第3話 二口の猫

『カランコロン』というドアベルの音が鳴り、その後に『ズル……ズル……』と何かをゆっくり引きずるような音が耳に届く。ショーウィンドウから見えた不気味な人が店に入って来たんだわ。私はその人が店に入る寸前、白骨さんの支持どおりに狭い試着室の中に隠れ込み、そして息を殺しながら聞き耳を立てていた。


「ひ、久しぶりだね。は、白骨……」


「いらっしゃいませ、五重四肢ごじゅうしし様。お久しぶりです」


 よく見ると試着室のカーテンは慌てて閉めた為に完全には閉まってはおらず、僅かに隙間が出来ていた。私は身を竦め、目の前の姿見越しに外の様子を伺うことにする。

 ここから成り行きを見守るしかなさそう。ゼッタイ見つからない事を祈るわ。


「だ、誰か客人が来てるのかい?」


「お客様ですか?いいえ?」


「そ、外から見たら……だ、誰かが奥に居たような……」


「ああ、バンテジですよ。バンテジ!ご挨拶なさい!」


「こんにちは、五重四肢ごじゅうししさん!」


 私は小刻みに震えていた。

 鏡に五重四肢ごじゅうししという人の姿が映っていたからだ。


 普通に怖がりな私だけど、ここに来る前に首の無い人や焼け焦げた人など沢山見て来たから免疫は出来ていたつもりだった。けど五重四肢ごじゅうししさんと呼ばれる人は、今まで見てきたお化けの比じゃないの。

 その顔はどんなホラーゲームのモンスターよりも怖い。どうやったら人間の顔がここまで恐ろしく成るの?とてもじゃ無いけど凝視できない。

 腕は指の股から肩まで五つに裂けているし、足も指の股から膝上まで五つに裂けている。

 そして『ズルズル』引きづってたのは尻尾のように飛び出た……な、内蔵?どうやって生きてるのよ、この人?って、死んでるんだったわ。

 もし現世の夜道で、この人とバッタリ出会ったらゼッタイ気絶する自信有るわ。中学生が我慢出来る、お化けの恐怖数値の限界を超えてるもん。隣の白骨化した人も大概だけど。


「白骨……じ、実は探し人なんだけどね……パ、パジャマ姿の女の子……み、見なかったかい?」


「パジャマ姿の?いいえ。その子が、どうかされました?」


「い、いやね。さ、賽の河原で……み、見かけたと言う者が居てね……ふ、舟に乗らず……ふ、ふらふらと徘徊してたそうな……」


 そ、それってゼッタイ私よね?

 ハイ、ピーンチ!ゼッタイピーンチ!


「お、おそらく生きた人間……む、昔の私のように……た、魂だけ冥界に迷い込んだ……」


 ど、どうしよう。

 バンテジはパトロール隊に見つかったら「酷い目に遭う」って言ってたけど……でも、この五重四肢ごじゅうししさんも私と同じ、過去に幽体離脱で冥界に迷い込んだ人みたいだし、素直に自首したら許してくれないかな?少々のお仕置きなら我慢して――


「こ、これは捕まえてお仕置きをせねば……わ、私のように……か、髪を全て引き抜き……め、目に釘を刺し……は、鼻をヤスリで削り……さ、酸を全身にぶっ掛け……し、し、四肢を五つに切り裂き……し、し、し、尻から内蔵を……」


 ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!ゼッタイ無理ッ!そんなのゼッタイ無理イイイィィィッ!!そんなのお仕置きのレベルじゃ無いでしょッ!!


「と、ところで白骨……今、試着室のカーテンが揺れたよね……」


 へっ?うそ、うそっ!私、ゼッタイ動いてません!ゼッタイ動いて無いって!

 な、なんでぇぇぇ?!


「さあ?風だと思いますよ」


「ち、ちょっと調べさせて貰うよ」


『ズル……ズル……』という音が近付き、それに伴って私の心臓の鼓動が『バクバクバク』と耳に聞こえるほど響いてくる。

 これほど自分の心臓のバクバク音を感じたのは一昨年の最速絶叫マシーンに乗ったとき依頼だわ。って、私は何こんな時に楽しい思い出と比べてるの?ゼッタイ絶命のピンチよ!どうするの?


「あ、開けるよ……だ、誰も居ないよねぇ?も、もしも居たら……」


 五重四肢ごじゅうししさんの五つに分かれた腕がこっちに伸びて来る。

 ど、どうなるの私?

 もう、嫌ッ!!本当に無理ッ!!

 誰か助けてぇぇぇ!!


「ニャーン」「にゃーん」


「ん?おや、マ、マタタマ!お、お前だったのかい?」


「コラッ!マタタマ!店の間に入っちゃ駄目でしょ!」


 ん?既のとこで五重四肢ごじゅうししさんの腕が止まった。

 鏡には五重四肢ごじゅうししさんの前に黒い物体がいつの間にか映っている。その物体からは二本の尻尾みたいなのが出ていて、それが揺れるようにゆっくり動いていた。

 動物?この後ろ姿は……猫?


「フニャーン」「お腹減ったー」


「ふん。お、お前にやる食い物は無いよ」


 あれ?今、男の子の声がした。

 バンテジじゃない。もっと高い声だ。

 この家には他にも男の子が居たの?


「ニャーン」「遊ぼー」


「お、お前と遊んでいるほど暇じゃないよ。この、馬鹿猫!は、白骨。じゃ、じゃましたね……か、帰るよ。な、何か有ったら知らせておくれ……」


「かしこまりました」


『ズル……ズル……』という音が遠ざかり、再び鳴った『カランコロン』の音は、危機が回避してくれた事を告げる鐘だ。大丈夫よね?た、助かったわよね?


「マタタマ!生地に毛が付くから、ここに入っちゃ駄目って何回も言ってるでしょ!」


「フニャー、フニャーン」「でも僕が居なかったら、あの子見つかってたよ」


「そうね。それは本当に助かったわ。有難う」


「お前、いつの間に家の中に居たんだ?」


「ニャア、ニャアーン」「あの子が入る時、こっそり跡をつけたんだよ」


 何だろう?さっきから猫の鳴き声と男の子の声が重なっている。


「もう大丈夫よ、ツクロちゃん」


 私は恐る恐るカーテンを開けた。

 白骨さんとバンテジの間に黒猫が一匹ちょこんと座っている。他には誰も見当たらない。


「あれ?もう一人男の子の声がしたんだけど……」


「ニャア」「それ僕だよ」


 見ると黒猫には尻尾が二つ有った。

 しかも二つ有るのは尻尾だけじゃ無い。

 口……口が二つ有る。

 その狭い額に有る、もう一つの口から舌が出ていた。

 それってゼッタイ変じゃない?





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