第47話 緑の亜人

 俺はマインに借りを返すために、食事を終えると都市を出た。そして、徒歩で南下していく。


「なあ、目的地はどこなんだ?」


 荒れた大地が地平線の先まで続いている。おそらく、このまま進めば国境線を越えてガリア内に入ってしまうかもしれない。嫌な予感がした俺はマインにどこへ行く気か聞いてみるが、無視されてしまう。


 日は暮れ始めて、辺りは薄暗くなっていく。それでもまだマインの歩みは止まらない。

 ふと、東の方角を見ると、遠くで黄色い光を放つ場所が目に入る。おそらく、あそこが防衛都市だ。ガリアから溢れ出てくる魔物を食い止める最前線の拠点。


 ロキシーが3年間駐留する場所でもある。


 早く彼処へ行きたい。そう思っているとマインに肘打ちを食らわされてしまう。横腹が地味に痛い。


「他のことを考えない。意識を集中して」

「ああ、ごめん」

「あそこから先がガリア。気を引き締める」


 マインが指差した先には明確なラインなどない。だけど、大地が戦いによって亀裂が走っていたり、陥没していたりしているので、なんとなくあそこからガリアなんだろうなとは予想はしていた。


 俺はマインの後について、ガリアに初めて踏み込む。


 ん!? これは……空気が変わった!?

 肌寒さを感じる。さらに血生臭くて、仄かに死臭が漂ってくるぞ。


 たったの一歩、踏み込んだだけなのにこの違いはなんだ!?

 試しに引き返すと、さっきまでの清々しい空気だ。一呼吸をおいて、また中へ入る。


 ああ、やっぱりぜんぜん違う。


 見えない膜のような何かで、ガリアと王国が仕切られているようだ。こっちと向こうで世界自体が違うとまで言ってもいいくらいだ。


「行くよ、フェイト」


 俺が出だしでもたついていたものだから、マインが促すように声をかけてきた。

 返事をして、先に進もうとするが、


「くっ、うぅぅうっ……」


 くっそ……こんな時に暴食スキルが疼き出したのだ。今まで押さえ込む訓練を繰り返してきたはずなのになんで急に? そんな俺にグリードが《読心》スキルと通して語りかけてくる。


『フェイト、原因はあれだ。遥かに南方の空を見ろ!』

「あれって……もしかして」

『そうだ。天竜だ』


 沈みゆく陽の光を浴びながら、巨大な雲と見間違えるほどの白き竜が優雅に空を駆けている。


 でかすぎる……なんて大きさだ。あんなに離れているのに大きさを感じ取れるということは、目の前にすれば俺なんか米粒以下だろう。

 鑑定スキルを使って天竜の強さを調べたいけど、これほど距離があっては有効範囲外だ。


 地面に膝をついてしまっていた俺に、マインが手を差し伸べる。


「大丈夫?」

「だいぶ良くなったよ」


 天竜が地平線の向こう側へ消えていくと同じくして暴食スキルの疼きが収まっていく。


 それにしても、暴食スキルがこれほどまでに天竜に惹かれてしまうとは思ってもみなかった。このスキルは強ければ強いほど、喰いたいと欲する習性があるらしい。本当に困ったものだ。


 額から流れた汗を拭っていると、マインが俺に忠告してくる。


「フェイトに天竜クラスはまだ早い。見るだけで、この有様ならもう答えは出ている」

「ハハッハッ……返す言葉もないな」


 本当にそう思う。


 天竜は話に聞いていたよりも遥かに大きく、信じられないほど強そうだ。さすが、生きた天災と呼ばれているだけはある。いざとなったら、あれに立ち向かわなければいけないけど、果たしてどこまでやれるか……今の俺には全く思い描けない。


 俺は《鑑定》スキルで自分のステータスを確認する。


・フェイト・グラファイト Lv1

 体力:12256100

 筋力:11234600

 魔力:12312200

 精神:11284400

 敏捷:13378000

 スキル:暴食、鑑定、読心、隠蔽、暗視、格闘、狙撃、聖剣技、片手剣技、両手剣技、弓技、炎弾魔法、砂塵魔法、幻覚魔法、筋力強化(小)、筋力強化(中)、筋力強化(大)、体力強化(小)、体力強化(中)、魔力強化(大)、精神強化(中)、精神強化(大)、敏捷強化(小)、敏捷強化(中)、自動回復、炎耐性


 これでまだ天竜には足元にも及ばないのだ。一体、どれくらい強くなればいいのか、まるで見当がつかない。 

 天竜が姿を消していった方角を呆然として見つめていると、マインがポツリという。


「Eの領域。フェイトはまずそこを目指すべき」

「Eの領域?」


 なんだそれは? と首をひねる俺にグリードが舌打ちをする。


『余計なことを……それこそ、まだ早い』

「グリード、どういうことなんだ?」

『俺様は知らんっ』


 またかよ! だんまりを決め込むグリード。俺としてはぜひ知りたいことなのに、なんで教えてくれないんだよっ! 黒剣から手を離して、ため息をつく俺にマインが言う。


「天竜はその領域にいる。フェイトも暴食スキルを使って、そこまで一気に駆け上がることは可能。だけど、今のフェイトでは必ず暴食スキルに呑まれて自我を保てなくなる」

「戦う前に暴走してしまうってこと?」

「うん、そう」


 マインは軽く言ってのけたけど、グリードの反応からしても本当のことのようだ。

 今の俺ではそのEの領域とやらには到達できない。つまり、天竜とは戦えないという。


「今はってことは時間をかければ、俺でもEの領域にいけるってこと?」

「う〜ん、フェイトなら10年くらいで届くと思う」


 おいおい、気の長い話だな。それに10年もかけるわけにはいかない。天竜がいつ国境線を越えて、ロキシーに襲い掛かってくるかわからないのだ。


 そのときは、後戻りできない覚悟が必要になるだろう。

 マインはさらに続ける。


「あと一つ、天竜は倒さない方がいい。それは王国のためである。あれはガリアで増殖する魔物を間引くのに一役買っている。いなくなれば、信じられないほどの魔物が王国に流れ込んでくるようになる。だから、私も天竜には手を出してこなかった」

