第20話 祖母の便りを待つ

 桜木が住んでいる出町柳は、賀茂川と高野川が合流する場所にある。京大に合格すると彼は此処が一番気に入って決めた。なんせ見晴らしが良い、大文字の送り火にはここから最初に点火される左大文字を見る人だかりで一杯になる。もちろんアパートからは左大文字しか見えず、特等席の合流地点の河原からは妙法、船形、右大文字が見えて鳥居だけが望めない。もちろん今三人が渡る賀茂大橋からの眺めが最高だが、此処は車道で歩道は立ち止まれ無い、それで橋の欄干にしがみ付く者もいる。桜木が目指す店は賀茂大橋を渡った先に有る。

 橋を渡り今出川通りから河原町通りを過ぎて西に行く二百メートルの間に、商店街と飲食店がひしめいている。その先は南側の御所と北側の同志社大学が烏丸通りまで続く。

 桜木が行く店は同志社大学の手前で、京大近辺とは違って凝ったメニューを揃えていた。そこは壁一面に様々な外国風のポスター類が貼られて、安っぽいテーブルまでが海外に来た雰囲気にさせる。もちろんオーナーは別にしてスタッフは全て近辺のバイト学生だ。流石に春休みとあって、いつもは席を埋めている同志社のお嬢様学生はいなかった。店の構えは落ちるがメニューにはかなり凝ってある。

「なーるほど、桜木君はこうい美味しいそうな店を知ってるんだ」

 夕紀も美紀もちょっとした路地で貧弱な店構えに「洞穴」と云う看板をちらっと見ただけで敬遠した。それからはこの路地には入らなかった。

「ここは舌の肥えた同志社のお嬢様学生には結構受けて居てるんだよ」

 ここで桜木はムール貝の入ったスパゲッティを注文した。二人はパスタとピザにマカロニサラダを注文する。

 桜木は夕紀の祖母がいかにしっかり者か聞き出す。それによると祖母の見る目に狂いはない様に見受けた。

「だがなあ道子さんはもう四十年も関西に住んで居たそうじゃないかそこを多少は割り引く必要があるだろう」

 と言うのも島根の方言は早とちりで広島、鳥取、山口県辺りのなまりと取り違えもあると桜木は見ている。それよりも資料を分散して当たれば効率は良くなるが、今回はそれが裏目に出た。夕紀の気まぐれで見つけられたが、このまま見落としていればとんでもない事になってしまう。それでも島根の行宗家から、道子さんとの繋がりが見つからなければ、また作業は振り出しに戻る。

「しかしさっきも言ったとおり米田は責められんぞ」

「それは解るけど、もっと情報を共通させて横の繋がりをもっと密にする必要性が有るんじゃないの」

「夕紀の話に異論はないが、そもそも何で米田がこれだけ深入りしてくるのか俺には解らんよそれより残りの私物が入っていた箪笥たんすなどの家具は米田に頼むしかないからなあ」

 それにあれだけの本をフリーマーケットで売るのなら、石田や北山にも手伝ってもらわないと売れ残れば、またあの家に戻すとなると大家おおやさんが困るだろう。

「それよりは親類に道子さんの名前が載っていればあの写真を持って確認に行かなけゃあならないね」

 実家へどう帰るか美紀は楽しみらしく「いつ頃解るんだろう」と付け加える。

「事情を説明して直ぐにって言う訳にはいかんだろうやはり先方の都合もあるからなあ」

 と桜木は言うが、おばあちゃんは良いと思えば直ぐに行動を起こすけど、美紀には米田が気に障るらしい。

「あたしが思うには米田君は美紀ちゃんを気に入ってるんじゃないの」

「それは無いわよだって風当たりがあたしにはきつすぎる」

「ホウ〜、それは余りにもつれなくされると、かわいさ余って憎さ百倍だろう」

「どうしてそんなことが云えるのよそれに来るか判らないじゃん」

「米田にメールを打ったら、本人確認で島根に行くなら一緒に行くとガラケーに着信があったんだ」

「偉い先走りするのね、そのメールもちょっと下心を疑いたくなるような熱心さね」

 夕紀はちらっと美紀を見て喋る。

「これであたしが帰って来るとおばあちゃんは思って頑張ってくれてるだろうなあ」

「そうなの美紀、この前はいつ帰ったの。そう遠くない田舎なのに、そう言えば桜木君も確か田舎は日本海側だよね」

 それで美紀が「じゃあ同じ電車に乗れるんだ」と言うと、

「丹後半島の付け根で網野だからここからだとJRから乗り換えてタンゴ鉄道になるから俺は途中下車だ」

「それでも同じ日本海側はなんだ」

 と言いながらも美紀は、JRの山陰線からはずれるのか、とがっかりしている。それに全く気付かない桜木は、矢張り百冊の本よりひとつの恋か。どれ程の恋愛小説を読破しても、恋の駆け引きは千差万別で方程式は存在しない。夕紀にすればそれを知っているとは思えない。

 もうこの鈍感に何であたしがイライラしなけゃあならないの、美紀はそれに輪を掛けて鈍感だから救いようがない。

「桜木くんフリーマーケットで本を処分してもあの大菩薩峠全二十巻は美紀が読みたいから置いといてよ」

 と夕紀は鈍感な二人には読む読まないは別として、今は関心を示している以上は処分しないように申し送る。

「そうだなあひょっとして夕紀も読みたくなるかも知れないからなあ」

 そのうちに人間学部で採り上げてもおかしくない本だと桜木は言ってる。何でこっちへ返って来るのと夕紀は溜め息を吐いた。

「だって狂人の剣士の物語でしょう」

「生死を突き詰めれば人はトコトン自分を見失ってしまう。その典型を一人の剣士に忍ばせて架空の世界で実践させているんだ中里介山は」

 そんな本だから美紀には難しすぎる、と暗に言ってるのかも知れないと思った。

「まああの本は俺も興味があるから、それにしても気になるなあ」

 率先して取り組んでいる時は我を忘れてしまうのに、こうして待つ身になれば時間がやけに長くて辛いもんだ。朝一で連絡してもう午後の二時近くになる。

「恋すると一分が待てなくても十年がサラリと流れたりするから不思議なもんよ」 

 人は気の持ちようと夕紀は云う。

「何だそれは」

「例えばあの家から見つかった二人の写真のようにアレは四十年以上前の写真よ」

「確かに古い写真だ、だからどんな恋か気になる。そうなると益々島根からの連絡が気になるなあ」

 と桜木は食事が終わり手持ち無沙汰にしている美紀を見る。

「何だ珈琲か紅茶か」

「わあー、それも付くの」

「付かないけどここの紅茶は凄いぞー、なんせ六種類の香辛料をそれぞれの紅茶の種類に合わせて混ぜて淹れるんだ、これで芳醇なひとときを味わえる」

 礼は飲んでから言ってくれ、お前らのは俺が選んでやる、と三つ種類の違う紅茶を桜木は注文した。その紅茶が醸し出す芳醇なひとときを覚ますように、美紀のスマホに着信音が鳴った。


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