第24話

 翌日。

 日本中が、大きな騒動に包まれた。

 天才とまで言われる名医、真壁が突如として何者かに殺害されたのだ。

 だが……それよりも世間を震撼させたのは、その後次々にあちこちから上がった声だった。真壁は、金のある患者のみを診察し、そうで無い者は見殺しにした、と。

 警察が調べた結果、それらの証拠が数多くの証言で明らかになった、そしてそれらの情報をマスコミに流したのは、真壁が勤務する病院の看護師であった。

 病院の医院長を始めとする上層部は、これらに関しては『調査中』としたが、ネット上などでもそれらの情報は囁かれ続けた。そして……ネットではさらなる噂も流れていた。

 この医師は、『悪事』を働いたが為に……

 正義の殺し屋『ジャスティス』に殺されたのだ、と。

 その真偽は不明だが、『ジャスティス』の名はまた再び知れ渡る事となった。


 それから一週間ほどが経過した頃。

 地元の駅のホームに、須藤雅志の姿があった。

 その手には旅行鞄、大きなものは既に送ってしまった後だから、中身は大して入っていない。ひゅうう、と駅のホームに風が吹き付ける。

 雅志は軽く息を吐いた。

 あの後。

 真壁の死を知った後で、雅志は学校側に辞表を提出した。そしてそのまま、実家に身を寄せる事を決意した、そのまま故郷の街でほそぼそとやるつもりだった。もう……

 もう、この街にはいたくない、ここにいればいつまでも、娘の事を思い出してしまうからだ。

 そう思って、雅志は街を去る事を決めた。

 娘の事だけでは無い、雅志は目を閉じる。

 自分は、一人の生徒を『殺人者』にしてしまったのだ。だからこそ尚更、自分はこの街にいるべきでは無い、いっそ教師も辞めたかったくらいだが、自分の今の年齢で再就職は難しいから、仕方無く教職には就く事にした、幸いにして、故郷の街の中学に、今の中学の校長が口を利いてくれたおかげで、すぐにまた仕事は再開出来そうだ。

 生徒達には何も言わないで来た、どうせ自分はあまり良い教師では無かったし、見送られるのはあまり慣れていない。

 そう思いながら、雅志はそのまま電車をぼんやりと待っていた。

 その時だ。


「……先生……」


 声が、聞こえた。

 遠くの方からだ。駅の雑踏に交じって、それは聞こえないくらいだったけれど、それでも……

 それでも、雅志の耳にはっきりと……

 はっきりと、声が届く。

 雅志は、ゆっくりと……

 ゆっくりと、声がした方を振り返る。

 そこにいたのは……

「……高坂?」

 思わず呟く。そこにいたのは間違い無く、高坂伸也だった、ホームへの階段を走って上って来る、その後ろから、はあ、はあ、と荒い息をつきながら、のろのろと上って来るのは……

「相良……」

 雅志は呟く。

 そう。

 そこにいたのは間違い無く、相良勇輝だった。


「やっと追いついたぜー」

 ホームに到着するなり、伸也が言う。

「まったく、なんで今日引っ越しだって、言ってくんないんですか?」

「……見送りなんか、必要無いと思ったんだよ、特にお前達二人は……」

 そうだ。こいつらは最後に、恵美と……

 娘と、一緒に過ごしてくれた。娘にとびっきりの笑顔をくれた。だからこそ、あの日の娘の笑顔のまま別れたい。そう思った。

「だったら……」

 はあ、はあ、と息をつきながら、伸也の後ろから誰かがやって来る。勇輝だった、ホームまでの階段を上る体力も無いのか、その顔色は青く、疲れているのがよく解った。

「なおさら、僕達が見送るのが相応しいでしょ……? 恵美ちゃんとの最後の思い出を語れるのは、僕達しかいないんだから」

 勇輝が言う。

「先生」

 伸也が、雅志に向き直る。

「恵美ちゃんは、最後のあの日も、すっげえ楽しそうだったぜ」

 伸也が言う。

 雅志は何も言わない。そんな事はもちろん解っている、娘はあの日も、とても楽しそうにしていた、あれが最後になるなんて、きっと思いもしなかったのだろう。だが……

「もう、あの笑顔は……」

 そうだ。

 もう、あの笑顔は見られない。

 もう永遠に、娘が微笑んでくれる事は無い。

 だからこそ……

 この街にいるのは、辛いんだ。

 この二人に会う事が……


「先生」


 勇輝が言う。

「恵美ちゃんは、最後の瞬間までを精一杯生きたし、それに……」

 勇輝は、雅志の顔を見る。

「先生は、恵美ちゃんの分まで前向きに生きなきゃダメですよ、新しい土地に行っても、何処にいてもね」

 勇輝が言う。

 雅志は、ぴく、と肩を震わせる。

「大切な人の死、それと向き合うことは、もちろん誰だって辛い事です、僕だって、ずっとその呪縛に取り憑かれている……」

 勇輝は目を閉じる。

 そして。

 勇輝は、ややあってゆっくりと目を開く。

「けれど僕は、まあ、ここにいる伸也や、他の色々な事のおかげで、まあ、乗り越えられました」

 勇輝は言う。

「……先生も、全て忘れろ、とは言いません、恵美ちゃんの事、時々で良いから思い出してあげて下さい、けれど……」

 勇輝は、にっこりと。

 にっこりと、雅志に笑いかける。あの日……

 あの日見せた笑顔と、同じ様な笑顔で。

 だが雅志はもう。

 もう、その笑顔を見ても、あのぞわり、とした恐怖は感じなかった。

「けれど、その死をいつまでも背負い続けて、泣いてばかりではダメです、僕は……」

 勇輝は言う。

「そうして、『今』を生きています」

 雅志は黙っていた。

「先生も、そうあって下さい」

 その言葉に。

 雅志は……

 雅志は、軽く笑い、そして。

 ぽん、と。

 勇輝の頭に手を乗せる。

「教師に説法とは、随分と偉くなったじゃ無いか?」

 その頭を、ぐしゃぐしゃと撫でてやる。

「家族を失った事に関しては、僕の方が『教師』じゃないですかー? ちょっと、痛いですって」

 勇輝は抗議の声をあげる。

「ふん」

 雅志は鼻で笑って、勇輝の頭から手を離す。

「二人共」

 雅志は言う。

「はい」

「はーい」

 勇輝と伸也は、そのまま雅志に向き直る。

「ありがとう」

 雅志はそう言って、二人に頭を下げた。

 そして。

 雅志は顔を上げる。

「それじゃあ、元気でな、あと」

 雅志は二人に向かって言う。

「新しい先生には、迷惑をかけるなよ?」

 その言葉に。

 二人は顔を見合わせ、そして。

「……こいつは無理だね」

「勇輝には無理だなー」

 同時にそう言って、そして……

 二人は、小さく笑う。

 雅志も、軽く苦笑いを浮かべた。


 やがて電車が来る。雅志はそれに乗り込んで、二人に向かってもう一度頭を下げる。

 勇輝と伸也も、深々と頭を下げる。

 雅志の心が救われたのか、『ジャスティス』には解らない。それでも……

 それでも。

 『ジャスティス』は、『悪』を裁きたいと願う者の声は。

 決して、聞き逃さない。

 そして。

 『悪』は、決して許さない。


 『ジャスティス』。

 『正義』という意味の名を持つ殺し屋がいた。

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