第一章

第6話

 午前七時。

 都内某所。

 都会、と呼ぶにはあまり人口も、街の施設もそれほど多くも無い、割と小さめの街、かといって、田舎、と呼ぶにはやや都心よりの街。

 その街の外れの方にある、閑静な住宅街、そこに建つ、やや古めの庭付きの家。

 この家が建てられたのは、およそ四十年ほど前、外壁や屋根などはやや古いが、内装は何度か改装しているおかげでしっかりとしている。

 そんなこの家の二階、一番奥にある少し広めの部屋、数年ほど前までは使われていなかった、だけど……

 今は……


 こん、こん、と。

 相良喜代(さがらきよ)は、今では孫が自室として利用している部屋の扉をノックした。

 室内からは、何の音も声もしない。喜代は、やや呆れたため息をつきながら、ゆっくりと扉を開けて部屋の中に入った。

 室内には、あちこちに漫画の本やゲームなどが散らかり、持ち主のずぼらでだらしのない性格をよく体現していた、この部屋の中に入るたびに喜代は、この部屋の主、即ち自分の孫は、この部屋の中の一体何処に何があるのか、きちんと把握しているのだろうか? と思わずにはいられない。

 そして。

 部屋の右の脇の方に置かれたベッドの上。

 その上に仰向けになり、大きく口を開け、よだれを垂らしてだらしなく眠っているのがこの部屋の主であり、そして、喜代の孫でもある相良勇輝(さがらゆうき)だ。

「勇輝」

 喜代は、勇輝の肩を掴んでそっと揺らした。

 だけど……

 勇輝は目を固く閉じたまま、寝息をたてたまま目を開けようとはしない。

「……」

 喜代は、ゆっくりと息を吐いた。

 そのまま、ずっともう片方の手に持っていたフライパンとお玉を、ゆっくりと両手に持つ。

 そして……

 喜代は、勢いよくフライパンの底に、お玉を打ち付ける。

 カン、カン、カン、と、甲高い音が鳴り響く。

「……」

 勇輝が目をぎゅっ、と閉じ、ばっ、と寝返りをうって喜代に背を向ける。

 しかし喜代は容赦せずに、さらに力強くお玉を打ち付ける。

 甲高い金属音がますます大きくなる。だがそれでも勇輝は目を覚まそうとはしない。

 喜代は容赦無く、カンカンとフライパンを打ち鳴らす。

 そして……

 ついに……


「うるさぁーいっ!!」


 不機嫌な少年の怒鳴り声が、室内。

 いいや。

 家一杯に響き渡った。


「おはよう」

 喜代は、勇輝の怒声にもまったくたじろいだ様子も無く、逆ににっこりとその顔に笑いかける。

「……っ」

 不機嫌にそちらを睨み付けた勇輝は、満面の笑みを張り付かせた喜代の顔を見て、一瞬びくっ、と肩を震わせる。この祖母は、もう八十を過ぎた年齢だと言うのに、怒らせると怖いのだ。

「お お祖母ちゃん……お おはよう」

 勇輝は、引きつった顔で喜代に言う。

「おはよう、勇輝」

 にっこりと笑いかける祖母を見て、勇輝は引きつった顔のままで言う。

「あの、な 何か用?」

「何を言ってるんだい?」

 喜代は、まだにこにこしたままだ。

 そして。

 無言のままで、ゆっくりと……

 喜代が、壁に掛けられた時計を指差す。

「……」

 勇輝も、どちらかと言えば祖母が恐ろしくて、ゆっくりとそちらに顔を向けた。

 時計の針は……七時十五分を指している。

「……」

 勇輝の顔が、祖母と対面していた時よりもさらに引きつったものに代わった。

「そろそろ、学校へ行く時間だろ?」

 喜代が言う。

「ち……」

 勇輝は、小さい声で呟く。

 そして。


「遅刻だぁーっ!!」


 本日二回目の大声が、相良家の中に響いた。

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