それは既に軽傷治療魔法ではない件
叫び声と悲鳴、苦痛の吐息、うめき声。守備隊から派遣されてきた、臨時の素人同然の医療助手たちに浴びせられる、イラつきからくる怒号。次から次へと治療院に運ばれてくる負傷者、重傷者を捌き、通常の手当だけでは近日中に死に至るだろう重体患者のみ魔法治療室に運ばれてくる。
お茶を飲み一息を付ける暇もない。本来護衛役の筈のケリー達も患者に付き添い、水やりや様子観察等、出来る範囲で世話を焼いている。赤い人も休む暇なく呪文を唱える真似をしながら、目立たぬよう私の助手として働いてくれている。
今、この場での治療は完治を目指す治療ではない。とりあえずの致命傷、出血を最低限治療し、命を繋ぐ。残りの負傷は時間か、個人で金を出して後で治療魔法を受けてもらう。全員を完治まで治療していたら、魔力や時間がいくらあっても足りないというのがこの外街に設置された戦時治療院の方針だ。
ただ、完全に自腹という訳じゃなくて、財政の許す範囲で補助金が出るし、奇跡や魔法双方の治療士も
都市防衛の為に負傷した彼らから利益を貪ろうとは考えていない。多くの負傷者がそれほど時を掛けずに戦線に復帰できるはず。
壁内では此方よりは人員、特に奇跡、治療魔法の使い手の数で壁外よりは余裕がある為、単純骨折程度の負傷者であれば、さっさと完治されて負傷者護送の馬車の往路に乗せられ、早々と前線復帰しているようだ。
私もその気になれば、この場の負傷者全員、完治させて前線送りにするくらいの魔力はある。魔力の回復関係の能力も下地はそこそこあるし、それ以外の方法も。
具体的には彼らの様々な感情、恐怖、苦痛、救われたという安堵、喜び。それら強い感情がアストラルの海を揺らし、私に力として幾分か落ちてくる。私と関り、私との縁が強ければ強いほど。その感情と命が
武名一つ上げていないこの状況での、治療魔法バレは望んでいる訳でないし、だからと言って命を見捨てて良いわけではない。先程から救えるものは全て救っているからね。私としては現状で不満は無い。
縁をつなげ拡げる事で、その網が広がっていく。だから、ネットワークやその他で商売をする端末は沢山いる。手軽に広範囲に縁を拡げる事が出来るから。
また馬車で負傷者の一団が運び込まれてきた。重体者が、先に待っていた患者さんの順番を抜かして治療室に運び込まれている。段々とさばききれなくなってきて、治療院の外側に設置されているテント群で、先程迄比較的軽症の患者さんの治療を手伝っていたケリー達が魔法治療室の外側に呼ばれた。
もう一々私という存在と囮を、隣室に隠したりしている余裕がなくなってきているのだ。その状況でも可能な限り治療魔法の行使者の秘匿を第一とした結果、既に知ってしまっているケリー達が魔法治療部屋に直接出入りして患者を移送する役目を担う事になった。
「次、腹に一発もらっている」
短く素早く、外で確認してきた症状を簡単に説明する塒組。ひっきりなしに送られてくる負傷者に、既に塒組も慣れたようで、血が止まらずうめき声すらあげられない患者を目の前にしても、怯まない。
両軍が本格的にぶつかり合って既に3日目。前線で負傷した戦士たちは早馬車にて僅か3時間で、治療院に送られてくる。戦場はすぐ目と鼻の先なのだ。両軍の激突前にエステーザの壁に上った事のあるケリー達の話だと、壁の上の出っ張った物見塔からなら相手方の砦が見えるそうだ。
外街に設置されているこちらには、切羽詰まった急患が運び込まれることが多い。その患者も半分以上がパップスだ。現在は機能していない北門の外街にも臨時で治療院が設置されているようだけど、そちらにはエルフが運び込まれているのだろうか。
