第8話 孤独死の家の調査

 山下道子さんの借家は、三千院とは反対方向で住宅街からも少し離れて、周囲には田畑が広がる長閑な場所だった。桜木が此処ならゆっくり読書が出来ると、羨望の的で家を眺める。その家は古い建物だから、恐らくは築三十年以上は経っているだろう、それが長閑な田園風景に溶け込んいる。山下道子さんはこの牧歌的な風土の中で、読書にどれほど没頭出来たか。これからその読破の痕跡を調べれば、彼女の生き方が解り、そこから過去の痕跡を辿れば、サークルの苦労は報われる。

 玄関に立ち先ず夕紀は、ドアの郵便受けの小さな窓口から中を覗いた。この行動にみんなは不審がると、夕紀は彼女の発見時を体験して見たかったらしい。次に漸くおもむろに夕紀は預かった鍵で引き戸を開けた。その場所こそが山下道子が、最後に見た世界だった。

「近所の人の話では彼女はここに倒れていたそうなのよ」

 と夕紀が合掌して家に上がると、みんな続いて合掌して上がった。

 鍵を受け取るときに父は、中は亡くなった当時と変わらないままだ。と大家の佐川さんから伝えられていた。

 二週間以上前に倒れた彼女は、発見した近所の人が、直ぐ救急車を呼んで、大家さんにも来て貰い、そのまま病院に運ばれた。その時には既に死亡が確認されて、一応警察で司法解剖され、医師の診断通りだと確認されて火葬された。遺骨は今も然るべき行き場を求めて、大家さんの菩提寺で預かっている。

 暖かい気候になったとはいえ、無人の室内には冷気が漂っている。先ずはみんなで、窓を開けて換気をしてから、そんなに広くない家の中を調べた。

 先ずは二階と一階を二人ずつ分散した。夕紀と美紀は二階へ、二階にも本棚は在るが全集物は一階の書棚にあった。そこで桜木は一階から米田は双方の応援に回った。

 一階は浄化槽のトイレと風呂場と台所で、何処も似たり寄ったりの作りだ。他に同じ六畳の和室と洋室があり、洋室のぐるりは入り口を除いて背丈ほどの高さの書棚に囲まれてその殆どが全集で埋められていた。中央に置かれた応接セットは恐らく読書空間として使われて居たようだ。二階は文庫本と、その他の雑誌だ。家財道具を調べる米田の仕事は大した物は見当たらず、殆ど桜木が調べる書物の整理を任された。

 二階へ上がった夕紀と美紀は、二階の二部屋が細い廊下で仕切られて、変な間取りと云う。美紀も釣られて、そうねーと普通は襖とか壁で仕切られているのに、この廊下の分だけ片側の部屋が狭いわよ、と二人は二つの部屋を見回した。やはりここも下と同じように和室と洋室だが、廊下がなければ六畳二間に成るところが、六畳と四畳半になっていた。その四畳半の和室には、文机と背丈より低い本棚には文庫本と趣味の物らしい月刊誌が並んでいる。その横には引き出しだらけの茶箪笥が並んでいた。前の窓からは田畑がよく見える。此処が彼女の居間のようだ。

「どっから調べる」

 と気だるそうに美紀が訊ねる。

「下の洋室の本棚よりここは本が少ないし文庫本は後回しにして趣味の本から片っ端から見ていくか」

 そうだねー、と二人が調べだして「こりゃあ大変な数の本だなあ」と思っていると、下から米田が「昼はどうすんだ」と云って二階へ上がって来た。

「しゃあない中間報告と中休みを兼ねてお父さんの店へ行くかでもちゃんと料金は貰うわでも珈琲はサービスするわよ」

 店の珈琲は生豆を仕入れて使い、直前に煎っている。だから通には受けているとアピールした。だから店の珈琲は注文を受けて、その場で作る昼のランチより、手間暇が掛かっていると夕紀は自慢する。

 じゃあその美味い珈琲を飲みに行くか、と意見が一致して、夕紀のお父さんの店へ向かう。

「しかしここら辺りは長閑でいいなあ、これじゃああれだけ本が増えたのも俺なら納得出来るなあ」

 しかし殆どが昭和の大衆小説ばかりだった。山本周五郎、大仏次郎、長谷川伸、山岡荘八、もう数え切れんほど並んでいた。特に目に付いたのは吉川英治の宮本武蔵、中でも中里介山の大菩薩峠はすり切れるぐらいかなり読み込まれていた。他に臼井吉見の安曇野、北杜夫の楡家の人々などなど。

「大菩薩峠ってどんな本なの」

 桜木の目録に美紀が訊ねる。

「独りの武士が大菩薩峠で旅の老巡礼者を訳もなく切り捨てた所からこの侍は盲目になりその一生涯はその怨念から逃れられずに彷徨う物語なんです」

「なんか重苦しい本なのね、それで最後はどうなるの?」

 重苦しいでなく、人間の持つ自我との葛藤で剣をふるい立ってしまい、自己を飽くなき追求する物語と桜木は解釈している。

「ウ〜ン最後は解らない。だって作者の中里介山が亡くなって絶筆になってるから。ゆわば死ぬまで書き続けた未完の小説なんだ。だから終わりの暗示のない作品で中里介山は不動の姿勢を貫いている。だから大菩薩峠は中里介山が死ぬまで書き続けた本だから読む方も死ぬまで読まなあかんと云う人も居るぐらい読みようでは凄いらしい。それは仏教思想に駆られて人間の業の深さを追い求めてるからだ」

「ヘ〜エそんなん読む人居るの?」

 と美紀の問いに、うちのオカンがそうだと解説の桜木は言ってのけた。

「それって全部査定するとどれぐらいだろう」

「米田はそこへ来るか、まあ結構増刷された普及本だから余り良い値は付かないけれどあれだけの数なら絶版本とか作者のサイン入りとか在れば十万は行くだろうなあ」

「ウワーこれは軽四のトラック借りないとあかんなあー」

「他に宮沢賢治、北原白秋それに俺の気に入ってる立原道造なんかも在ったなあ」

「それは桜木君が持って帰っても良いんじゃないの」

「もうー、古本屋をやるんじゃないのよ山下道子さんの身寄りを捜すのがこの整理の目的だと云うのを忘れていないでしょうね」

 夕紀は呆れて釘を刺さずには居られない。そこで夕紀の提案では二階の四畳半の和室には彼女の私物がまとめられているような気がする。そこで昼からはあの座卓の周りとやけに小さい引き出しが多いあの茶箪笥を調べたいと言い出した。

 大雑把ではあるが大体あの家の主人の好みを掴んだ桜木も賛成した。

 それでも山本周五郎や山岡荘八、藤沢周平などは、おそらく五年前に亡くなった主人の好みとも受け取れた。だからこれ以上は書物を調べるより普段の生活空間を調べ直した方が手っ取り早い、この桜木の意見でみんなは一致した。

 話が纏まるとみんな急に腹の虫がうなりだし、話題は直ぐにお父さんの店のランチに集まった。

 町中の喫茶店のように凝ったメニューはないわよ、と夕紀は着く前から忠告する。まあ空腹時だから、食後の美味い珈琲で我慢しょう云うことになった。



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