第19話 約束という誓約
俺は夜が明ける前に、どうにかハート家の屋敷に戻った。
冠コボルトとの戦いや、その後に起こった暴食スキルの歓喜により、へとへとに疲れていた。
黒剣グリードを部屋の机に立てかけてベッドに倒れ込むと、あっという間に意識は暗転してしまう。
……窓から差し込む強い陽の光に目を覚ますが、何かおかしいぞ。
ん? あの太陽の高さから見て、時刻は昼近くではないだろうか。
もしかして、大爆睡をしてしまったのか。俺は慌てて身だしなみを整えると、部屋から飛び出した。
そしたら、近くを通りかかった妙齢のメイドがくすりと笑いながら、俺にいう。
「お寝坊さん、やっと起きたのね。そんなことをしているとロキシー様からクビにされちゃうわよ」
「えええっ、それだけは……。ロキシー様はどこですか? この失態を謝らないと……」
オロオロとする俺を見て、メイドは楽しそうだ。なんだよ、俺がクビになるかもしれないのに笑うことはないだろっ! なんて思っていると、
「笑ってごめんね。だって捨てられそうな子犬みたいな顔をするんですもの。おかしくて、フフフッ。あらまた、ごめんなさい。でも、安心してさっきのは嘘よ」
「どういうことですか?」
「爆睡している君をそのままにしておくように命じたのはロキシー様だからよ」
驚く俺に、妙齢のメイドは続ける。
なんでも、朝になっても起きてこない俺を心配したロキシーが自ら確認に行ったという。
部屋をノックしても返事ない、何かあったのかと不安になった彼女はドアを開けると、俺が大きな口を開けて爆睡していた。
そんな俺を見て、ロキシーは昨日のぶどう収穫で疲れが出てしまったのだろうと思ったらしく、メイドたちに好きなだけ寝かせてやるように言いつけたというわけだ。
「そうだったんですか」
「ロキシー様から許可はおりているから、なんなら二度寝をしてもいいのよ」
「いやいや、大丈夫です。もうしっかりと寝させてもらいました」
二度寝なんて大胆にも程がある。とりあえず、ロキシーに謝らないと、
「それで、ロキシー様はどちらに?」
「昨日、言っていたでしょ。腕に覚えがある男たちを連れて、コボルト狩りに行かれたわ」
行ってしまったのか。あの自然が尽く破壊された渓谷へ。
今頃、それを見たロキシーは驚いているだろうな。
そしてどういう結論を導き出すか、気になる。まあ、俺がやったという証拠はどこにもないはず。ここは平然としておこう。
「いつ頃、お戻りになりそうですか?」
「そうね。通年通りなら、明日の朝くらいかしら。コボルトって夜行性でしょ。だから、日中に罠を張って、朝が明けるまで狩り続けるみたい」
「明日ですか……」
そう言いつつ、俺は今日中に帰ってくるのを確信していた。
渓谷の惨状を見れば、何者かがそこでコボルトたちと戦ったくらいわかるだろう。
それに、もしコボルトが渓谷の向こう側にまだ残っていたとしても、あれほどの戦いをすればハート家の領地へ、もうやって来るとは思えない。
毎年コボルトたちを追い払っているロキシーなら、経験則からわかるはずだ。
まあ、帰ってきたら何かしらの騒ぎにはなるだろう。予め、心しておけばいい。
そんなことを考えていると、
「君は本当にロキシー様が好きね」
「えっ!?」
いきなり言うものだから、変な声が出てしまったじゃないか。俺は使用人として、主様のことを考えているだけだ……そうだ。
「急に何を言っているんですかっ!」
「焦っちゃっているわよ。フフフッ……まあいいわ」
妙齢のメイドは、俺の反応がよほど面白かったようで、手で抑えて笑いをこらえながら、仕事に戻ろうとする。
「ちょっと、待ってください。俺に何かできることはありますか?」
ここはお寝坊さんとしての名誉挽回するチャンスをもらいたい。この屋敷では客人級の扱いをされているが、俺はロキシーの使用人なのだ。
何もしないでお給金をもらうわけにはいかない。
すると俺の熱意が伝わったようで、メイドはう〜んと首をひねって、
「そうね、ならアイシャ様のお相手をしてもらえるかしら。お暇そうなの」
「わかりました! 頑張ります!」
俺はアイシャ様がいる場所を教えてもらい、メイドに礼を言う。そして駆け出す。
