第5話 橘美紀

 橘美紀は大学直ぐ側、百万遍近くのハイツに住んでいる。彼女の器量についてはサークル仲間でも賛否両論だろう。容姿端麗だけで器量が決まるなら、美人の人気が短命に終わる。だから努力無くして器量は磨けない、これを実践しなければ短命に終わる。身を持って体験した橘は、そこで夕紀と出会ってから、器量は内面から滲み出てこそ、人は振り返ってくれると諭された。それからの付き合いである。

 談議が終わり桜木と別れた夕紀は、真っ直ぐ百万遍近くの橘美紀のハイツに寄った。

 ここはワンルームだが、別に天井にロフト部屋があって、そこで美紀は寝起きしている。だから入り口にあるバス、トイレ、キッチンを除くこの八畳の洋室は、ベッドがない分かなり広く感じる。

 彼女の実家は山陰の島根県で、元は名主を務めたほどの名家で、今でこそ普通の家だが、近所ではやはり一目置かれていたお嬢さんだった。だから気位が高く、大学へ来てからも人気があったが、ひと月でその支持率は、どっかの首相のように急落した。入学してまだ狭い交際範囲と、日が浅いのが幸いして、彼女は直ぐに立ち直った。もっともそれを早く修正させたのが夕紀だった。

 あんた地元ではチヤホヤされてたかもしれないが、ここでは嫌われ者になる、と忠告して直ぐに彼女は軌道修正をした。その変わり身の速さに夕紀も驚くと、同時にそう言う素質を持った子だと理解できた。元々は洞察力の強い女だったが、ここでは周りから煽てられて作り上げたものだ。それで地元を離れて知らない世界に入って一変にしたのだ。

 呼び出しベルで夕紀だと解ると「直ぐ来ると思った」と部屋に招いてくれた。

「まだ炬燵を出しているのか」

 だって朝晩はまだ要るし、それにテーブル代わりだと、美紀はちょっと笑って応えながら紅茶を用意した。

 なるほどと電源が切れた炬燵に入った。

「桜木に捕まったようだけどあいつなんか言ってた?」

「まだ見ぬ内から本の値踏みはみっともないって」

「そうか思わせ振りな奴だ。あいつは本の虫だ。よく大学近くの古書店で見かけるがいつも買えずに出て来る。だからあいつは早速乗り込みたくてウズウズしているくせにもったいぶってやがる」

 と二人とも砂糖は入れずに、ポッカレモンを数滴振りかけて紅茶を飲む。

「良くそんな仕事が舞い込むね」

「お父さんのお店が窓口になってるみたい。あの店は結構若い女の子の旅行者も来るからねでも殆どが一人旅らしいの」

「それと孤独死のおばあちゃんと何処で話題が合うんだろう」

「旅行者は昼ごろから夕方迄でその後は閉店間際にご近所のお年寄りがやって来てワイワイ騒ぎ出すのよ、あれって夕食の支度に駆り出されたくないから内の店へ来るんだと思うそこで大家さんが持ち込んだから近所づきあいの延長だと思って気楽にするつもりだけど」

「そうかそれじゃあ探偵仕事は二の次なら桜木が一番張り切るだろうなあ」

「どうでしょう全集と言っても暇に任して読むのなら大衆小説の全集物だと思う」

「ならあいつガッカリするだろうなあ」

 それより美紀は、春休みは島根に帰らないらしい。と云うか帰省するのは、殆ど正月休みぐらいだった。美紀に言わすと、今まで普通と思っていたのが、こっちへ来てから実家は古臭い風習が残っていて、カビ臭いと感じているらしい。

 米子市や松江市は都会と思っていたのが、関西へ来てガラッと生活様式まで、彼女は短期間で夕紀の影響もあるが変えてしまった。それでもこの孤独死は、美紀にはかなり応えているようだ。それはサークの連中が、バカ騒ぎする中で、独り美紀は沈んでいたからだ。

「それで今日の話、山下さんだったけ脳溢血って自然死じゃないでしょう。発見が早ければ助かる可能性が高いけど三日後に玄関でしょう、きっと頭痛がして病院へ行こうとして倒れたんでしょうね、でも誰もそんな話をしなかったのが怖過ぎる。みんな人ごとには違いないけれどそれでも人の死をどう思ってるんだろうね」

「桜木を除いてはね」

「そうかあいつ文学部か、だけどあいつ哲学を専攻しているから専ら尊厳死を扱ってるんだろうだから変に気取って話に乗ってこれないんだ」

「でもあの談議で孤独死の話はみんな人ごとみたいに全然乗らなかって専ら家財道具をどうするかで熱中するなんてバッカーみたい」

「都会じゃあみんなそうなんだ。だから他人が世話を焼く、そこを煮詰めるのがこのサークルの利点だけど美紀はそれが逆の発想で入ったんだ」

 桜木の場合は、死は単なる終着点だと云うが、それが尊厳死と繋がっていると理屈を付けて入部を誘った。けれどそれは遺された者たちの考えであり、あの世へ旅立った者には何の意味も無い。まさに遺された者たちの自己満足にすぎない、と主張するあいつは本の虫だった。そんなもんは本の中で追求すべきで、現実社会は生きることを目的にして福祉は考えるべきだと、意見してもけんもほろろに無視された。偉い人が書いたそんな絵空事で本当の人生が解るか、と桜木にひと演説してもそれは住む世界が違うと一蹴されてしまってから、彼の入部は諦めて専らオブザーバーで呼んでいる。

「でも中々顔を見せ無かったのに残された本の処分で呼び掛けると一も二もなくやって来るんだから……」

 夕紀はそれでも何とか福祉に対して、理論武装する桜木の鎧を、少しでも払拭出来ればと成果を期待している。

「でも案外に身内とか恋人とかの急な死に直面すれば恥も外聞もかなぐり捨てて泣きわめくタイプだよあの桜木って男は」

 美紀は何処からそんな発想に結びつくのだろう、とぬるくなった紅茶を啜ると、「おう、そうだ、島根から届いた煎餅があった」と出してくれた。ついでに熱い紅茶を淹れ直してくれた。

「これは島根の特産なの?」

「さあ解らんなあとにかくばあちゃんが好きだったからそのまま引き継いでる」

「なーんだ美紀もおばあちゃん子なんだ」

 でもうちと違って家族が多いらしいけど、おばあちゃんが一番手空きだったらしい。そこが離婚して男親より祖母だと、おばあちゃんに任されたうちとは違った。それを美紀に云うと、田舎では出戻りは目立つらしいけど、みんな表だっては騒がない。でもこちらでは気付かないせいか、世間話ではよく聞くらしい。それを美紀は、都会の人は油が切れた機械のようでギスギスして、みっともないと云っている。

「でも夕紀もおばあちゃんに育てられたせいかそう言う処がないからサークルへの誘いにはすんなりと受け容れられた」

 他の男どもがそう言う話を表立って堂々と喋るところは、却って気にならないらしい。そこが他の女の子と違って、ちょっとサッパリしていた。

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