第9話

「残念だったなあ、勇輝」

 昼休み。

 生徒達で賑わう学食に、伸也の無遠慮な大声と、ゲラゲラ笑う声が響いた。

「おかげでうちのクラス、今日は一日テンション高くて盛り上がってるぜー」

 ははは、と。

 伸也が大声で笑うのを、勇輝はギリギリと歯ぎしりしながら聞いていた。

「……君だって、殴られていたじゃないか?」

 勇輝がぶすっ、としながら言うと、伸也はまだ笑いながら言う。

「俺は空手で鍛えてるからなー」

 伸也はまたゲラゲラと笑う。

 勇輝はまた歯ぎしりした。


「……あの担任」

 勇輝はぶつぶつとぼやいた。

「須藤(すどう)先生だよ」

 伸也が言う。

「ああ」

 勇輝は頷いた。そういえばそんな苗字だった、下の名前は何だったか、確か……

 まあ、忘れてしまったけれど……とにかく。

「あの須藤先生って、僕達と同い年くらいの娘がいるとかいう話だったけれど、娘さんに対してもあんな事してるのかね?」

 勇輝はまたぶつぶつと呟く。

 伸也は軽く肩を竦める。

「さあ、どうだろうね」

 勇輝は何も言わずにため息をついた。

 全く。

「……朝から散々だよ」

 勇輝はぼそりと呟く。

「遅刻なんかするからさ」

 自分の事を棚に上げて、伸也がのんびりと言う。

「ふん」

 勇輝は、鼻を鳴らした。

 仕方の無い事だ。

 昨夜は……


 やがて昼休みの終了を告げるチャイムが、学食に鳴り響く。

 勇輝は、空っぽになった牛丼のどんぶりを載せたトレイを両手で持ち、ゆっくりと立ち上がる。

 午後の授業は、せめて怒られないようにしないとね。

 そんな風に考えながら。


 やがて午後の授業になる。

 今朝、勇輝の頭を出席簿で殴りつけた教師、須藤雅志(すどう雅志)は、教室の正面に立ち、数学の授業をしていた。

 勇輝は黙って授業を受けていた。だけど……

 ……眠い。

 そもそも数学という教科は、勇輝にとってはまるで異世界の呪文の様な物で、とにかく眠気を誘うのだ。

 加えてあの須藤という教師は、大学時代に数学の成績がトップだったか何か知らないが、問題を解くための数式を一から十まで解説するのだ、確かにそうすることが、数学においては確実な解き方なのかも知らないが……

 数学の苦手な勇輝にとっては、その解説はまるで……

「……眠りの呪文だ……」

 数日前にプレイしたゲームに出て来たボスキャラクターが、確実にこちらを眠らせてくる技を使うボスだった事を思い出して、勇輝は呟いた、その日も勇輝の操作するプレイヤー達は、まんまと眠らされて敗北したのだ。

 どうやら……

「……現実でも……」

 自分は、睡魔には勝てないらしい。

 このままでは……

 このままでは……

「……まあ……」

 勇輝は呟く。

「……良いか……」


「良いわけが無いだろう?」


 眠りに落ちかけた勇輝を、冷ややかな声が現実世界に引き戻す。

 恐る恐る顔を上げる。

 そこには。

 ぱりっとしたスーツに、四角い眼鏡、定規を当てて梳かしたような髪。

 理知的な風貌。

 だけど。

 そこに、明らかな怒りの色を滲ませた教師、須藤がいた。

「……お おはようございます、先生」

 勇輝は呟く。

「ああ、おはよう相良、良く眠れたか?」

「い いえ、まだ起きてましたから……」

 勇輝は言い訳する。けれど……

「そうか、しかしあのままだったら眠っていたよな?」

 にこり、と。

 須藤が微笑む。

 勇輝は何も言わない。

「とりあえず、眠気覚ましをやろうな」

 須藤はそう言って。

 今度は、縦にした数学の教科書を振り上げた。

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