第15話 摘まみ喰い

 ロキシーと一緒に戻ったハート家の屋敷では、夕食の準備が忙しそうにされていた。それなら、俺も手伝いをしようとメイドたちに申し出たら、「いいえ、結構よ」と却下される。


 そして、泥んこになった服を指差して、お風呂に入ってくるようにといわれてしまう。


 確かに、ぶどうの収穫を夕暮れまで頑張っただけあって、服も俺もひどく汚れている。妙齢のメイドにつれられて、俺は使用人専用の風呂場に案内された。


 一人がやっと入れるくらいの小さな風呂には、湯がなみなみと注がれている。真水とは違う独特な香り。


「これって、もしかして!」

「ふふっ、温泉よ。ハート家の領地内には、数か所ほど源泉の湧く場所があるのよ。それを屋敷まで引っ張ってきているわけ。これはハート家の使用人としても楽しみの一つになっているわ」

「素晴らしいです。これが噂の温泉ですか……」


 初めて見る温泉だ。

 俺はとめどなく出てくるお湯を手で掬ってみる。


「透明なのに、なんとなくドロっとしてますね」

「そうなのよ。これが肌に良いんだから。君の泥だらけな体も、ピッカピカになるわよ。脱いだ服はこの籠に入れておいてね。着替えはここに置いておくわね」

「ありがとうございます」


 いろいろと教えてくれた彼女が風呂場から出ていったので、さっそく服を脱ぐ。

 ん? ドアの隙間が少しだけ空いているのに気がつく。


 そこには、出ていったはずの妙齢のメイドがいた。微笑みながら、そっとこちらを窺っている。


「なんですかっ!」

「背中を流してあげましょうか?」

「けっ結構ですっ! 1人で入れます!」


 顔を引きつらせながらそう言うと、彼女はつまらなそうにドアを締めて行ってしまった。びっくりした……気をつかってくれたのかな。


 まあ、そのような冗談を言えるほど使用人が明るいのは良いことだと思う。ここは王都にあるハート家の屋敷と同じ優しい空気がした。


 体についた泥を洗い落とし、湯船へ。ふあああぁぁっ……生き返る。

 包み込むような温かさはとても心地よい。もう、俺はこの家の子になりたいとまで思わせるものがあった。まあ、無理だけど。



 風呂から上がり、ではさっそく夕食の準備を手伝おうと思ったら、全ては終わっていた。

 ハート家の使用人として、それではまずい。メイドの1人を呼び止めて、何かすることはないかと聞いたら、特になしと言われてしまう。


 なんでも、俺はロキシーが連れてきた客人級として扱われているようだ。

 そんな俺に、やっと声がかかる。


「ロキシー様がお呼びよ。この奥にある大部屋に行って、さあ」

「わかりました」


 テクテクと歩いて、突き当たりにある大きな扉を開ける。

 部屋の中央ある大きなテーブルには沢山の料理が並んでいた。


 そして、ロキシーだけがテーブルについている。メイドたちは部屋の隅に控えて、いつでも給仕ができる体制だ。


 なるほど……そういうことか。


 俺は迷わず、メイドたちの列に加わる。客人級の扱いを受けていても、俺はロキシーの使用人だ。

 主様の給仕は俺の役目というわけだ。


 フフフフッ、王都の屋敷でさんざん教え込まれた技術をここで披露しよう。ワインですか、それともスープ……いざっ!


 とうとう使用人としての真価を見せる時が来たのだ。そう思っていたが、


「フェイト、あなたはここに座るんですよ。そこではありません、ここです」

「へっ!?」


 ロキシーが指差したのは、右隣の空席だった。

 えっ、いいのか……。俺は恐る恐る横に並んでいるメイドたちを見る。


 すると、皆が一斉にあの空席を指差すではないか! これはもう早くいけということらしい。


 観念してロキシーの右隣の席に座る。なんだか、落ち着かない。王都の屋敷ではこのようなことはなく、使用人たちと一緒に食事を取っていたからだ。


 こんなだだっ広く、そして豪華な場所でメイドたちに見つめられながら、食事をするなんて初めてだ。基本のマナーは教わったが、それは給仕側からだ。

 まさか……こんなことになるなんて。


 俺は頭のなかでグルグルと思考を巡らせていると、隣にいるロキシーが楽しそうに声をかけてくる。


「マナーを気にすることはありません。好きに食べてくださいね」

「いいんですか!?」

「ええ、フェイトはよく食べますから、マナーを気にしていたら時間がかかってしまうでしょ」


 実はかなり腹が減っている。ではさっそく、目の前にあるパンを口に運ぶ。

 バターの香りが口いっぱいに広がってきて、うまい!


 勢いそのままに、パンばっかり食べていたら、控えていたメイドがワインをグラスに注いでくれる。

 そんなに、喉をつまらせそうな食べ方をしていたかな。


 注いでもらったワインを一気に飲み干す。


「ふぅー、美味しいです」

「そう言ってもらえて嬉しいです。ですが、フェイトはまだパンしか食べていませんよ」

「ああ、そうでした」


 ロキシーに勧められるまま、川魚のソテーを食べる。……うまい!

