第16話 発見された新たな遺品
この日、京阪電車出町柳駅にあるバス乗り場に、美紀と桜木と米田がやって来た。石田と北山は借りた軽四のトラックで直接行く。行き先は孤独死した山下道子さんの自宅での遺品整理作業だ。
春休みに入ってみんな忙しく無かったが、みんなが揃うとなると日にちは限られてしまうから、学生ほど我が儘な奴はいなかった。裏を返せばそれだけ自由奔放に懐具合に妥協して生きている連中だ。
この日になったのは、軽四のトラックの借りられる都合で、ほぼ決まったようなものだ。全くあの二人に振り回されたと、米田は来るなりぼやいている。
「しょうがないだろう車がなければ家具は運び出せないじゃないか」
桜木にすれば家具は本みたいには簡単に、しかも大菩薩峠のように分散して運べない、と言いたげに米田の苦情に苦笑した。それを聞いていた美紀が、あの本はまだ部屋の隅に積んだままかと訊いて来る。
貨物コンテナぐらいの広さが有るバスの待合室には、プラスチック製の一人掛けの椅子が横一列に並んでいる。その三つを三人は占拠していた。三千院行きのバスは頻繁に出ないからそうなってしまった。
美紀に「あの本を本当に読むつもりなのか」と米田は勘ぐるように横やりを入れてきた。
「バイトに明け暮れる米田には無理な本だ」
と桜木は一蹴する。アレは確かに大衆小説家の中里介山の書いた物だが、彼はそこに人間の情念を染み込ませている。と熱弁すれば「何だそれは人間の条件は聞いたことがあるが人間の情念は初耳だ」と米田は突っかかる。人間が生きる上で生じる理性では片付けられない物だ。だからこそ終生を掛けて介山が挑んだ作品で読む値打ちがある、と桜木は一応、米田に今一度推奨した。
「矢張りそう言う本だから俺には向かんから無理だ、美紀が読むなら本腰を入れろ」
と自分へ向けられた
「どうしたの、お疲れ?」
「もうバスを待ってる間に米田がうるさくてバスに乗ってホッとしたらそのまま寝ちゃったんだよ」
そう言うなり桜木は、サッサと先頭に立って歩き出した。米田も一切弁解せずこれに続くと、夕紀は最後に降りた美紀を迎えて並んで歩いた。
「米田君になんか言われたの?」
「もうウザいのよあいつに文学を語る資格はない」
よく聞くと例の大菩薩峠を書いた中里介山論がまだ尾を引いてるらしい。それが美紀でなく、何で米田と桜木がやり合うのか解らない。
「ねえ夕紀、学部も違ってうちのサークルにも入ってない桜木君をどうして知り合ったの?」
二人のやり合いを思案する間もなく、いきなり桜木との成り行きを聴かれた。
夕紀も美紀も総合人間学部だが、専攻が決定するまでの一年間は自由に講義を受けて、そこで文学部の桜木を知ったらしい。学部は違っても彼から見れば講義内容には共通点が多いから、特定の人物論の講習ではよく顔を合わせていた。それだけで特に深い付き合いはなかったけれどと説明した。
「そう言うことか……」
美紀はなんかホッとしたように間延びしてくる。それを諫めるみたいに間髪を入れずに夕紀は桜木に預けた大菩薩峠を取りに行く気があるのか訊ねた。
駐車場に繋がる脇道から国道沿いを少し歩くと、もう中央線のない道に入ってしまう。
「あるけどそれよりは山下さんの身元調査に今は手一杯でしょう」
と見事に躱される。路は既に何処を歩いているの解らないほどの田舎道になる。
「でもあの家の調査は毎日でなくみんなが揃うようにかなり間隔を開けているからあの本を本当に読むつもりなら取りに行ける時間はあるでしょう」
と夕紀は本気度を確かめる。先頭を行く肝心の桜木は最後部を追随する二人の会話には無頓着に歩いている。まあ聞こえていなければ致し方がないだろう。と思う間に山下道子さんの家に着いた。家の前で待つ桜木が早く鍵を持ってくるように急かしに掛かる。仕方なく残り十メートルを二人は早足で玄関に着いた。
家の中は前回の手付かずのままで、これでスッカリ整理は任されていると確信出来る。今回は視点を変えて一階と二階のタンスや物置や引き出し類を調べるメンバーを入れ替えた。前回は二階を見た夕紀達は一階を見て、桜木と米田は二階へ上がった。
一階は食器棚に付いている引き出し類とか物入れを調べる。とにかく引き出し類と物入れを一つ一つ丁寧に見ていく。ちょっとしたメモ書きでも有れば伝言以外はしっかりと意味を調べていく。この調子で始めると、直ぐに石田から場所が分からんと電話があって米田が迎えに行った。五分もしないうちに軽トラが玄関に横付けされる。
電化製品とダイニングセット、ソファーセット、ベッドに椅子等の調度品に限定された家具の運び出しに桜木と米田も加わった。私物が収まっている机や本箱やタンス類は今回は置いておく。しかもリサイクル店で売れる物に限定されて男四人はそれを選んで運び出しに掛かった。
夕紀と美紀だけが引き続いて道子さんの痕跡が遺る私物を調べる。軽トラは三回分で調度品を運び終えた。残りは私物が収まっている家具と本だけが残り、石田と北山は三回目を運び出すとそのまま帰り、軽トラを返却して彼らの仕事は終わる。石田と北山は運搬途中で昼食を摂り、残り四人はその場でコンビニの弁当で済ませた。
一階の水屋箪笥は終わり、昼から石田らが三回目を運び出した頃に、二階の茶箪笥から最後に残った小さな引き出し類を調べる。そこで美紀が引き出しを引きすぎて落としかけた。桜木はその引き出しが少し短いのを見て、抜いたタンスの奥を覗くと物が見えた。暗くて狭い奥に、思い切って手を突っ込んだ。そこで桜木が古くなった布で巻かれ、手に乗るほどの細長い小物を見つけた。みんなが注目する中で、何だろうとその古い布を慎重に広げると、中に印鑑のケースらしき物が出てきた。
「
と夕紀が手に取って開けてみれば、それは当家とは違う変わった苗字が彫られた印鑑だった。
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