第2話 孤独死

 夕紀の希望で付けた店の飾りのようなドアのカウベルだが。三千院の参拝を終えた若い女の子には似合うが、あのベルは開ける勢いのない高齢者には似合わない。何故か足元までがしょぼくれて来るからだ。特に夕紀が店に入ると年寄りばかりで、カウベルまでが陰気くさい音になってしまうと嘆いている。

 そこに今度もやはり七十に手が届きそうな、昔はこの辺の地主だった大家がやって来た。例の孤独死した婆さんに、家を貸していた大家の佐川さんだ。

 今日は三千院を訪れて店に寄る客は、あたしのせいで皆無で、高齢者ホームになってしまったと夕紀は嘆いた。

 佐川さんは定席のカウンター席に座ると、さっそく夕紀ちゃんに暫く会えなかったと話しかける。それを大げさすぎると北村に突っ込まれる。

「どうした最近ご無沙汰していたからあんたも孤独死の婆さんと一緒でお迎えが来たんちゃうかと噂していたとこや」

 佐川は本当かと片桐を睨んだ。片桐は慌てて手を振って、北村はんの独り言やと否定する。

「バカ言え、まだそんな歳やない、ここ暫くはそれどころやなかったんや」

「どう言うこっちゃ」

「何も知らんのか、この近所で二週間前に孤独死した婆さんを」

 それはひと月前とちゃうんかと云う北村に佐川は、お前も惚けてきたなあ、と云われて憤慨された。それを片桐は慌てて止めに入った。まだ惚ける歳ではないが、目立ちたがり屋のこの二人は、何処までが本気か見分けにくい所謂いわゆる、頑固じじいだ。

「それは知ってるけどそれがお前とどう言う関係あるんや」

「大ありやなんも知らんのかあの亡くなった婆さんは内の店子たなこや」

「あの婆さんはお前とこの借家人やったんか」

「そうやあの孤独死の家っちゅうのは下の駐車場から離れたあの家や、あれ以来空き家になっている」

「ホオー、三千院に住みたいちゅう人は結構居るやろう」

 そこやと大家の佐川は困っていた。

 あの家は四十年も前の親父の代に賃貸契約して、それをそのまま引き継いだから、親父が死んだ今は、貸した経緯なんか誰も知らないらしい。そのときの身元保証人も既に亡くなっていてなあ。それであの婆さん、山下道子やましたみちこは区役所に照合しても、住民票を登録してなくて旦那さんの籍にも入っていない、つまり内縁関係の奥さんでも、長く生活を共にしていれば厚生年金は支給される。だけどタンスから出て来た預金通帳には四千万近い残高が有ってなあ。これは多分に、五年前に亡くなったご主人が掛けていた生命保険を受け取りそのまま残しているんやろう。それを当てにして家を業者に整理するんだが、身内が分からなければ遺産は国庫に入る。だから四方八方手を尽くして婆さんの身内、つまり四千万円の相続人を探しているそうや。心当たりはないか、見つかればその相続人から残された物の撤去費用を負担して貰うが、今のままではどうしょうもない。と佐川はいつもの遅いモーニングコーヒーを飲みながらマスターに相談した。

「先ずはその亡くなった旦那さんの戸籍から当たればいいんちゃうか」

「そうやそれが一番手っ取り早い」

「そんなことぐらい直ぐに考えへんわしやと思うか」

 と大家は開き直る。

「戸籍では旦那さんは昭和の十七年頃に大阪で生まれはった人や、それが令和になる前に八十代で亡くならはった」

「ちゃんとした戸籍があるんや、そしたら簡単なこっちゃ」

 と北村は相談が大げさすぎる、と佐川を揶揄すると、益々意固地なる佐川は、まるで子供みたいに喰って掛かってきた。

「それが簡単やないさかい往生してるんやッ」

 そこで北村もその剣幕に、聞いてやろうじゃないか、と珈琲を一口味わう。

 大家が頭を痛めるのは、そのご主人の戸籍にまつわるものだった。

 それが旦那さんの戸籍は、大阪の空襲で家族とともに喪失した。唯一生き残ってまだ当時三歳だった山下さんの記憶で作成した物だ。覚えているのは両親と兄弟までで、それも当時の空襲で旦那さんを除く全員が死亡しており、祖父母や親戚は空襲のあの混乱で全く解らんそうだ。戸籍は戦後に彼が七歳で小学校に入学する時に作成されて、当時三歳の子供では会ったことのない親戚なんか知るはずもない。それで亡くなった旦那さんからは全く手掛かりはない。それで奥さんの山下道子さんも住民票はなく、年金も通帳も全て旦那さんから引き継いだものだった。

「それじゃご主人が奥さんを籍に入れてもおんなじじゃないですか」

「それでそのままにしていたのかも知れんなあ」

 なぜ山下道子さんが住民登録をしていないのか。だから彼女の本籍も解らないが、ご主人の通帳や年金から、歳は自己申告ながらも解った。

 身内が居なければ財産は全て国庫に入るそうだ。だが、もし、もしもだ、後から身内が判明すれば、一旦国庫に入った物を出すには、法律上相当厄介になる。だから市が負担するには大きすぎる額だった。そこで役所としては、大家さんの方で心当たりを探して欲しい、との依頼を受けて大家の佐川さんは頭を痛めていた。

「だから亡くなったあの家の住人の山下道子さんは、今は無縁仏として寺で預かってるそうだ」

 あの婆さんではないが、最近はご近所をはばかって、何でも葬儀社が経営する葬儀会場でやるらしい。同じ町内の人ですら亡くなったのを知らないから、世知がない世の中になったと大家はぼやいていた。

「それで結構荷物が多くてなあー……」

「ゲ! それってまさか。ゴミ屋敷!」

 これには夕紀が眉を寄せて、あからさまに不快感を滲ませる。それを佐川は笑って見返した。

「いや〜、それが家の中は綺麗に仕上げてあるから大丈夫だよ、それよりただ本が多くてね、一目見てもわしらにはちんぷんかんぷんな本ばかり何だよ。そこで夕紀ちゃんたち京大生が見て処分しても構わんよ、残りは古本屋に任すから」

「おいおいそんなに凄いのか」

「ああ、結構な物ばかりで全集物はほぼ揃ってるみたいだ」

「それじゃあ婆さんは独りで本ばかり読みふけっていたのか」

「テレビを見ながら晩酌する我々とそこがちゃうやろう」

 とにかく大量の本は我々凡人には解らんから、そこは現役の大学生に整理を頼めば向こうも欲しい本があるかもしれん。それで手間賃代わりになるだろう、と夕紀ちゃんに頼んだが、実体は山下道子の遺留品から彼女の身元調査に他ならない。

 夕紀は使える家具はフリーマーケットで処分できる物は処分して、問題は大量の本の整理だ。これには興味を惹く本の虫になる学生が知り合いに居る、とその学生の応援を仰ぐとする。しかし最大の謎は山下道子さんが、住民登録をしていないのだ。だから彼女の本籍も正確な出生も解らなかった。


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