 夢のような食事だが、気になることがあった。


「ロキシー様、あの……アイシャ様がいないのですが」


 すると、彼女はため息を付きながら言う。


「いつものことです。私が帰省すると、はしゃいで出迎えてくれるのですが……それがたたって夕方になると寝込んでしまうのです」


 それを聞いて、俺の食事が止まっていることに気がついたロキシーが、


「フェイトが気にすることはありません。大丈夫、明日になれば元気になりますよ。いつものことですから」


 ロキシーは笑顔で言ってくれるが、本音は違うように感じられる。


 今、彼女の手に触れれば、読心スキルによって心の声がわかる。知りたいと思った。しかし、知ったところでどうなると思い直して、触れそうになっていた手を引っ込める。


「さあ、母上がいない分はフェイトにすべて食べてもらいますよ。さあ、さあ!」

「さすがにこれらの全部はちょっと……」

「さあ!」


 俺に食べさせるのが、面白いようで次から次へと料理が置かれていく。

 さすがの俺も胃袋の限界に達して途中で音を上げるほどだった。


 こんなに食べたのは生まれて初めてかもしれない。


 なんだかんだ楽しかったロキシーとの食事は終わり、俺は宛てがわれた客室へと案内される。その途中で妙齢のメイドはいう。


「君が来てくれてよかったわ、あんなに楽しそうなロキシー様は久しぶりよ」


 父親はガリアで突然の戦死。母親も大病を患っている。そして、王都では多忙な職務。

 メイドたちは、今回の帰省でロキシーのことをとても心配していたのだという。


 蓋を開けてみれば、元気なロキシーだったので、ホッとしたみたいだ。


「ゆっくりと休んでね」

「はい、おやすみなさい」


 俺はメイドに頭を下げて、部屋のドアを静かに閉める。

 ハート家の使用人としての一日は無事に終わった。


 さて、ここからはもうひとつの時間が始まる。

 メイドが予め、持ってきてくれていた黒剣グリードを手にする。


『よう、幸せそうな顔をしているな。腑抜けた顔をしやがって、そんなことでは、コボルトにやられるぞ』

「聞いたところ、ゴブリンよりは格上の魔物だけど、とんでもなく強いわけではないってさ。今のステータスなら問題ないと思う」

『慢心は足を掬われるぞ。で、コボルトが現れる場所は調べてきたんだろうな』

「ああ、ちゃんと調べたよ」


 俺は日中、ぶどうの収穫を手伝う傍ら、何気なくコボルトについて聞いていたのだ。農地を荒らしたり、人を襲ったりする危険な魔物だ。

 皆がよく知っていた。


 毎年、現れる場所はここよりさらに北にある渓谷から下ってくるそうだ。


 昨日、様子を見に行った者が数匹のコボルトを見たという。

 危ないことをしますねといったら、風が北から南へ吹いているので、風下となってコボルトに探知されないから大丈夫だと言われた。


 長年、コボルトの被害を受けてきただけはある。コボルトのみで言えば、もしかしたら武人たちよりも詳しいかもしれない。


 俺は黒剣グリードを手にしたまま、深夜になるのを待った。


『時間だ』

「ああ、いこう」


 寝静まったハート家の屋敷をそっと出ていく。今日も、月が顔を見せて絶好のナイトハンティング日和だ。


 北へ進み、細い山道を登っていく。


「なあ、グリード。今日、変わったガリア人の少女に出会ったんだ。俺が飢餓状態になった時と同じ目をしていた」

『ふ〜ん、そうなのか……で、名前はなんと言った?』

「わからない。鑑定スキルでもダメだった。どういうことなのか、知っているか?」

『特別な何かを持っているってことだろさ。名前がわからないなら答えようがないな。そいつは他になにか言ってなかったか?』

「そのうち、またって言っていた」

『フッ、なら絶対にまた会える。その時まで忘れておけばいいさ』

「なんだよ、それっ」


 得意のだんまりを決め込むグリード。仕方ないので先へ進むことに専念する。

 たまに茂みからガサガサと音が聞こえてくる。おそらく、うさぎか狐あたりの獣だろう。魔物だったら、大概は飛びかかってくるはずだ。


「ここが、コボルトが入り込んでくる渓谷か」

『やっと違う魔物が倒せるわけか。ゴブリンばかりだと単調でしかたない』

「今日は様子見だけどね」


 月の光が届かない薄暗い木の陰も、暗視スキルがあるので問題なく見える。

 どこから来ても、見逃さない。


 しばらくして、木々に隠れながら2匹のコボルトが渓谷を下ってきた。

 近づいて来たところを《鑑定》スキルで見てみる。2匹とも同じか。


・コボルト・ジュニア Lv25

 体力:880

 腕力:890

 魔力:350

 精神:400

 敏捷:780

 スキル:腕力強化(中)


 グリードの形状を黒弓に変えて、まず一匹のコボルトへ狙いを向ける。

 僅かに風をきる音がして、魔矢はコボルトの額に命中する。まずは一匹。


《暴食スキルが発動します》

《ステータスに体力+880、腕力+890、魔力+350、精神+400、敏捷+780が加算されます》

《スキルに腕力強化(中)が追加されます》


 突然仲間が殺されて、残ったコボルトは周りをキョロキョロと見て、何かしようとする。だが、させるわけがない。続けて2射を放つ。

 吸い込まれるように、またもや額に命中。コボルトは地面に倒れ込んで、動かなくなった。


《暴食スキルが発動します》

《ステータスに体力+880、腕力+890、魔力+350、精神+400、敏捷+780が加算されます》


 あっけないものだ。その後、しばらく待ったがコボルトはそれ以降、姿を見せなかった。たった2匹か……物足りない。


「この時期になったら、ハート家の領地に入ってくるんじゃなかったのか。少なすぎる」

『おそらく警戒しているのだろう。毎年、ハート家の聖騎士が追い払っているのだ。ああやって、下っ端を使って様子をうかがいながら、タイミングを見計らっているのかもしれないな』

「ああ、そういうことか」


 なら、斥候として送ってきた仲間が帰ってこないなら、コボルトたちはもうやってこないだろう。

 次に狩るときは、コボルトを泳がせる必要がありそうだ。

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