「コラッ、廊下は走らない! 誰かにぶつかったら危ないでしょ!」
「すみません!」
使用人として、あるまじき事をしてしまった。
叱ってくれたメイドに頭を下げて、スタスタと歩いて先に進む。
アイシャがいる場所は自室。客室である俺の部屋とは違い、見るからに数段豪華な作りをしたドアだった。それを優しくノックする。
少し遅れて、中から返事があった。
「失礼します」
「まあ、フェイト。ちょうど、よかったわ。窓から見える景色ばかりで、暇をしていたの」
少女のように無邪気な笑顔で、アイシャは俺を迎えてくれる。
今日の彼女は、どうやら体調がすぐれていないようでベッドの上で上半身だけ起こして休んでいた。
「さあ、こちらに座って」
促されるまま、俺はベッドの横にある椅子に腰をかける。
アイシャはそれを見てニッコリと笑うと、再び外の景色を眺める。
俺もつられて、しばらくの間、屋敷の庭を見ていた。王都の屋敷では、庭師見習いの俺から見ても、細部までよく手入れされた庭だとわかる。ここの庭師はよほどハート家が好きなのだろう。
「良い庭ですね」
「そうなの、この窓から見えるところは、特にね。私がそんなにしなくてもいいって言っても、庭師のお爺さんが頑張ってしまうみたい」
そうか……アイシャは大病を患っているので、外に出歩くことは殆ど無い。だから、寝室に引きこもりがちの彼女への気遣いなのだ。
「困ってしまうわ……」
アイシャは口ではそういうながら、嬉しそうだった。しばらく談笑が続き、笑いの絶えない時間が過ぎていく。朝飯とかを食べていない俺が、ぐぅぅと腹の虫を鳴らすとメイドを呼んで、軽食を出してくれたりもしてくれた。
彼女からはなんというか、母親みたいな優しさを感じる。
まあ、俺の母親は、俺を産んですぐに死んでしまったので、そういったものを知らない俺が言うのもなんだが。
きっと、この無償の優しさがそうなのだろう。
そんなアイシャは手に持っていたティーカップを皿に置くと、急に真面目な顔をして、俺と向き合う。
「私はたぶん……もう長くはないわ」
「そんなことはないですよ。今もこうして、」
元気とは言えなかった。彼女は今もベッドの上だ。
その言葉をアイシャが引き継ぐ。
「そうね、今はまだ元気よ。だけど、そのうちきっとね。やっぱり自分のことは私が一番わかっているのよ」
「……なぜ、それを俺に」
「直感よ。あなたなら、ロキシーの支えになってくれると思ったからよ。お願いできるかしら?」
戸惑う俺に、アイシャは言う。
夫がガリアで戦死したことで、ロキシーは相当なショックを受けていたという。だが、代わりに俺がハート家にやってきたことで、ロキシーの心の支えになっているらしい。
彼女はアイシャと2人きりになった時にいったそうだ。「フェイトにだらしない主と思われないように、立ち止まっていられません」と。
「あの時のロキシーはいい目をしていたわ。若い頃のあの人みたい」
「ですが、俺のような者が……」
地位や立場が違いすぎる。
それに、今の俺にはそれなりの力があっても、表には出せない。もし影から行使しても、支えるといえるのか……なんか違う気がする。
困惑する俺に、アイシャの手が重なる。
《読心》スキルが発動して、心の声が聞こえてしまう。
(大丈夫……そんなに難しいことではないの)
そっと手は離されて、心の声はそこで途切れる。続きは、アイシャの口から、
「地位や立場なんて必要はないわ。聖騎士のような強き力でもない。大事なのはここ」
その手の指先は、俺の胸に指していた。
「大事なのは、そうありたいっていう心」
「心……気持ち」
「そう。だって、私は……元は平民の出で有用なスキルなんて持っていないんですもの。そんな私でも、聖騎士である夫を支えることができたのよ。私にでもできたのだから、フェイトにもきっとできる。私はそう信じます」
「アイシャ様……」
病弱なアイシャは、俺よりも強い心を持っていると疑う余地はない。
暴食スキルに目覚めて、ただひたすら力を求めてきた俺には彼女の言葉はとても重かった。
だから、俺もアイシャのようにありたいと思ったんだ。
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