姐さんのオメデタ
「ちょっとおねーちゃん、玄関で止まってないで早く中に入ってよ!」
「どうしたエリー。何かあったのか?」
不審に思った二人から声を掛けられてはじめて
「おう、エリーじゃねぇか、いらっしゃい。お前さんが来るなんて最近じゃ珍しいな。」
硬直がとけて入店した私に、店に出ていたおっちゃんが気さくに声を掛けてくれる。武装した時のおっちゃんは、オーガクラッシャーの名に恥じない、立派で威圧感バリバリのごっつい戦士だったけど、こうしてパン職人の服装をびっしり決めて働くおっちゃんは、ちょっといかついけど一流のパン職人に見えるから不思議だ。背筋がスラっと伸びているのがポイント高いのかもね。
って、そんな場合じゃない。え、ナデラの姐さん、お目出度……だよね?
「あぁ、エリーちゃん、来てくれたんだね。すまないね、お得意さんなのにあたしが配達にいけなくなっちまってさ。」
姐さんはそう言うと、そっと立ち上がり、私の側によってきた。おっちゃんはおい、転ぶなよって心配しながらも焼きあがったパンを商品棚に移す作業を続けている。
「ずっとさ、子供できなかったから諦めていたんだよ。でもあのジャイアントの騒ぎの時には、私のお腹の中にもうこいつが居たみたいなんだ。」
そう言うと膨らんだお腹を撫でながらはにかむ姐さん。うん、尊いね、これ。もしかしてずっと何かを言いたそうにしていたのはこの事なのかな?
でも、それなら言い難い事じゃないだろうに、ジャイアントの一件であった事と何か関係あるのかもしれないけど……。
ま、結果が良ければ複雑に考える必要もないよね。
そんな事を思ってたら、姐さんが耳元迄口を近づけて本当に小さく、私にすら聞こえるかどうかの小声で話してくる。多分、これでも元赤には聞こえていると思うけど。
「だから、あの時エリーは旦那とあたしだけじゃなく、この子も救ってくれたんだ。でも約束があったろ?
どうやって伝えたらいいか分からなくてさ。」
そこまで言うと、内緒話の体勢から戻って普通の声で皆にも聞こえるように続けた。はて、何の約束なんだろうか。
「えへへ、私の初めての子なんだ。旦那があんまり動き回るなってうるさくてさ、私が配達に行けなくなっちまったって訳さ。他の嫁たちも孕んでいるのが多いからさ。
外に出られる奴がいなくなっちまってね。」
姐さん……。どうでも良いけど私とあたしって一人称がコロコロ変わるのは姐さんの癖なのかそれともなにか不安定な部分を表しているのか、どっちなんだろう。
戦時で一緒に居た時にはどうだったっけ。そう言えばあたいって言っていた時もあった様な気がする。いや、本当にどうでも良い事じゃん。
「そっかぁ、姐さん、おめでとう。」
「ナデラお姉ちゃん、おめでとうございます!」
「以前にも伝えたが、改めて私も祝わせてもらうよ。二人の血を引く子だ、きっと素晴らしい戦士になれるだろう。」
その後、暫く照れたおっちゃんと姐さんを揶揄いながら、いつものカチカチパンを荷車と篭や手提げに詰めてもらう。
毎日必要な物だし、支払いは月で纏めて、後で集金に来てくれるからこの場ではただ品物を受け取るだけでいい。
伝票は紙は高いし脆いしでこういうものには向かない。羊皮紙は丈夫だけどそれなりに高いからやっぱりこういうものには使えない。だからか薄い板きれにチョークの様なものを使っているみたいで、購入した際にその板切れに購入した物や数を記入して、購入者がサインする。
本来なら決済が終わったら月の決済額やら購入数、購入者を徴税用の羊皮紙に記入するんだろうけど、外街は徴税もいい加減みたいだからそこまではやっていないって話だ。外街で暮らすのは、壁内で暮らすよりもローコストで済むけどリスクが高いからね。税金も全くないわけじゃないけど、きっちり取り立てられることも無い。
第一店を構えていなければ、税金取られることもないみたいだし。
ここでは伝票代わりの板切れを使いまわす為に、集金が終わったら軽く表面を鑢で削って文字を消して終わりだ。
正直、おっちゃんに一発位食らわせてやりたいって気持ちもあるけど、姐さん、私の常識で考えても適齢期だし、ずっと子供が出来なくて思い悩んでいたみたいだし、そもそもご夫婦なんだからそう言う事はあってしかるべきだし。
本当に仕方なく、涙をのんで諦めてナデラさんに元気な子供を産んでねって伝えておく。
「私、怪我や病気だけじゃなくて出産関係もそれなりに技術も知識もあるからさ。魔法も妊婦さんや出産に有効なモノも幾つかあるんだ。
体調がおかしかったり、何かあった時は遠慮はいらないから声を掛けてね。
特に出産のときは呼んでくれると嬉しいかな。何があっても私が居れば何とでもしてあげるから、安心だよ?」
「あぁ、そうだね。確かにエリーちゃんが居れば安心さね。その時は声を掛けるさ。」
本心でそう思っていそうなナデラさんの声に、少し誇らしい
「あぁ、友人の妊婦さんに関してはお金取るつもりは無いからさ、その辺りは安心して欲しいかな。」
