第7話 三千院へ
福祉サークルのメンバーが、山下道子さんの家を整理するその日は晴れ渡っていた。事前に話し合っていたとおりこの日は、整理が目的で荷物を運び出す車は用意していない。案の定に力仕事がなければ無用とばかりに、男は桜木と米田だけで美紀を入れて四人が集合場所のマクドにやって来た。朝からマクドには夕紀と美紀が先に来て、桜木と残りの三人を待っていた。ほぼ時間通りにやって来たのは桜木だった。彼はもっと早く着いていたが、この周りを歩いて時間調整して来たのだ。それだけ孤独死した婆さんが読書家と聞いて待ちきれず来たようだ。それに引き換え少し遅れて来た米田は、石田と北山から貧乏くじを引かされたように、二人がパスすると云うメッセージを持ってやって来た。これには荷物を運び出す力仕事がないから案外と気軽に受け取られた。取りあえず軽い朝食を摂ってバスで三千院へ向かった。
流石に早い時間のバスは空いている。空いている一番後ろの四人掛けの席に座った。あいつら福祉の何たるかを知らなすぎる。孤独死した婆さんの身寄りを捜すのも人助けになり福祉に繋がる、と米田は欠席した二人に不満を打っ付けるように一席ぶった。三人は行き過ぎる車窓のごとくに彼の見え過ぎた話は聞き流された。
そこで夕紀が最新情報として、ひと月前に山下道子さんと一緒に三千院を参拝した女性の話をすると、話題は直ぐにそちらに変わった。みんなはこれから訪ねる家の元住人についての知識を少し入れば整理もはかどると耳を傾けてくれた。
来店時のお父さんの印象では、華奢な感じで三十代の女性らしい。お父さんはあたしが入り口のドアに付けたカウベルの鳴り方で、その人の大雑把では有るが、癖を上手く見抜ける特技を持ってる。
その父に依ると、彼女はかなり緩やかに鳴らして入って来た。そこからかなり温厚な言い換えれば、おっとりとしているが芯は強そうだと睨んだ。でも謙虚でなければ人は見抜けない。
「誰ですかそれは」
桜木がこの話に関心を寄せたようだ。
「身内だった人ですから簡単には追い払えないそうよ」
意味深長な橘美紀の解説に、桜木はフーンと唸ったきり追求しない。それよりもこれから行く家には余り凝った家財がないような気がすると言い出した。俺の実家も俺の部屋には書棚以外は、凝った物を置いていないから、あいつらが来てもがっかりするだろう。なんせ家財道具をどう処分するしか頭にない連中だからなあ。
同感だ、とにかく男どもの欲望を粉砕したのは夕紀だった。彼女は整理は二の次で、先ずは山下道子さんの遺産の行方をキッチリとしなけゃあ、と言う思いに駆られているのであり、そこが本の虫の桜木とは違う。それでもあいつらは売れる物は全て売って仕舞おうとしている連中だ。桜木を引き入れたのは、山下道子さんの過去の何かが解る物を見付けてくれると期待しているからだ。
バスは終点の三千院に着いた。昨日のうちにお父さんは、大家さんから家の鍵は預かって、それを夕紀が受け取っていた。そこで父から鍵以外に、この前に訪ねてきた神戸の女性から得た山下さんの印象を伝えて、何か彼女に付いての手掛かりでも在ればと期待している。
バスを降りた夕紀たちは三千院に向かう乗客から離れて別の道を歩き出した。
運賃を払うのに手間取った桜木が取り残された。
「みんなあっちの道へ行くからこれは参道からの外れ道ですか」
桜木が降りた乗客に釣られて行きかけて、夕紀達の後を慌てて追っかけてき来た。
「ボヤボヤしてたら置いてけぼりを喰らうわよ」
美紀が追いついた桜木に、本ばかり読んでないでちょっとはお陽さんに当たらないと付いて行けずにはぐれるわよ、と揶揄する。黙って付いて来る米田は、欠席した二人の穴埋め的要素が強く、家財道具の処分を伴わない今回の整理には、余りにも消極的な行動に徹しているようだ。
「矢っ張り街の北外れだけ在ってちょっとは寒いわね」
「だから恋に疲れた人がやって来るんじゃないの」
恋に疲れた人には青く澄み透った沖縄より、北国を目指すように。プチ失恋には三千院は持って来いだと美紀は言う。プチ失恋ていったい何なの、と夕紀が笑いを抑えて突っかかる。
「告白なしの一方的な片思いかしら」
ニットにジャケットを羽織った美紀と、同じくジーンズにジャージーの夕紀達のパンツルックに、失恋した女性がそんなカジュアルな服装で来るか、と男達に言われる。
「恋の逃避行に服装は関係ないわよ」
「逃避行じゃないだろう三千院は」
「じゃあ何なの」
「次の恋への充電期間でリフレッシュ行動だと俺は思う」
「へえー、それは何の本に書いてあるのかしら」
桜木の云う恋は、本からの入れ知恵で、本当の恋は理屈じゃない、実践在るのみと美紀は囃し立てる。
「じゃあお前らは本当の恋をしたことがあるのか」
エヘヘと美紀は笑うと、そんな恋は島根に置いてきた、と高校時代の恋をあっけらかんに喋るから、みんなポカーンと聴いている。そして宍道湖に落ちる夕日のような恋だったと締めくくられた。
上手く逃げたなあ。要するに何だそれは、プラトニックじゃないのか、と所詮は高校時代の恋はそんな片想いの青春日記の一ページを飾る物なんだ。と桜木は小馬鹿にしたように反論した。
「じゃあ桜木さんは今まで読んだ本の中で一番ジーンと来たのはあったの」
何なの埋もれ木のように閉じこもった男が挙げる恋って、何なのと夕紀は訊ねたい。
立原道造の『優しき歌』を取り上げて、初夏に静養で来た信州信濃の追分駅で水戸部アサイと会って、その翌春に短い生涯を閉じた。俺はこれこそが真実の愛だと思う。
フン、何それ、宍道湖に落ちる夕日とどう違うって云うの、と美紀に貶されてしまった。
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