第27話

「ただいまー」

 ばんっ!! と。

 大きな音が聞こえそうな勢いで、勇輝は自宅であるマンションの扉を開け放ち、中に飛び込んだ。

「父さん!! 帰ったよー!!」

 勇輝は大きな声で叫ぶ様に言い、三和土に靴を乱暴に脱ぎ散らかして室内に入り、そのままドタドタと廊下を走って、奥にあるリビングダイニングへと、飛び込む様にして入り……


 こん!!


「……ぐっ……」

 飛び込んだ途端に、軽快な音と一緒に、頭のてっぺんに何か、鈍い衝撃が走る。

 顔を上げてそちらを見た時、勇輝の目に飛び込んできたのは……

「……か 母さん!?」

 勇輝は、じっと、その人物の顔を見て言う。


 そこに立っていたのは、勇輝の母、相良優実(さがらゆみ)。

 勇輝とそっくりの、にこにことした愛想の良い笑顔でこちらを見ている、だが……

 その目が、ちっとも笑っていない、という事に、勇輝は気づいていた。

 ちょうど夕食の支度をしていたのだろう、ダイニングルームの横にあるキッチンからは、何かが鍋でぐつぐつと煮られている良い音が響いていたし、母の上半身は、桃色の愛らしいエプロンで覆われ、その手にはお玉が握られている。

「勇輝」

 母が言う。

「外から帰るなり、大きな声で騒がないの、ご近所に迷惑でしょう?」

「は はい」

 ぴしゃりと言われ、勇輝は首を竦める。

「おまけに手も洗わないで部屋に入って、そういうのはダメだって言ったじゃない」

 母が言う。

 勇輝は何も言わない。視線だけを動かして、父の姿が無いか、と探した。だけど……

「お父さんなら、まだ帰って無いわよ、そろそろだと思うって、さっき連絡が来たけれどね」

 母が言う。

 その言葉に、勇輝は頷いた。表情が明るくなるのが、自分でも解る。

「……それじゃあ、今日は……」

 勇輝は、母の顔を見て言う。

「ええ」

 母は頷く。

「久しぶりに、皆で夕飯が食べられるわ、だから早く、貴方も手を洗って、着替えてらっしゃい」

 母が言う。

「はーい」

 勇輝は、母にお玉でぶたれた痛みなど、完全に忘れ去った様子で、嬉しそうに言い、そのままダイニングから洗面所に向かって走る。

 だけど……

 そこで、勇輝はぴたり、と足を止めて、母の方を振り返る。

「……母さん、その……今日は……?」

 その問いに、キッチンに戻りかけていた母は、じっと勇輝の顔を見る。

「大丈夫よ、今日……というより、ここ最近は調子が良いからね」

 母は、にっこりと笑う。

「……良かった」

 勇輝もそれを聞いて、安心した様に表情をほころばせる。


 相良優実(さがらゆみ)。

 その名の通りに、勇輝にとっては優しい母だ。今日の様に、勇輝が行儀の悪い振る舞いをすると、少しだけ恐いけれど、それも、勇輝の為を思っての事だ、というのが解るからこそ、勇輝は母に反発などはしない。

 優しく、人間の出来た母、他の家の母親がどうなのかは知らないけれど、勇輝にとっては世界一の母だ。

 だが。

 そんな母にも、たったの一つだけ……

 たったの一つだけ、心配な点がある。

 それは……

 勇輝は、じっと母を見る。少しか細い身体付きに、色の白い肌、生まれつきなのもあるのだろうが、それだけでは無い。

 母は、身体が弱いのだ、ほんの少しの風邪でも、すぐにこじらせてしまう。

 父もそれを解っているからこそ、母の事をずっと案じている、一時期、父は母の為、今の仕事を辞める、という事まで言いだした、そして母の側にいるのだ、と。だがそれは、母が決して許さなかった、自分なんかの為に、信念を曲げる様な事をするんだったら離婚する、とまで言い放って、だ。

 結局、父は今の仕事を続ける事になったらしい。

 母は、自分の信念を貫く父の事が、何よりも好きなのだ。

 だからこそ。

 父がいない時には、自分が……

 自分が、母を守るのだ。

 勇輝は、そう。

 そう、心に誓っている。

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