「そういう訳にはいかんだろう。俺も今じゃしがないパン屋の親父だけどな。金が無くてこんなことをしている訳じゃないから、変な遠慮はすんな。
これでも現役の時には下手な貴族なんぞよりよっぽど稼いでいるし、碌に使ってもいねぇからその気になれば地方のお貴族様にだってなれるだけの財はある。
この辺の冒険者上がりや職人街のご隠居達も懐具合は皆似たり寄ったりだ。俺ほどじゃない奴も多いがな。報酬で遠慮する必要は無いぜ?」
そうは言っても、これは私の心の問題なんだよね。この世界じゃ希少価値の高い治療魔法だというのは理解しているけど、
濡れ手に粟ってこの事だ、って奴だから気が引けてさ。
それでも手持ちが無い時はそれなりに稼ぐのに必死だったりしたけど、目的を果たした後、特に差し迫った次の目的がある訳でもないし、使うに困る額が懐に入ってくるとやっぱり元々の価値観が頭をもたげてくる。
「パン屋は継ぐのが嫁の一人と結婚するための条件だったしな、今じゃ俺の趣味みたいなもんだ。」
こういう所でも、変に意地を張って拗れさせるつもりは無いから、その時になったらまた考えればいいわよね。
「わかったわよ。ただ、本当に友達、しかも戦友から治療費とるのは私の主義に反するって言うのもあるからさ。ま、状況に応じてお値引きする感じで、その時に考えましょう。
兎に角、何か体調や出産で困ったことがあったら、本当に遠慮しないで呼んでね。」
そう言うと姐さんもおっちゃんも表情を改めて、私を見つめていた。ちらりと見ると元赤も雰囲気がかわって何となく畏まっている様な違うような。
「戦友、か。確かにな。」
しみじみとした口調で元赤が呟くと、おっちゃん達も頷いていた。
「そうだな、戦友だな。」
「あはは、あたしに関しては最初から遠慮するつもりはないさな。エリーちゃんは戦友で恩人さね。ただ、まぁ甘え過ぎないように気を付けるけどね。」
「妊婦さんは自分の為だけじゃなく、お腹のあかちゃんの為にも甘えて助けてもらうのが正義だよ。自分一人の命じゃないんだからさ。」
この世界の事情的にも、妊婦さんには比較的、ひ・か・く・て・き、優しい世界だしね。同族の盗賊に襲われても妊婦さんは時折殺されずに解放される話がたまにある位だし。
妊婦さんを生かして開放した事が原因で捕まったお間抜けさんとか、縛り首にされるところを過去に妊婦さんを助けた事があったために温情を受けて罪一等を減じられて、命を繋ぎ、後に貴族にまで上り詰めた元盗賊の話なんかが、たまに酒場で吟遊詩人が歌っていたりする。
その話の落ちは、その時に助けられた妊婦さんの娘さんと貴族になった元盗賊が結婚して、云々って話だったと思う。
本当にあった話だとして、年齢差ってどのくらいあったんだろうね。少なくとも15~20歳位の差がありそうで、この世界の闇の深さには頭を抱えたくなる。
「そうさね。そういう時は甘えるよ。」
「報酬は美味しいパンで良いよ。」
「質の良い柔らかな小麦のパンだとしても、魔法の対価になるほど高かねぇよ。ま、俺も嫁さんと子供の命が最優先だ。お言葉に甘えて何かあったら戦友に頼る事にするさ。
出産のときも声を掛ける。約束する。」
そんな話をしてからおっちゃんのお店を後にした。
少し小降りになってきた雪の中、お昼ご飯の準備に間に合うように少しだけ早足で帰り道を急ぐ。やっぱりシリルが持てる量には限界があるから、私が多めに荷物を持って行よりも言葉少な目でぼんやりとしながら、歩く。
姐さんがお目出度か。
さっきから似たような事ばかり頭に浮かぶ。そうして似たような結論が出てきてまた同じように振り出しに戻る。それは私の姐さんを取られたとかいう訳の分からない幼児の様な我儘ではなくて、もっと別の何か。
多分、
それらはこういう時に強く
やがて無言の時に耐えきれないようにポツリと言葉が漏れる。
「小降りになってきたね。」
私の雰囲気に空気を読んだのか無言だった元赤やシリルが相槌をうつ。
ふと思い出す。そう言えばおっちゃん達との話の途中、シリルが何かを考えこんでいる顔をしていて少し気になっていたんだよね。声を掛けようとしたらシリルが口を開いた。
「ねぇ、お姉ちゃん、ジル様。戦友って特別なお友達なの?」
私と元赤とおっちゃん達が戦友だと話していたのを聞いて、自分一人取り残された気になったのかもしれない。確かに戦友って特別ではあるけど、兄弟姉妹に代えられるものではないし、そもそも比べられるようなものでもないんだよって教えてあげないと。
「うん、確かに特別なお友達だとは思うよ。同じ戦場でお互いに命を預け合って戦ったわけだからさ。」
「あぁ、そうだな。場合によっては血の繋がりよりも強いかもしれんな。」
ちょいとお待ちなさいな元赤さん。それでは私の想定とは違う方向に答えが飛んで行ってしまいます。そんな私の内心の抗議など届かず、シリルはそうなんだと呟いて一人頷く。
何となく今のこの空気を崩す気にもなれずに、その後は誰も何も喋らないまま塒に辿り着いた。
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