シリルの決断1 神の槍

 初雪が降った次の日。初めて雪下ろし、雪かきをして久しぶりにおっちゃんのお店に買い物に行った日。姐さんのお目出度に、言葉を失った日。そして……。



 「お姉ちゃん。あのね、お願いがあるの。」



 シリルが初めて自分の人生の為に一歩を踏み出した日。




 あの後、塒に戻ってから皆でお昼ご飯を頂いてから、午後には雪かきの仕事をもらいにケリー達が飛び出していった。まだ東地区の瓦礫は片付いていないけど、雪が降ってしまったら瓦礫どころの話じゃないから、雪解け迄はあのままだと思う。



 他の年少組達は元赤が見てくれて、小振りになってきた雪の中、庭で簡単な訓練を始めている。年少組の子達の中には、来年の春になったら私の作った装備に身を包み、下水掃除に参加する予定の子もいるから、本格的な戦闘訓練ではないとはいえ真剣なんだよね。


 シリルも当然、その時間帯は元赤の訓練を受けていたと思う。基本は身体を動かす事から始めて、やっている事は身体づくり、体力づくりなんだけどね。



 私は午後からは職人仕事をする為に作業部屋に籠っていた。グリーブブーツを作った時と同じように、簡単に技術を手に入れるのなら、溜まりに溜まっているシナリオ経験値を消費して技術や知識を取得、私の感覚で言うと復活させてしまえば早いんだけどね。



 あの時と違って急いで装備を作らなくちゃいけないわけじゃないし、雪に閉ざされた街で他にやる事がある訳でもないから、のんびりやっていきたいかな。生活費に困っているわけでもないから、一からちまちまじっくりと物作りを身に着けたいと思っている。


 魔法を使ってばっとやってしまうのも嫌いじゃないし、ストレージに入れて一気に作業してしまう方法も無いわけじゃない、けど分霊わたしの本質はチマチマ作業して物を作る職人さんだからね。そういう作業が好きなのさ。



裁縫関係のテキスト、写真付きを個体わたしではなく分霊わたしのストレージから取り出して軽く目を通す。端が切れかかっていて、随分と年季が入ったものだけど、分霊・個体わたしたちにとって、これは宝物。


 読みながら、針と糸、そして布の端切れを取り出して基本からチクチク始める。



 以前に開放した技術、知識の中に基本的な針仕事が関わってくるようなものはあったし、シリル達にアップリケを作ってあげていたりするから、正直この作業にさほど意味は無い。



 けど、個体わたしにとってみれば、ここからが職人の始まり、だと自分を切り替えるスイッチの様な儀式だ。



 一つ一つ動作を確かめるようにのんびりとチクチクと。最初は糸を通さず、ある程度手が慣れて来たら糸を通して。ついでネットワークから購入したノートとシャーペン、ボールペン、各種色とりどりのマーカーを取り出して、一つ一つの作業に関して自分なりに解釈したり、コツ等をその時感じたことを書き記していく。簡単な模式図や手の動きのスケッチも書き込んでいく。


 絵に関する技術も知識も開放していないけど、元から私に絵の才能があったらしく、特に問題なくスケッチを終える。



 この調子で書き溜めていけば、いずれこのノートを纏めて裁縫関連の技術書を書き出せるでしょうね。




 ただ、のんびりと時間をかけて技術を取得する事に関しては、一つだけ懸念があるにはある。私はシリルが今の所片思いしている元赤、ジラード様を見捨てるつもりは無い。


 彼に取り付いている通称神の槍、生贄の上台とか言われている正式名称不詳なくそったれの槍を、手遅れになる前に何とかする意思はある。



 それをするために必要な早道は2つ。一つは地道にシナリオ経験値を貯めて、魔道具関連の知識技術を開放していく。同時に解呪関連の知識と技術も取得していって、道筋を立てて行けばそう遠くない内に元赤を開放することは出来る。



 この場合の問題点は、シナリオ経験値を効率よく貯める為に色々と経験したり、研究したり修練したりといった行為が必要な事。そしてさっさと技術や知識をリストから解放してしまった場合、さらなる経験値を稼ぐために必要となるそれらの努力はハードルが高くなる可能性があるという点。


 同じグリーブブーツを作るのでも、今まではラットの革で十分な経験値を得られたのが、技術があがりより高難度の作成を熟せるようになってくると、もっと扱いが慎重になる材料、例えば火ネズミの革やらドラゴンの革なんかを使わないと思うような経験を稼げなくなる、かもしれない。


 当然、そんな品物がその辺に転がっている訳が無いので、自然と技術取得の為の修練の機会も減るし、効率も悪くなる。



 その辺りのシステムの穴や罠は、分霊わたしに聞いても教えてくれないから、慎重になる必要がある訳で。


 前述のとおり私もチマチマしたのが好きだから、今の所はこのやり方で行こうかなと考えている。




 もう一つの方法は実は物凄く簡単で確実。そしてやろうと思えば今直ぐにできちゃったりするんだよね、これが。槍の細かい仕組みとかは今の個体わたしじゃ分からないけど、この方法なら神の槍に対する理解はそれほど必要ない、と思う。



