイトが溜まったことで生まれたとグリードが言っていた。……というか、そこまで俺の行動をエリスは知っているのか。


 監視されていた? でもどうやって。全く気が付かなかった。


 得体の知れない力に俺は掴んでいたエリスの袖を離してしまう。


「少しは落ち着いてきたようで良かったよ。じゃあ、続けよう。そのヘイト現象は人間でも起こるんだ。聖騎士による圧政、差別、貧困……それらによって苦しめられた人々のヘイト。さらにここに、聖騎士の中で唯一民に慕われたハート家――最後の血筋ロキシー・ハートの死。それも、他の聖騎士たちによって嵌められた非望の死なら、より演出されたものになるだろう」

「なにを言っているんだ……」

「ロキシー・ハートの死によって生じた膨大なヘイトが、今まで溜まりに溜まったヘイトを飲み込んで新たな力を持った人間を生み出すための贄となるんだよ。その子たちは聖騎士よりも優れたスキルを持った特別な者として、今後の王国を支える柱になる。どうだい、素晴らしいだろ?」

「人が死んで……素晴らしいわけがないだろ」


 そんな人為的に強力なスキルを生み出すためだけに、ロキシーを使うなんてありえない。彼女の……彼女の人生をバカにしすぎている。


「そうだね。目先の利益をみれば、ロキシー・ハートを失うことは辛い。だけど、五百年先、千年先を見据えると話は違ってくる。君にもわかってほしかったんだ。同じ、大罪スキル保持者としてね。だけど、フェイトは目覚めたばかりだったね。酷なことを言ってごめん。ボクとしては、このまま感情に身を任せてフェイトが天竜と戦うことだけは避けてほしかったんだよ」


 俺はそれ以上話を聞かずに席から立ち上がる。そして、店のドアを開けようとした時、エリスの声が聞こえてきた。


「ボクの言いたいことは伝えた。知っていてほしかったんだ……後は君に任せるよ。約束する。邪魔はするつもりはないし、ボクはただの傍観者でいるつもりさ。だから、また来てもらえると嬉しい。今度はただのお客としてね。ちゃんとサービスはするから」


 エリスの声は少し寂しそうだった。マインもそうだけど、エリスも何らかの檻の中で生きているのかもしれない。


 案外、自由なのは俺だけなのかもな。

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