第19話

 どっ、と。

 雅志は、乱暴に部屋の外に突き飛ばされた。

「話は終わりです」

 真壁は勝ち誇った口調で言い、ふん、と鼻を鳴らした。

「因みに、僕のした事を訴える、などという事は止めた方が良い、と強く警告しますよ、僕には優秀な弁護士もついている、裁判でも貴方に勝ち目は無いと、断言します」

「……っ」

 雅志は、ぎりっ、と歯ぎしりした。

 だが。

 ここで……

 ここで、諦めるわけにはいかない。


 だが。

 結局、あの真壁の言った事は、全てが事実だった。

 真壁の所業を、雅志はありとあらゆる伝手を使って訴えた、教師とは言え一般人に過ぎない自分が、あんな大病院の医師を訴えるなんて、そもそも勝ち目の無い事かも知れない、それは解っていたけれど、このままでは済ませられなかった。

 だが。

 結局、何を何処に訴えても何の意味も無かった。

 真壁は、奴自身が言っていたとおりに優秀な弁護士が付いており、さらには恵美の手術に関しても、何ら問題は無い、適切な処置を行った、という真壁の主張を皆が信じた、普段から難しい手術をいくつも成功させ、沢山の人の命を救っている真壁が、いい加減な治療をするなどあり得ない、と、多くの者がこぞって主張したのだ、もちろん、その全員が社会的な地位の高い者達だった。

 それでも、雅志は訴え続けた。

 

 娘は殺された。

 

 真壁という医師は、患者を選び、金のある者だけを助け、そうで無い者は見捨てている。


 だが。

 何の効果も無かった。

 そればかりか……

 雅志の行動を、逆に『法外な慰謝料をせびろうとしている』と、まるで雅志こそが悪である、という様に言う人間。

 『娘が死んだ精神的なショックにより、真壁のせいにしなければ心が壊れてしまうのだ』と、可哀想な人間を見るような目で見てくる者も現れる始末だった。

 違う。

 雅志は、声を大にして叫んだ。

 自分は、『法外な慰謝料』が欲しいわけでは無い。

 自分は、『娘の死を受け入れられずに狂った父』でも無い。

 自分は……

 自分は……

 ただ……

 ただ、『真実』を……

 『真実』を、世に知らしめたいだけなのに。


 結局。

 何も出来ないまま、娘の死から日数だけが過ぎていた。

 最近では学校も休んでいる、一体何日休んだのか、もうちっとも解らない。雅志の中の時間はあの日、最後に、相良勇輝と高坂伸也の二人が、娘の見舞いに来てくれた、あの日のままで止まっていた、あの時の娘の表情。あの楽しそうな顔だけが、雅志の脳裏に最後まで……

 最後まで、焼き付いている光景だった。

「……恵美」

 だが。

 もうあの笑顔は……

 もう、あの笑顔は……

 永遠に……

「……っ」

 雅志は嗚咽を漏らした。

 何も出来ない。

 自分には。

 結局、何も……

「……恵美……」

 もう一度。

 娘の名前を呼ぶ。

 だが、その呼び声は虚しく。

 虚しく、誰もいない家の中に響くだけだ。

 もう枯れ果てたと思っていた涙が滴り落ちる。

「恵美……恵美ぃ……」

 雅志は呻いた。

 そうだ。

 結局。

 結局、何をしても……

 何をしても、状況が変わらないのならば。

 誰も……

 雅志が訴える『真実』に耳を傾けはしない。そればかりかまるで雅志が悪いように言われるのだ。

 何も出来ない。

 何も変わらない。

 何も……

 何、も……

 なら……

 ならば、もういっそ。

「……娘の、ところへ……」

 雅志は呟く。ちらり、と台所の方に目をやる。キッチンのシンクの下の棚の中……そこには包丁が入っているはずだ。いっそ……

 いっそそれで、心臓を……

「……っ」

 微かに、口元を歪めて笑いながら、雅志は、ゆっくりと……

 ゆっくりと、キッチンへと向かう。

 そして。

 棚を開ける。

 だが。


 ピンポーン。


 突然、呼び鈴の音が響いた。

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