第10話 反省会

 四人は取りあえず、中里介山の大菩薩峠全二十巻だけを、四人が分散して出町柳に有る桜木のアパートに運ぶことにした。男は六冊、女は四冊に分けて近くのバス停まで歩く。B5の箱入り全集六冊四キロは有るだろうか。重いと米田が何でこれだけ運ぶんだとぼやくが、彼女たちも四冊で三キロになる。だけどバスに乗ってしまえば膝に抱えていればいいから楽勝だろうと急き立てた。

「米田ぼやくなお前の想定外のやつをわざわざ外してやってるんだ」

「アラ、じゃあ立原道造のはいいの?」

 夕紀の問いに、どうやらここには立原道造のめぼしい本は余りなかったようだ。

「ああ、なかったしそれに文庫本の方が嵩張らなくて良いからなあ。こういう装丁の凝った本は案外と見てくれで全集を揃えている奴もいるからなあ」

「あの家もそうなの」

「会ったことのない人にそんな判断出来るわけがないだろうが、来客が少なければあの全集は飾りじゃないだろう」

 なるほどそう言う推理も成り立つか、と美紀が感心した。

 めぼしい成果のない帰りのバスは、行きと違ってみんな喋るのも億劫なのか、膝の荷物が堪えるのか口数も少ない。

 着いた出町柳から桜木のアパートは、通りから外れた小道が続く、静かな佇まいの二階の端部屋で、窓から比叡山が見えた。六畳一間にバス、トイレ、キッチンと月並みのこぢんまりした部屋だ。なるほどこのスペースなら文庫本でも荷物になりそうだ。取りあえず全集二十巻は、部屋の角に山積みして、出町柳から電車に乗って三条京阪で降りた。

 四人は三条大橋を渡り木屋町通りを下がった。今日の慰労会と不参加した石田と北山にも次回は荷物の運び出しの応援を兼ねて呼び出した。二人は現金なもので飲み会だと解ると参加を表明した。まあ割り勘だから、人数が多いほど負担額が少なくて済むし、運び出すときには必要な連中だから無下には出来ない。

 四人は指定した三条木屋町の居酒屋へ入った。バイトを切り上げてきた二人は、少し遅れたが揃った。ここではチューハイで乾杯して、好みの一品物を各自二、三品注文した。今日は来なかった石田と北山には、軽トラで二回分ほどになる荷物を運び出すように応援を求めた。米田がこれが一番の稼ぎになると云えば二人は即決で参加を決める。その分、体力勝負の仕事だからまあ良いかと夕紀は頷いている。

 この日の二人の不参加には、今日はこの人数でも多すぎたと桜木が云うと、米田があの全集の持ち出しがなければと嫌みを云われた。

 状況説明を聞かされた石田と北山は「なんか厄介な物を押しつけられたなあ、だから年寄りの孤独死はたまらん」と何もしないで文句を垂れている。まああの状況では却ってあの二人が居なかったのは正解だと四人は取り繕った。

 ここから先はどう取り組むかで、新参者を入れた議論になる。

 もちろん大家を通じて役所からの依頼だが。その手がかりをあの屋内に求めても、謎が深まるばかりだ。近日中にやって来る宇田川由香さんからも、山下道子さんの人物像が多少解るだろう。それでどれほどの親族が解るかはみんな懐疑的だ。とりあえずは今はあの写真しか手掛かりは無いが、まさかあの写真から尋ね人のチラシを作って、街頭で配るのは行き過ぎだろう。それは個人情報保護の観点からもまずいと意見が一致した。フリマでさばく本に「求む親族!」のチラシを入れれば、と云う案を米田が出したが一蹴された。

 みんなは各自注文した盛り合わせとチューハイを飲みながら、今日掘り当てた四枚の写真を穴が空くほど眺めた。しかし名案は浮かばずチューハイとおつまみだけが減ってゆく。 

 道子さんは五年前に旦那さんを亡くしてから、二人の思い出を整理したと云う結論を導いても、残るあの写真の謎には手を焼いた。とうとう決め手の無いまま六人は居酒屋を後にして別れた。桜木は京阪電車の駅へ、石田と北山と米田はその場で別れた。夕紀と美紀は二人揃って高瀬川沿いに北へ向かって歩き出した。

 帰りのバスもそうだが、あの居酒屋でも酒の力を借りても妙案は出なかった。手掛かりがあの古い写真だけでは、調査も早々に行き詰まったのだ。

 でもまだ私物が詰まっているタンスや引き出しは、まだ半分以上は残っている。そこに期待を掛けようと、この日の苦労は酒で流した。

「あまり出歩かなくて身の回りは良く整理された部屋、大家さんには月に一回の家賃の受け渡しで挨拶程度の会話だけ。これじゃつかみ所が無いわねまるでジックリ調べて欲しいと言ってる様じゃないの」

「でも道子さんは逆に出払った時間を見越して出歩くって言うのもアリかも知れないね」

 雷鳥は天敵を避けて天気の悪い日に飛ぶらしい。しかも季節ごとに保護色を変える。なんかそんなイメージしか浮かばない、と美紀はぼやいている。

「だけれど雷鳥は天然記念物だよ」

 雷鳥も大切に扱われたけれど、道子さんも旦那さんから大事にされたかも知れない。だからその想い出をサッパリと忘れる為にも、五年前に綺麗になくしたのだろ。それで後に残ったのは、あの膨大な大衆本だけって云うわけか。

「あの本は旦那さんの趣味で読み集めて道子さんは整理の片手間で読破して行ったのならどうだろう」

「なるほどそうなると二人の共通点になる本は特に汚れるなあ」

「それで中里介山の大菩薩峠か、それで美紀は持ち出して読むつもりだったのか」

「そうじゃあない桜木の気を惹こうとしただけよ」

 ハア、試行錯誤もはなはだしいくて、それはないでしょうと夕紀は顔を顰めるが「でもいつから気になったのかは知らないけれど、ちょっとは効果が有ったみたい」とほくそ笑んだ。

「それで美紀はどうなの」

「エヘヘ、向こう次第」

「誤魔化すなハッキリ言え」

 云えば協力するかと美紀は夕紀に迫った。まあ桜木なら他のメンバーと違って、真面目で面白目には欠けるけれど。あいつも真剣さを出せばとんでもない行動に打って出るかも知れない。第一真面目くさがっている物ほど、慌てふためくのを見るのも面白い、と夕紀は協力を申し出る。

「いいけれどそれでどうなの」

「あの何事も理論化して取り組む姿勢が気に入ってるの」

「恋はそう言う訳には行かないわよ」

「だから頼んでるのよ」

「向こうもあの本にあたしが興味を持ったことに関心を示した」

 それは云えてる、だから全二十巻を桜木は引き取った。美紀は頃合いを見て、あの本を読みたいと駄々を捏ねれば。桜木は乗ってくる。後は一回二冊として十回はあの部屋と往来できるから、チャンスは相当増えると夕紀がこの作戦を提案した。

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