「そんな……」


 もし覚悟を決めてEの領域に踏み込んでも、天竜を倒してはいけないのならどうしたらいいんだ。八方塞がりの俺は思わず黒剣グリードを握りしめる。


『今から気にしてどうする? ここまで来たのならやるべきことは1つだろ。しかたない、俺様もいざとなったら協力してやる』

「……グリード」

『まずはマインの件だ。さっさと済ませるぞ』

「ああ、そうだな」


 考えても答えが出ないことで悩んで立ち止まっていても何も始まらない。俺はマインと共に、ガリア内を進んでいく。


 ☆ ★ ☆ ★


 荒れ果てた大地を奥へ奥へと歩き続ける。空はすっかり闇に包まれて、雲の隙間から僅かに星が瞬いている。


 一体どこまで行くつもりなのだろうか。俺はバッグから干し肉を取り出して、かじりながら前を歩くマインを見つめる。


 腰には重そうな黒斧を下げて、軽快に進んでいく彼女。あの身のこなし、アーロンから戦闘基礎を教授されたからわかる。無駄がなく、いつでも戦闘態勢に移行できるように歩いている。


 だからといって、神経を張り詰めていなくて自然体である。まさに理想形。


 そんなマインが急に立ち止まり、黒斧を手に取る。


「フェイト、敵が来た。小規模スタンピード」

「えっ、どこ?」


 《暗視》スキルを持っている俺でも把握しきれない遠くの魔物を感知した彼女は、東南の方角を指差す。ん? まだ見えないんだけど……いわゆる気配察知というやつか。


 しばらくして、土埃を巻き上げながら、豚の顔をした緑色の魔物が二足歩行をして姿を現す。


 数はおよそ200匹くらいだ。


 ゴブリンとは違って、体付きはがっしりとして筋肉質だ。背丈も高くて俺の1.5倍ほどはある。まだ、あれを調べるために鑑定スキルの有効範囲に入っていない。


「マイン、あれを回避できないの?」

「できない、目的地はあの先にある。邪魔をされたくないから、全て倒して進む」

「わかったよ。そろそろ、腹が減ってきていたところだし」


 黒剣グリードを引き抜く俺に、マインは言う。


「あの豚野郎は、ガリアでもっとも多くいる魔物でオークという。手に持った岩から削り出したネイチャーウェポンを使って攻撃してくる。頭がいいから、対人戦と同じように戦ったほうがいい」

「連携して襲ってくるってこと?」

「そう、アーロンから教わったことを忘れていなければ、フェイトでも問題なく戦える」


 あの200匹のオークは例えるなら、軍で言えば一個中隊みたいなものか。近づいてくるオークの手にはネイチャーウェポン。すべて同じ形状ではなく、盾や弓、剣、槍、杖まで様々だ。


 オーク個々で役割分担をしているようだ。マインが言ったように、人間と同じように戦う必要がある。たとえステータス上で俺のほうが大きく上回っていたとしても、何かの策にはめられて集団攻撃されてはひとたまりもない。


 オーク中隊は俺たちを把握しているようで、一定の距離をとって停止する。そして、奥に控える他のオークとは肌色が違う青オークが声を荒げた。


 それを合図として、矢と魔法が一斉に放たれたのだ。


「ちょっ!?」


 俺は慌てて、黒剣から黒鎌に変える。降り注ぐ、矢を躱しながら、大鎌で炎の玉を斬り裂く。おそらく、オークが放った魔法は炎弾魔法。炎耐性スキルを持っていてもできれば当たりたくない。


 次々と休みなく放たれる矢と魔法に俺はたじたじになる。近づけねぇぞ。

 まさか、こうやって攻撃を続けて俺の体力が底をつくのを待っているのか? 持久戦に持ち込まれたらヤバそうだ。


 初めて統率が取れた魔物に押されていると、ため息が聞こえてきた。


「まったく……この程度で動けなくなっている。先が思いやられる」

「そんなこと言ったって、じゃあどうすれば」


 マインだって、矢と魔法を躱している。同じじゃないかと言おうと思ったとき、


「えっ、うああぁぁぁ」


 突然マインが黒斧で地面を大きく削り取ったのだ。深くえぐられた大地は、大量の土埃となって上空へと駆け上がっていく。視界が完全に失われた。やべ〜! なんてことをしてくれたんだ!?


 オークが放った矢と魔法が見えなくなり、いきなり土埃から飛び出してきて俺を襲う。


 一瞬でも躱し遅れたら当たるぞ、これ。そんな俺の手をマインが引っ張って、横に移動していく。


「そんなところに突っ立っていたら、せっかく見えないようにした意味がない。回り込んで、オークたちの横腹を突く。さあ、手伝って」

「なるほど、隠れる場所がないなら作ればいいのか! さすがマイン!」

「それほどでもない……ない」


 マインは少し照れながら、俺の手を離した。


 なら、俺もやってやる。


 黒剣へと形状を戻して、地面を力一杯切り上げる。マインが上げた土埃の柱の隣にもう1本の柱が現れる。


 完全に俺たちを見失ったオークたちの動揺する声が聞こえてくる。さあ、反撃の始まりだ。

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