 実行するのに必要な技術は、多分既に持っている。足りない場合は、幾つか関連する技術を取得すればいいし、取得のコストも大したものではない。問題は実行する為のコストなんだけども、まぁ消費したくない分野のコストだから実行するのに心理的な抵抗が大きいけど、それも大した事ではない。



 精々が蚊に血を吸われるよりも少ない負担で済む、はず。



 じゃぁ何で勿体ぶってさっさと助けてあげないの?って質問に対する答えも、もちろんある。



 問題は、その手法が強引な方法であるという事。やり方は簡単、私の魔力と魂の波長を元赤のモノに合わせて完全にシンクロしてから、強引に神の槍を私に取り込んでしまうという方法。


 必要な技術は既に魔力のコントロール関係だけだし、魂関連の操作の技術は端末わたしの権能の一つで分霊わたしによって制限はされていないから問題ない。



 元赤の魂に対しての負担も、この方法なら限りなくゼロに近いし、ショックで一時的に気を失うとかはあるかもしれないけど、翌日に目を覚ませばすっきりして終わりだろうね。


 ただこの方法で予想できない点が幾つかあってね。一つは元赤に負担を懸けないようにする為に、くそったれな槍にそれ相応の負担を懸ける事になるから、所有権を私に移した瞬間に槍が弾け飛ぶか、なんらかの不都合が生じる可能性が高いって事。



 所有権移譲の時点で何とか上手くいっても、そのまま分霊わたしとつながり続ける事によって神の槍が磨滅してしまう可能性も高い。槍は所有者の魂や魔力、生命力を取り込むことで動作しているようだけど、所有者は人間であることが前提条件のようだから、想定以上の力とつながると、槍が自分自身を維持できなくなる。


 現状の神の槍と私とで例えるなら、なんの加工もされていない厚紙で作った紙スプーン一つで延々と荒波の大海を汲み切ろうと頑張って、その内元の形すら保てずに擦り切れて海の塵になり果てると言ったイメージかな。



 つまり、元赤やその家族にちゃんとした形で槍を返せない可能性がものすっごく高い事が一点。後は槍を維持する為に分霊わたしから急いで切り離した場合、そのまま大人しくなるでも元赤に戻るのではなく次に行く、つまり元赤の弟さんに神の槍が引っ越ししてしまう可能性もある。


 元赤の弟さんを次の犠牲者にするのは、正直気が進まないしね。



 くそったれな神の槍とは言え、混沌勢力と戦う上では貴重な戦力だし、今までも窮地を乗り切る為に槍から無理に力を引き出して都市を救った事が何度もあるらしい。当然、その当時の所有者の命と引き換えに。


 元赤のお姉ちゃんやお兄ちゃんは、そうやって命を落としたのかもね。



 一人の命と引き換えに都市を救う。道義的にどうあれ、数学的に見れば問題ない取引よね。これを所有者の命を犠牲にする事なく同じ効果を得られるようになるのなら、それがベストでしょ。



 たださ、何らかの力を引き出す為に対価が必要なのは当たり前で、仕方の無い事だからベストを望むのは難しいかもしれない。



 王家や元赤がどのような判断を下すのかは分からないけど、ベターな答えは神の槍を制御下に置いて、都合よく使いまわせるようになる事、だと勝手に思う私。無理な使い方をしなければ槍に食われない、程度までデメリットを抑える事が出来れば十分じゃない?




 時間が無いなら兎も角、元赤自身の話でも無理をしなければまだ後4~5年は問題ないだろうという話だから、時間がまだある訳で。


 消耗し削れた魂を補完する事は端末・分霊・個体わたしの得意分野だから、フォローも出来る。だから今の所は、騒がず慌てずチマチマ職人仕事をするべきだと思うのよ。


 整然と理論武装を済ませておいて、趣味と人命救助と秩序戦力の維持のためにも、チマチマチクチクと、裁縫を続ける私。



 ……正直さ、現時点で元赤や王家に、神の槍それ何とかなるよ、とは言いたくないんだよね。ただでさえ神様だなんだって思われているからさ。その上、その証拠になりそうな事象を積み重ねていくのは気が進まない。


 それよりも魔道具製作者としての技術と、解呪の技術を磨いてなんども調査、トライをして結果的に何とかしましたよって言う方が、スマートだと思うのよ。



 そんな事を考えながら作業に没頭していたら、いつの間にか日は暮れて、元赤が何処かに帰って行って、ケリー達が仕事から帰ってきていたみたい。



 私としたら作業に集中していたせいで、暗くなっている事にも気が付かなくって、灯りを付けるのも忘れてしまっていた。それでも支障なく作業が出来るので、たまにこういうことをやらかすんだよね。


 慌てて「浮光」を使って灯りを取ったタイミングで、ドアをノックされる。



 「おねーちゃん、お部屋に入っても良い?」



 そして冒頭のシリルのセリフに至るって訳よ。

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