第3話 片桐の祖母

 自宅は国道と三千院の真ん中だが、かなり南寄りだ。それでも観光シーズンになると、遠方の駐車場に止めざるを得なかった観光客がたまに自宅の前を通る。だからシーズン中は参道はずれでも結構な人出に成ってしまう。

 周りは畑だから遠くからでも店と自宅はよく見える。店はともかく自宅は少し洋風化して急斜面の屋根に、城の破風作りの小窓を作ったのが目に付く。それが近郊と良く合っているらしい。

 この家は妻だった優香が一緒なるときに見つけた小さな物件だ。二十五坪の敷地に十八坪の宅地建物である。一階がバストイレにキッチンに併設したダイニングルーム。その奥が六畳の夫婦の和室と別に四畳半が母の部屋になっていた。二階の二部屋が息子と娘の居る部屋だった。それが今では一階の二部屋の内、狭い方は物置になり母は元の夫婦部屋を占拠していた。 

 片桐は二階に居た息子の部屋で寝起きしている。だから今では主に家の事は母に任せている。夕紀の面倒も母が世話したから、娘はスッカリ気に入っておばあちゃん子に育った。

 この片桐の自宅は三千院からは離れている。それは片桐自身が望んだものだ。彼だけで無く此の町の住人もあの歌が流行ってから、訪れる観光客から巻き込まれないように自衛している。まあ観光客を相手に商売をしている人は別だが、そこへ今度の孤独死した婆さんだ。大家は住んでいた借家を早く何とかしたい、しかも手間の掛からぬように。そこで大家に言わすと気まぐれな大学のサークルに所属する夕紀に整理を頼んだ。

 自宅での夕食は、店を七時に閉めて帰ってから、夜の七時半頃に成る。いつもの祖母の手料理を咀嚼して終わる。後は祖母が煎茶を淹れてくれる。祖母の煎茶は市販のお茶を適度に独自でブレンドしてある。これが渋みと甘みが適度に喉を刺激されて通るから、何とも言えず、その香ばしさが鼻の粘膜をも刺激して、頭に適度のお茶の余韻が残る。昼間の珈琲の苦みと酸味を完全に麻痺させ、コーヒー豆から茶葉を復活するような錯覚さえ抱かせて暫しその余韻に浸る。

「まあそれで夕紀ちゃんはあの借家の整理で中にある物は好きなように処分してって頼まれたのかい」

「主に本が大半を占めているから学生のあたしに回ってきたの」

「母さん、話はそんな単純じゃないんだ。どうもあの家で亡くなった山下さんって云う人の身元が分かる物が無いか探して欲しいのが佐川の本音なんだ」

 佐川の要望はかなり調子が良すぎる。どこの興信所だってお手上げなんだ。それで夕紀の入っている福祉サークルに押しつけたのが本当の処だろう。

「そうなのでも山下さんなら何回か会って立ち話したのよ」

 と母の芳恵よしえに言われて、二人とも色めきだった。夕紀がさっそくこの話に寄りかかってきた。

「どんな話をしているの? それっていつ頃、最近? 最後に会ったときは元気だった?」

 と矢継ぎ早の質問に、祖母は「ちょっと夕紀ちゃん待ってくれる。そのせっかちな処があんたのお母さんの優香に似てるわね」とつまらない親に関心を示された。すると夕紀は、あたしはお母さんとは違う。まあ器量が良いところは似ているけれど、と勝手に顔の良い妥協点だけを見いだす。

「でもあたしが引き取って育てたお陰で思慮深い子になって、それに引き換えてあんたが別れた優香が引き取った弟の秀樹ひできはどうしょうもないわね。まあ人様に迷惑を掛けないところが唯一の良いところだけど、それじゃあ世知辛い世の中は渡っていけないわね」

 と祖母は孫の秀樹を育てた優香を批判した。

「おばあちゃんは俺の小さいときから放任主義と言えば格好いいが要はほったらかしだったけれど肝心な時にはひと言『お母ちゃんの言うこと間違ってるか』とよく言われたあの一言は応えた。それで子供なりに人さまに迷惑の掛かることは出来んようになってしもた」

「そう言えばおばあちゃんはそう言う処があるんや」

 と夕紀も納得させられる。

「息子夫婦二人の内輪話より今、聞きたいのは山下道子さんの事じゃ無かったの」

 と芳恵に言われて、ああそうだ、それそれと二人はその話へにじり寄った。

「それでお母さんはあの山下さんとはどんな付き合いがあったんだ」

「あんたが付き合いと言うほどそんな大げさなものじゃないのよ」

 ただやはり最近になって食料の買い出しの時間が一緒になり、何度か見かけて顔見知りにはなったけど。それである日ね、ちょっと変わった食べ物を頂いてどう調理していいか解らなかったそうなの。まあ年の功で、それであたしが教えてあげたのよ。それから町中で会えば話すようになっただけで、わざわざお互いの家を行き来はしてなくてね。それでも山下さんの人柄は大体掴めたわよ。

「それはたいしたもんだよ内の店に来る連中は殆ど知らないんだから、酷い話があの家を貸してる大家の佐川までが毎月の家賃を受け取っていながら大した会話もしてなくて初めてあの婆さんが大変な読書家らしいと、遺された本の山を見て想像するぐらいだから。店に来る男どもは、そんな婆さんがそう言えば居たなあと言う程度だからお母さんはたいしたもんだよ。それでどんな人だったんだ」

 母に云わすと、どうも掴みにくい人らしい。それでここに長年住みながら、余り人付き合いを避けていたらしい。それが不思議な物で、ちょっとした切っ掛けで喋り出してから、どちらからとも無く会えば挨拶を交わすようになった。親しくし喋り出すと、ふとしたときなどには言葉の端々に、微妙なアクセントの違いに気付いた。どうも和歌山訛りらしいけれど、ひょっとしたら広島か山口かも知れないらしい、と幅広い講釈には参った。

「実家は聞かなかったの?」

 ばあちゃんの要を得ないものに夕紀もじれたらしい。

「そんなもの聞けゃあしないわよただこの辺りの人じゃ無いのは確かだけどね」

「でも大家さんの話だとここに来たのは四十年ぐらい前だと行ってたけどなあ」

「そうかね、でも山下さんは三十年ぐらい前だと言ってたわよ」

「お父さん、大体あの店に来る年寄り連中はいつも曖昧なのよ、それで惚けてるかと言えばあたしの質問にはキッチリ受け答えしてくれるんだからええ加減な連中よね」

「そりゃあ夕紀みたいな若い女の子の観光客が店に来るとあいつら、がぜんと張り切っていろんな観光スポットをやたらと喋り出すから処置なしだよ」

 どいつもこいつもお父さんの言うとおりだと夕紀は勝手に納得した。

「おばあちゃんは要するに山下さんに関しては読書家のちょっと変わった普通の人って事なんだよね」

 こうなればあの家に乗り込んで生活感の痕跡からやるしか無いか、と夕紀はおばあちゃん特製の煎茶を飲みながら結論に達した。


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