第9話 遺品調査

 片桐は娘から昼食をご厄介になると連絡を受けていた。少ないメニューが幸いして四人分は腕によりを掛けた味付けが出来た。それが証拠にみんなが頼んだ物は、後の食器洗いが楽なほど綺麗に食べてくれた。これで仕上げは更によりを掛けて、選んだ豆を精製した珈琲を淹れた。苦み、酸味、甘みこれが見事に調和したブレンドコーヒーが出来上がった。四人は至福の時を口に含んで瞑想するように飲んでくれた。今時の若い者には珍しく全く作りがいのある者達だから、話す内容まで澄んで聞こえるから勝手なものだ。

 四人は食後の美味い珈琲を味わいながら、本の整理はひとまず置いといて、日用品の中から探そうとする。これに誰も異議を唱えない。即ち書物から得られる思想信条では、本人以外の身内には中々辿り着けないと云う結論に達したからだ。それに何処にでもあるような大衆小説が、書棚の大半を占めているのにも、みんな辟易し始めていた。    

「一番がっかりしているのは桜木君だろうねお目当ての本が余りなくて」

 と夕紀は誘った見返りがなくてどう慰めて良いか思案しているようだ。そこへ美紀が中里介山の大菩薩峠を持ち出して「ねえあの本あたしが貰っても良いかしら」と急に言い出した。

「お前、急に老けたのか」

 桜木君にお前呼ばりされたくない、と美紀は膨れっ面する。

「どう言う風の吹き回しであんな化石のような本に気が向くなんて」

 だって老巡礼者を理由もなく最初に殺してしまってから、生きているのか生かされているのか、その意味を問うためにまた人を切る。まるで救われぬ魂を追い求める自虐的な行為に、一体どんな活路を見出せると云うのか。また主人公がそんな泥沼の深みにはまり込めば、まるで終わりの無いエンドレステープのようだと云う、桜木君の寝言が気になったらしい。

「寝言で片付けられれば世話ないよ、だから読むのは止めとけ。あれは俺が持って帰って気力が充実するまで封印しておくよ」

「その方が良いなあ、あの本だけ汚れているから多分買い手がいないだろう」

 と米田が真っ先にそろばん勘定で、あの全集を売却目録から真っ先に閉め出した。

「それよりはあの本は奥さんかご主人かどっちの愛読書だと思う」

「旦那さんがどう言う人かサッパリ解らなければ無理よ」

「俺が思うにあれは多分上司から理不尽な扱われ方をしていた人があの本を愛読していたと思う」

 と桜木が特定の人物を避けて一般論を語った。これにはみんな訳もなく沈黙した。

 そこでカウベルが新たな来客を告げると、あのベルがなんか籠もったフラットな音色に聞こえるのは何なの、と美紀はボソッと囁く。

「そんなことは無いだろう草原に放牧された牛が草を咀嚼して育む牧歌的な風景を思い起こさずにはいられない響きだと俺は想う」

「流石は立原道造を愛読する詩人さんね」

 と夕紀はちょっぴりと皮肉っぽく喋る。これから三千院へ行く客か帰って来た客か解らないが、ちょっと疲れて離れたテーブル席に座った。その女同士の二人連れは、良い珈琲の匂いに誘われて、これ頂戴とマスターに注文していた。

「ひょっとしてこの店はもう三千院からの帰りの人が立ち寄る時間帯じゃないか。なら昼過ぎだからこれからお客さんが増えれば俺たちはお邪魔虫に成るよなあ」

 と桜木のひと言でソロソロお暇しないと引き揚げた。夕紀はテーブル席の後片付けをしてから、表で待たした三人と一緒にあの家に戻った。


 桜木と米田は一階のタンスの引き出しを捜す。二階の和室では夕紀と美紀が手分けした文机から、神戸の住所が書かれた宇田川由香の手紙が見つかった。

「これって最近この家の人を訪ねて解らずに夕紀の店に来た人じゃないかしら」

「お父さんが云う、最近山下さんと会った人がこの宇田川由香さんならこの前は亡くなった知らせに動揺して直ぐに帰ったらしいからジックリと話せば何か解るかも知れない」

 と取り敢えず固定電話が在れば電話帳に載っているかも知れないと、さっそくみんなはこの家にある古い電話帳をめくってみた。繋がったのは宇田川由香の実家だった。三千院のはずれ道で営業している喫茶店ですと名乗り出て、宇田川由香さんに折り返し電話を頼んだ。

 文机の引き出しから他に山下道子さんの、おそらく若い頃の写真が四枚出てきた。そのうちの一枚はアベックで白い車の前で写っている写真だった。当然彼女の隣に写る歳の近そうな男性にみんな注目した。

「いつの頃の車だろう、こんなダサい普通車なんて見かけないね」

「これは昭和のしかも空冷エンジンの車だ昔は急な長い坂道とか渋滞するとオーバーヒートして車を停めてエンジンが冷めるまで待たないとそのまま走り続けるとエンジンがイカれてしまうんだ」

 オートマチック車なんて夢の時代だ。それでも戦中、戦後に生まれた山下夫婦には青春の一コマだった。

「でも道子さんの隣に写っている人が五年前に亡くなった旦那さんなの?」

「旦那さんが昭和十七年生まれか。じゃあこの写真の人は若すぎるから別人かも?」

「勝手に決めるな、若い頃は今より若作りかも知れんし。だいたい亡くなったご主人の最近の写真が見つからない以上は比較は出来んだろう」

 米田は十三ほど違えば恋愛より妥協結婚かも知れん、と可笑しな解釈を展開する。それよりはどうして写真が少ないのか、しかもかなり昔のものばかりだ。とうとうアルバムは見つからなかった。これは珍しいと云うか、ひょっとしたら道子さんが処分したのか? 、それでは何で?

 例の古い茶箪笥にはいろんな物がゴチャゴチャ詰まっていて、丁寧に調べないと見逃しそうだった。それでも一つ一つの紙切れを広げてみても各種レシート、領収書、電化製品の説明書などの日用品に関する物ばかりだ。とにかく若い頃の色褪せした写真が数枚見つかっただけだ。その中の一枚だから、かなり想いでのある男性ではないか、と勘ぐられるのも無理もない。

 どうもこの写真の男女は年齢が近いように見える。亡くなったご主人とは歳の関係で、この写真とは別人な気がする。ご主人と道子さんは一回り離れている。この写真の二人は、同じ歳かそれに近い人に見える。そこで写真の男性はご主人じゃ無いという結論に達した。丁度その頃に宇田川由香さんから、喫茶店のマスターがどうかしましたかと云う問い合わせのメールが入った。

 夕紀は直ぐに山下道子さんの詳しい情報が知りたくて、お会いしたいと返事した。折り返し今度は、宇田川由香さんから直接電話してくれた。電話で遣り取りするうちに、また三千院へ行きたくなった。そこで亡くなられた山下さんについてもう一度、思い起こしたいと云って来た。

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