第24話 行宗道子

 行宗昭雄ゆきむねあきおさんの家は松江市から五キロ離れた山手へ向かう途中にあった。周りは住宅街の中に田畑が点在する郊外と呼ぶには長閑な場所だ。住宅街と言っても四、五軒がひとかたまりになり、あっちこっちに点在している。その一軒一軒が四十坪ほどの宅地の周りにはかなり広い敷地がある。その敷地内に車を止めて声かけをすると、直ぐに玄関引き戸を開けて昭雄さんは招いてくれた。五人も押し掛けるのは迷惑になると三人は車で待機して、夕紀と美紀が代表して通された応接間でさっそく系図を広げて説明された。

 系図は七十歳の昭雄さんを中心にして、父と祖父、祖父の五人兄弟にあたる由紀恵とその子供の三姉妹で、次女になる人が道子さんだと知らされた。主に説明を聞いているのは夕紀で、美紀はみんなに説明しやすいように、道子さんに至る系図を書き写している。それで既に亡くなった人には斜線を加筆した。それによると道子さんに最も近い生存者は、道子さんの姉に当たる恵子さんだけだった。

「この姉に当たる恵子けいこさんに聞けば一番確かでしょう」

 この人は松江の北に在る美保の老人ホームに住んでいると、昭雄さんはわざわざ前もって調べてくれた。

 礼を言って車は再び松江市に戻った。そこから宍道湖の北に在る美保へ向かう。途中には小泉八雲の記念館が有るらしい。桜木が寄りたかったが、目的を絞っているから断念する。

 桜木にすればまたとないチャンスだったらしい。八雲の日記には朝は仏壇に線香をあげる頃には、シジミ売りの声が聞こえると書いてある。それは平安時代の紫式部日記にも似たような記述が在るらしい。そこで桜木が言いたいのは、千年も変わらぬ同じ暮らしが続いたのが、僅か百年でのこの様変わりを嘆いているのだ。それを身近に感じられる場所なのにと残念がっていたのだ。これは人間学を専攻する二人には、是非とも知った方が身になるとも熱弁していた。

 美紀には、道子さんには興味を持たない米田が何で付いて来るのか解らないが、桜木の話には残念ねと肩を持った。当然この旅は夕紀と美紀が積極的に関わっている。今もこれから行く恵子さんに話題を振り向けているから関心の無い米田は論外だ。 

「お姉さんの恵子さんはもう八十近いらしい」

「で子供は?」

 桜木も無視された小泉八雲伝に代わって、これから行く恵子さんの話に乗ってきた。

「そこまで調べてないらしいの」

「そりゃそうだろうなさっきの行宗さんにしたって忘れていた系図まで引っ張り出して調べてくれたからなあ」

 と一人だけ蚊帳の外を嫌う米田も関心を示した。

 これには夕紀は驚き、美紀も珍しく反応しながらも説明した。

 当家の行宗家は調べてもあんまり著名な人が居ないから、家の人もこの系図は家宝にはならないとぼやいていた。息子夫婦もこんな物が納屋の奥に眠っていることさえ知らないらしい。だからわしが亡くなったら永久に日の目は見ないところだった。それを丁寧に書き写してくれて感謝された。と美紀は変な処で誤解されて訂正しなかったのを悔やんでいる。

「それは訂正しなかったのが俺は正解だと思う」

 と米田か言うから、美紀はちょっとびっくりしたようだ。

「どうしてよ」

「だってそうだろうあの人は希少価値のある自分の姓を広めてくれれば自慢の種になると思いきやそうじゃあないと知ればがっかりされるよ」

 道子さんが山下姓だけならこうも簡単には見つからなかった。やはり苗字は本当に大事でこれで自分の氏素性の由来が解ると今回はしみじみと感じた。

「だからこの中では俺の米田姓が一番軽く感じられるからそれで急にこの追跡調査が気になってきたんだ」

 家柄はともかく橘と片桐なんかは格式が在るように見えても、本人達はどうだろうと米田は名前に嫉妬しているようだ。

「米田、お前は気にする柄じゃないだろう」

 と桜木に云われて、其れもそうだと直ぐに納得するところがみんなには受けている。

 車は宍道湖をぐるっと回り込み、その北側の美保に在る二階建ての老人ホームに着いた。ここは中海側と違って日本海に付き出た小さな漁港以外はなにもない場所だ。そのせいかこの建物は静かな保養センターのような感じを受けた。ここでは季節を巻き戻すように桜の蕾みはまだ固かった。

 今度は全員が車から降りて中へ入ると、ロビーの隅にある受付には、夕紀が一人で聞きに行った。残りはロビーにあるソファーセットに座り込み、走り詰めで凝った身をくつろいでいる。

 夕紀が事情を説明して面会を求めると、受付のおばさんは内線で伺った。

 ここはちょとした高台でロビーからは日本海が一望できた。

「こう謂う処に在る老人ホームって静かで良いけれど周りは山で何もないのに唯一、開けてる海も夜は真っ暗でせめて反対側なら宍道湖と松江の夜景が見えて良いけれどここは何にも見えないから夜は寂しそうね」

 と優香は地元の美紀に話しかけた。

「あたしもここは来た事がないから知らなかったけどいつも見る宍道湖の山の向こう側ってこんなに殺風景なんだ」

 美紀はいつも宍道湖を見て育ったが、松江や出雲市から見る背景の山向こうは一度も行かなかった。だから宍道湖の美しさに隠れて、こんな裏寂しい存在を知りたくなかったのかも知れない。

 向こうでも桜木と米田もこの海を眺めているが、余り感傷に耽っているようには見えなかった。

 夕紀が受付から戻って来て、これから行く恵子さんの部屋へ案内してもらえそうだ。

 受け付けの人が内線電話で事情を説明すると、今まで分からなかった妹の消息が解ると聞いて是非ともお会いしたいそうだ。

 道子さんについて伺う前に、先ずは彼女の写真を見てもらって本人確認をしてからだ。間違いないと思うが、やはり部屋に近づくにつれてここまでの苦労がむくわれると思うと、胸の鼓動は高まる。美紀も桜木も米田まで、その緊張感が伝わって来る。

 行宗恵子さんの部屋は二階の奥だ。二階のエレベーターを出ると長い廊下の突き当たりがそうらしい。

 ドアをノックすると、どうぞと言う声に受け付けのおばさんはドアを開けてみんなを導くと「先ほど連絡した面会の方です」と言っておばさんは部屋を出た。

 部屋は八畳ほどの洋室にベッドと椅子や机があり、ビジネスホテル風な処に炊事場と少しの丁度品が在った。

 恵子さんは窓辺の椅子に座っていたが立ち上がりみんなを迎えた。

「まあ一度に孫みたいなこんなにお若い方が沢山来られたのは初めて」

 と嬉しいそうに言われたが「これじゃあここは狭いから」とロビーの方へ戻った。だから最初からそうすれば良かったが、受付のおばさんは気の利かない人らしい、と夕紀たちは思った。



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