第19話 微かな糸口
桜木の動揺を尻目に夕紀は、相変わらず古い電話帳と睨めっこしている。
「でも昔の電話帳ってなんでこんなに馬鹿でかいのそれにこんな細かい字じゃあお年寄りの老眼鏡でも見えにくいんじゃあないかしら」
と夕紀はブツブツ言いながら尚も、何で昔の電話帳なんて男の名前ばっかしで女は登録しちゃダメ何の、あ〜あ行宗の欄はもうー広島県ばっかし。あ、高知県にも一人居た。でも他府県は本当に少ないのね、と相変わらず電話帳を見ながら愚痴る夕紀を尻目に、美紀と桜木は相変わらずパソコンと格闘している。そこへ夕紀が突然あ! と悲鳴に近い声を上げた。
「もうー、夕紀静かにしてよッ」
と苛つく美紀に、何言ってるのちょっとこれを見て見てよ、と何度も夕紀に呼びつけられた美紀は「いいかげにしてよ」と言う間もなく夕紀は、彼女の腕を掴んで引き寄せるとここ見てよ! と電話帳を指差した。美紀は邪魔くさそうに「行宗昭雄って書いてあるけどそれがどうしたの」と素っ気ない。それが余計に夕紀は苛つかせる。
「もうー、その横の住所よ」
「ホウー、島根県にも行宗が居たのか、それがどうしたの」
美紀は尚も取り合ってくれない。
「もうッ、美紀は何処まで鈍感なの!」
「失礼ね今の聞き捨てならないわよ!」
パソコンから離れてなにもしない夕紀に美紀は頭に来ていた。遂に二人は一触即発の陰険状態に陥るが、そんな場合じゃないと、直ぐに夕紀が取り成した。
「もうー、焦れったいこの前、
「この忙しい時にそんなの考えている間はないわよッ」
「どこまで勘の鈍い人なのあんたこの前ばあちゃんに美紀は道子さんと言葉のニュアンスが似てるって言われたでしょう」
美紀はそれがどうだって云ってから直ぐに夕紀を真面に見つめ直した。
「うん? そうかッ、解った夕紀凄いじゃ無いのこの行宗昭雄って言う人ひょっとしたら」
「そうよひょっとしたらでも道子さんの身内じゃないかも知れないけど今は大発見だよ」
この二人の遣り取りに直ぐに桜木も反応した。
「おいおい夕紀、他に島根県に行宗はいないか調べて見ろしかしそこは確か米田が担当したとこだからなあ」
とは言っても俺も知らないから奴に罪はないと、桜木が直ぐに彼を擁護する。二人はさっそく入念に調べても他には見当たらない。
「この人だけか……」
桜木は直ぐにまた不安な顔をする。それが夕紀には、何でこの人がこんなにのめり込んでいるのか解らない。彼を呼んだのは大量の本の整理だけなのに、いつしかその持ち主にこれだけ深入りしているのが解らない。そう言う性格なのかしら。
「しかし道子さんが島根県の生まれかどうかはまだ解らないんだろう。これはあくまでも夕紀のおばあちゃんの第六感であって安易に頼る訳には行かんだろう」
「第六感ってなによ! ばあちゃんは結構鋭い感覚の持ちぬしなんだから」
「解った解った。夕紀、今はそんなことで争ってる場合じゃあないそれよりは美紀、いや橘美紀ちゃん直ぐに実家へ電話してその人のことを知ってるか聴いて来れないいか」
美紀は直ぐに電話したが返事が来ない。すかさず夕紀が交通事故で危篤って云うメールにすれば良いじゃんと言われて、あたしを殺すつもりと大げさに反応している。
桜木にすれば早いに越したことはないが、音信不通の孫から突然の電話ではオレオレ詐欺を疑われる、やはり第一報はメールに切り替えよう。
「美紀、おばあちゃんはスマホ持ってるのか?」
「もちろん持ってる」
「ホウー、ハイカラだなあとにかく折り返し至急連絡請うで感嘆府を二つ以上付けて送ってくれそれで待とう」
そこでみんなは朝からのモヤモヤした気分に一区切りが着いた。
「ねえ、ひとつ聴きたいのだけど桜木君はどうしてここ迄してこの問題に突っ込むの」
「夕紀、俺はあの孤独死した道子さんと云う人が旦那さんでない人の写真を遺してああ言う死に方をした人の過去に、いや青春を知りたくなっただけさ」
そうか、でもあの写真は桜木だけでなく、みんなが注目して少しはあの写真の二人の関係に興味を持ったのは確かだ。桜木がその興味を他のあたし達より持ってくれた事でこのサークルの依頼を引っ張っているんだ。これは大いにその感心を引っ張り続ける必要性が在る。これには美紀が適任だと夕紀は密かに秘めた。
道子さんが美紀の同郷かも知れないが今は何の根拠もない。後で違えば失望感が大きいと、今まで通り作業を続けようとするが、はかどらないだけにどうしてもおろそかになる。そこに美紀のスマホが鳴り響くとそれに一塁の望みが掛かった。スマホを持つ美紀に作業を中断して注目が集まった。
おばあちゃんからは、何なの? と言う呆気ない短いメールだ。
「そうかそれじゃあ行宗昭雄さんについてこちらから事情を説明して家族か身内に道子さんと云う人がいないか確かめて貰えるか訊いて見ろ」
美紀が伝えた住所と名前におばあちゃんの反応は鈍いどころか初耳だったそうだ。
「遠いとこじゃないから美紀の為なら行ったげるけど何なのそれってあんまり聴かん名前やねえ」
「そいでその家へそう云う事情でおばあちゃん様子を見に行ってくれる」
「美紀ちゃん、あんたの総合人間学部ってそう云うこともやるの」
「そう云う実習は無いけれど友達の夕紀ちゃんって知ってるでしょうその夕紀ちゃんのご近所さんから頼まれたのよ」
「そうね身寄りの判らない人の孤独死ほどご近所さんは大変だけど本人も誰にも看取られなければ成仏出来ないわね」
「ばあちゃんそんな化けて出て来るような怖い事言わないでよ」
「美紀ちゃんこれはいい供養になるからあたしで良ければ出来るだけのことはしてあげるわよ」
「ばあちゃんありがとう」
「お役にたてるか解らないけれどね道子さんね親戚に居れば良いけれどね行宗昭雄さん宅に行って聴いてあげる」
とおばあちゃんは引き受けてくれた。その家は美紀の実家からバスで直ぐに行ける所らしい。
これで苦境に立たされた桜木はひと息入れられて、美紀にはこれで一目置かざるを得なくなってしまった。
「そうなるとこの作業も身が入らなく成ってしまったわね」
と夕紀は暗に中断するべきだと桜木に示している。桜木もこれには自分の見込みの甘さにほとほと愛想が尽きたのか、昼飯はおごると言い出した。これはあくまでも夕紀達が引き受けた案件で、桜木くんは単なる傍観者に過ぎないのに、いつの間にかスッカリ入れ替わってしまった。だが二人は厚かましくもその言葉に甘えて、彼が推薦するセンスの良い洋食店へ出かけた。
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