第4話
僕は目を覚ました。いつも通り目覚めが悪いし、夢は覚えていない。残念だ。昨日体験した病院のベッドとは違う感触を感じ、自分が家にいることを確認した。
昨日は精神科の先生(名前を忘れてしまった)に病院に来た理由を思い出させてもらい、その後家路についたおぼろげな記憶がある。
腹部の違和感から昨晩は夕食を取らずに寝てしまったようだ。覚えていることと忘れてしまっていることがまちまちなのは寝起きのせいにしておく。理由なんてどうでもいいのだ。
「人は忘れる生き物だ」という先人の生きた言葉(言った本人はさすがに死んでいるだろうが)はいつも希望を与えてくれる。
「寄、朝ごはんよー」という母の声に、階段を下りて行く足音で応じる。
姉が出て行ってから、二階には僕一人しかいない。
朝食はご飯に限る。異論は認めない。
日本人なら飯を食え。
家庭科の教科書に必ず載っている組み合わせを早々に平らげ、自室に戻り身支度をする。
制服を悪く言う大人は多いが僕は好きだ。それも僕の学校は詰襟なのでなお一層である。
家から学校はかなり近い。行こうと思えば自転車で行けるが、すこし贅沢を言って二駅間のみの通学定期を買ってもらった。
理由はある。「学校と駅の行き返りがコミュニケーションの場だ」という、人からの受け売りの意見だ。
支度を済まして家を出る。今日のコミュニケーションの場には知った顔がなかった。冷静に考えてみると僕は今日いつもよりもずいぶん遅く家を出た。時間帯が違えば人が変わるのも頷けよう。
現代人はこの頃街を歩けばイヤホンをつけていないほうが珍しいように思える。それは音楽を聴くことのできるデバイスが膾炙し、普及していることの裏付けであるし何ら問題がない。それこそ娯楽にあふれている素晴らしいこの世界を生きていくには移動時間をも有効に貪欲に使ってやるのがエンターテイメントとの真摯な向き合い方だ。
そういう僕もよく音楽を聴く。
ビートルズだとかエルビスプレスリーだとかの1950年代以降の音楽をよく聞く。なかでもヘビーローテーションしているのはザ・ビーチ・ボーイズの「wouldn't it be nice」だ。有名な曲ではあるが、ビートルズやエルビスを差し置くにしては逆張りもいいところのように思われるが、この曲は特別だ。
この曲は、この曲だけはなぜか聞き覚えがあった。
どこで聞いたかわからないものの、イントロの南国を感じさせ、少し気の抜けたようにもとも取れる音色に癒され、次に来る力強いドラム二回で掻き立てられる高揚感。
自分に合っている。
外聞とは遠く離れた心の奥がこの曲を愛しているように思えた。
こんな風に思えるなんて、素敵じゃないか?
校舎に到着し、ふと先週末のHRで席替えをしたことを思い出した。ちょうど教室のど真ん中だったと思う。僕は日頃教室の中心にいることが多い。けれど定位置もない。別にこの教室は自分のHRなので、それをいくつかに区分する事によってヒエラルキーの指標にしようという思想は理解の外にあり、あまつさえ他方のクラスにも顔を出す僕はとどまるところを知らない。八面六臂、面目躍如と言えば僕のことである。「会話は言葉と言葉のキャッチボールである」とは、よく聞くが人には得意不得意がある。
僕の場合、投手が苦手である。それでも反対に捕手は得意である。会話の話題として最悪と称される天気のことでさえ、インアウトの采配で必ずやストライクにして見せよう。
教室に着くと何人かと挨拶を交わす。サッカー部の工藤、演劇部の安室、射撃部の赤井、
帰宅部の小嶋などなど。その時、
「俺、今日夢見たんだよ、それがさ・・・・・・」
「いや、夢の話をするのはご法度だろ。興味ないね」
という会話が聞こえてきた。だから、
「おはよう、それ俺に聞かせてくれよ、他人の夢の話聞くと言えば俺の事よ」
と助け船を出航させた。
「おっ、佐倉。おはよう、そうこなくっちゃ。たとえ夢の話題とはいえ興味ある人間に聞いてもらったほうが夢自体も夢冥利に尽きるだろうよ。しっかし、前から聞いてはいたが人の夢を聞き漁るなんて変わってるよな」
「聞き漁るなんて人聞きの悪い響きだな。まあいいじゃん、聞かせてくれよ」
ここで僕が話をそらしたのには理由がある。この世のほとんどのことに理由があるのと同じように。
端的に言うと僕は夢を見たことがない。こういうとかなり語弊があるため、言い換えるとすれば夢を覚えたまま起床したことがない。
嘘みたいなほんとの話。夢みたいな現実の話。
