第2話

 大通りの喧噪とは、全く無縁の、広いけれど薄暗く、人通りのあまり無い道。

 少年は、そこを、楽しそうに笑いながら歩いていた。まるでこれから楽しい遊びを始める、そんな風に感じる笑顔だった。

 この付近は、あれだけ辺りを明るく照らしていた夜の街のネオンも、ほとんど輝いてはいない、ただ、あちこちに街灯が建っているだけだ。

 その街灯が、ぼんやりと少年の姿を、闇の中に浮かび上がらせる。


 学生服姿の、小柄な、恐らくは十代という年齢であろう少年だ。

 肌の色は妙に白く、体つきはほっそりとしていた。

 短めの髪は、ただ単に染めたり、整えたりするのが面倒だ、という様な理由で切っただけ、という雰囲気だった。背が低いせいで、きっと実際の年齢よりも幼く見られるだろう。

 無論、こんな時間に、学生服のまま、しかもたったの一人でこんな人通りのない通りを歩いていて良いような少年では無い。

 迷子。

 そんな風に、見えなくも無い。だけど……

 その顔に浮かんだ楽しそうな笑顔と、真っ直ぐに歩いて行く足取りが、その少年が迷子などでは無く、紛れも無い、自分自身の意志でここに来たのだ、という事を証明していた。

 ややあって。

 少年は、笑みを浮かべたまま、正面に目をやる。

 この路地の、かなり奥の方。

 そこに、巨大な生き物の様に立っている雑居ビル。

 少年は、にこにこと微笑みながら、そのビルを見ていた。


 ニコニコと微笑んだまま、少年はゆっくりとビルに近づき、まるで友達の家にでも遊びに来た、という様子で、そのビルの扉を開け、中に入ろうとする。

 だけど。

「おっと」

 野太い声。

 そして、すっ、と眼前に差し出された太い男の腕が、少年の行く手を遮った。

「おいおい、坊や」

 声がする。

 少年は、微笑んだまま顔を上げた。

「こんな時間に、こんなところで一人で何をしてるんだい? 良い子はもう、おウチに帰って眠る時間だぜ?」

 一人の男が、そう言いながらビルの中から出て来た。

 派手な柄のシャツ、顔にはサングラスをかけた、厳めしい風体の男。

 その口元には、にやついた笑みが浮かんでいる。

「迷子だってんなら、このまま元来た道を引き返しな、そうすりゃあ駅に戻れるからよ」

「……」

 少年は……

 楽しそうな笑顔を浮かべたまま、何も言わない。

「もしも」

 別の声。

 もう一人、大柄な男が、ゆっくりとビルの中から出て来ていた。

 こちらはジャケットを羽織った、やはり厳めしい大男だ、顔にサングラスはかけてはおらず、にやついた笑顔を隠していない。

「もしも君が、どうしてもこの建物に入ろうってんなら、悪いけどそれは出来ないんでね」

 大柄な男が言う。

「その時には、君にはちょっとだけ、痛くて怖い目に遭って貰う事になるんだ」

 きひひ……と。

 大柄な男が、不気味に笑う。

「さあ」

 大柄な男が、にやついたまま少年の顎にゆっくりと指をかけ、顎をくい、と持ち上げる。その目元に、少しばかり情欲の色が浮かんでいる事に、少年は気づいた。

「どうするんだい? 可愛い坊や」

 大柄な男が、またきひひ、と笑った。

「さっさと答えな、坊や」

 最初に現れた派手な男が言う。

「その人は、ちょっと気が短いんだ、早くしないとお前、痛い目に遭うぜ?」

「……」

 少年は、まだ……

 まだ、にこにこしたまま。

 だけど……

 ややあって。


「……それは……」

 少年が、口を開いた。

「困りますね、痛いのも、怖いのも好きじゃ無いんですよ、僕は」

 少年は言う。

「……そうかい、それなら早く、おウチに帰るんだな」

 派手な男が言う。

「……僕も、そうしたいと思ってますよ、明日も学校があるんです、ただでさえ遅刻の常習犯で、先生達から怒られているっていうのに、こんな夜中に出かけなきゃならないなんて」

 少年は、まだ微笑んだまま、肩を竦めながら、首を横に振った。

「でも、仕方無いんですよ」

 少年が言う。

 相変わらず、にこにこと笑ったままで。

「……この時間で無いと、このビルの中に、僕の探している人が『いない』らしいんで」

「探してる人?」

 派手な男が言う。

「一体、誰を探しているんだい?」

 派手な男が、問いかける。その顔には、もうさっきまでのにやついた笑みは無かった。

 何か……

 何かが、妙だ、この少年は……

 こんな時間、こんな場所を、一人でうろついている事もおかしいし……

 何よりも……

 何よりも、自分達を前にして……

 どうして……

 どうして、こんなに落ち着いていられるんだ?

「えーっと……」

 少年は、腕を組んで少しだけ考える仕草をした後、ゆっくりと……

 ゆっくりと、顔を上げる。

「貴方方の言葉で、なんて言うんですか? お頭? おやっさん?」

「……?」

 その言葉に……

 今まで少年を、下卑た笑みで見ていた大柄な男の方も、眉を寄せた。

「ああ」

 少年は、それに気づいているのかいないのか。

 それは解らないが、思い出した様にぱん、と手を打ち、そして。

「『組長』、と、言うんですか?」

 その言葉に。

 二人の男は、ばっ、と。

 少年から距離をとった。

 そして。


 ちゃき……


 微かな金属音。

 派手な男の手に、黒光りする拳銃が握られていた。

 大柄な男も、手にはバットを持っていた。


「……お前」

 派手な男が言う。

「何者だ?」

 その問いに、少年は笑う。

「僕ですか? 僕は……」

 少年は、ゆっくりと……

 ゆっくりと、背中に手を回す。

「……っ」

 そして。

 二人はようやく気づいた。

 小柄で、ほっそりとしたその少年の背中。

 今まで、周囲の闇に紛れていて見えなかった。

 そして何よりも……

 この少年の愛らしい笑顔と、小柄で弱々しい雰囲気に、全身をくまなく見よう、という意志が働かずに……

 ずっと、見落としていた。

 

 少年の背中には……

 黒い布にくるまれた、細長い棒の様な物が、紐でくくりつけられながら背負われていた。

 そして……

 少年が、それを背中からおろし、布の口をしゅるり、とほどいた。

 そこから少年が取り出した物が何であろうとも……

 この少年は……

 『違う』。

 そう思って……

 派手な男は、銃の引き金を引いた。

 だけど……


 少年は、その動きを予想していたかのように……

 派手な男が引き金を引くよりも早く。

 僅かに、身体を仰け反らせていた。

「……っ」

 派手な男が息を呑んだ。

 布が解かれ、露わになった『もの』を、少年が……

 少年が、しっかりと握りしめた。

 それは……

 日本刀だ。小柄な少年の、倍はあろうかという長さの刀。

 そして。


 少年が、にっこりと笑った。

 そのまま、たっ、とアスファルトを蹴る。


 次の瞬間。

 二人の男達は、同時にアスファルトの上に倒れていた。


 どちらも……

 首の無い、無残な姿で。

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