でも、こんなことを言ったところで信じる変人も少数派だろう。
もともと他人の夢の話を聞くこと自体に多くの人間が興味を見出さないのに、僕が今現在まで一度も夢を見たことのない事実なんてものは夢の話の延長上の最奥にあるのだからなお一層だ。
それに冷静に物事を考えれば、さほど語るようなことでもないのである。ただ、浅い睡眠であるレム睡眠中に起きたことがないだけである。
確かに、僕は意識してノンレム睡眠の時を図って起きているわけではないし、地震大国である日本で深夜に自然という絶対的な力にたたき起こされる場合もあるにもかかわらず、それすらもかいくぐっていることを評価すればなかなか存外、奇跡的なことなのかもしれない。
とはいえ、今回も僕は捕手なのである。投手に返球するときに変化球はいらない。
「これは前提からおかしいんだけどさ、俺は飛行船にいるわけよ。そして黒服の奴らから逃げてるんだ。理由は分からないけど」
「飛行船ていうのは、広告とかを掲げているタイプの奴のこと?」
「いや、そうじゃなかったな。うーんなんていうか海賊が乗ってそうな木造なんだよな。木造なんだけどかなり広くて迷路になってて、あっ、なんていうかこの学校を丸々一つ含んでるくらいに感じたな。甲板には出てないしそとから俯瞰で見ることはなかったけど、そんな感じだ。あー、あの、あれ。マリオでクッパjrが最後に出てきそうなやつよ」
「なるほど、ああいうかんじな。それでそれで」
「んで、逃げてるのは俺だけじゃないんだ。やたらと女々しいエアバンドのメンバーだったり、若手俳優もいたな、名前忘れたけど。他にも逃げる側でも追う側でもない追わせる側に藤井先生とか強面俳優もいた」
「藤井?そんな先生うちの学校にいたっけ?」
僕自身もこの学校に在籍しているすべての教師と顔なじみではないものの、藤井という名前は聞いたこともない。
「あ、ごめん。それは俺が通ってる塾の先生だ。知らないで当然だよ」
「なんだ、ほんとに知らない奴かよ」
僕は何となく可笑しくって笑った。
「でもさ、追ってくる黒服が武器を使ってくるんだけどさ、それが本物のロケットランチャーとかRPGで壁に当たってはボコボコに穴をあけていくんだ」
「夢の中の本物っていうのはなんか矛盾してそうだな」
「確かに。お前ってそういう言葉尻よくとらえるよな、いや別に悪いとは思ってないぜ。ちゃんと聞いてくれてる証拠だからな」
まあこれこそが僕が捕手である所以ともいえる。
「まあ、せっかく話を聞くなら円滑かつ正確に聞きたいと思ってるからかな。まあそんなことより続きを聞かせてくれよ」
「おう、まあ武器を駆使して丸腰で逃げる俺たちを攻撃してくる中でそりゃあ何人かは被弾しちまうわけよ。でも血とかはまったくでないでRPGの敵みたいに煙みたいに消えていくわけよ。仲間なんだけど夢だからか悲しみとか皆無」
「いや、お前無理やり武器の名前とたとえをRPGでひっかけるんじゃないよ」
「へへへ、笑いの才能出ちゃった、アハ。まあ話に戻るとだな、そのまま逃げ続けたら目の前にやっと運営側が出てくるわけよ。それで俺たちにこういうんだ。『ゲームはおしまいだ。何故ならこの飛行船は墜落するからだっ!』てどや顔でね」
「いや、夢にしては落ち完璧すぎだろ」
見たことはないがこれまで蒐集してきた七色の夢を比較材料にして答える。本当に珍しい。大抵夢なんてものは不完全なのに。
こんな風に夢を見た人がいればそこへ行って内容を聞いて回る。
いつか自分自身で夢を見るために。
だって、僕だけ夢という言葉から想像できる概念が一つ少ないというのは、損をしているみたいじゃないか。
こうして日々を友達との会話と音楽で埋め過ごしていった。授業なんてものは二の次でバカな話をしている時間が最高だった。放課後に校則を破ってした寄り道。そのとき寄ったファストフード店でのだらだらとした会話が一番日々を満足に導いた。考えてみれば寄り道とはすなわちするためにあるのだ。寄り道をしないのならば寄り道と言う言葉は廃れ残っていない。先人たちが本来の正しい道をたどらなかった事実によって今日までこの単語は成立しているのだ。他にもみんなそれぞれ持ち寄ったボードゲームを放課後にやってみたり、屋上に忍び込んでは昼寝しているところを先生に見つかったり。春の青さは僕らの中にあった。
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