患者をえり好みできるような状況じゃないけどさ、自ら死を望んでいるような自殺行為をする豚さんの獣人、パップスとエルフ達なら、エルフ達を治療したいよね。生き残れば長生きするだろうし、沢山の縁を繋いでくれるだろうから。
あと、見た目ね。そこ意外と重要。
申し訳程度に顔に布を掛けられ目隠しをされている、人間種の患者さん。先程教えてもらった通り腹、それも恐らく肝臓を傷つけた形で負傷しており、出血が止まらない。正しく致命傷だけど、魔法治療ならまだ間に合う。
「赤、暴れないように足側抑えて、ケリーは両腕抑えて頂戴。」
名前を教えてくれない彼は、この3日間、赤い人呼ばわりしているけど、そこを指摘するものは本人含めて誰も居ない。その内、忙しくてちょいちょい「赤」と呼び捨てにし始めた。彼もエリーと呼び捨てだ。そんなどうでも良い事に処理能力をさけないから。
「
「軽傷治療魔法」は擦り傷や浅い切り傷を治し、打ち身や捻挫にも効果をもたらす治療魔法で、基本的な術式はいわゆる主流派の魔法使いが伝えているが、医療の知識のない術者が使っても大した効果を発揮できないので、習得するものは殆どいない。
これが魔法使いの中で、治療魔法を修めている者が少ない理由にもつながるんだけどね。
本来、損傷した肝臓を治療するのに「軽傷治療魔法」では足りない。正確に言うと表面の切り傷を治すのも血管壁をくっつけるのも、見えているならそれほど変わらないはずなのだ。理屈の上では、だけど。
構造は表皮、真皮等と比べると臓器は作りが複雑で、見える範囲でしか治療効果を及ぼせない「軽傷治療魔法」では治せない。
ただ、魔法行使者が正しい医療知識を持ち、また魔力圏で詳細な損傷の状態を把握できている事と、治療魔法の範囲を致命部分にのみ効果を集中させる事が出来るなら、肝臓からの致命的出血を止めることは出来る。
浅い切り傷をくっつける要領で、肝臓の切り傷をくっつける。ちょっと術のコントロールの難易度があがるだけ。
ハッキリ言って自慢だけど、こんな「軽傷治療魔法」の使い方出来るのは私だけだろうね。魔力圏を展開するのも、それを利用して精査するのも、術を展開させるのもそれなりに高等技術だしね。
「外のテントに連れて行って。後は包帯巻いて安静にしていればすぐに死にはしないわ。傷口を奇麗な水で洗ってからね。
後で熱を出すと思うけど、時間が出来たら処置しに行くから。
次、回して。」
私の声を受けて、上半身を抑えていたケリーが相棒と一緒に担架で運び出し、直ぐに次の患者を連れてくる。ベルトコンベアで運ばれてくるように見えるよ。ちょっと気配を探っただけでも、担架に乗せられて廊下に置き去られた状態で順番待ちしている、数時間後には遺体になっていてもおかしくない人達が列をなしているのが解る。
レーダーを確認すると、まだまだ救急馬車は森の方面をひっきりなしに行き来しているし、私を通じて落ちていく魂達の量も急激に増えた。ボチボチ西の森のエルフ達にも死者が出始めている。
どういう作戦を立てたのか、それとも相手側が油断していたのか、こちらの被害はこれでもまだマシなようで、混沌勢の死者は多い。ただ、相手の方はまだまだ後方に大軍が控えているようで、本格的な激突はこれからになるでしょうね。
つまり今よりも忙しくなるって事かな。もしくは今より暇になるかも。負傷者を運び出す余裕すらなくなる可能性だってあるわけだしね。
「太腿に矢傷、出血が全然止まらねぇ。」
「痛てぇよ、クソ!やっちまった!糞!あの邪妖精が、殺してやる!」
今度の患者さんはまだ騒ぐ元気があるようで、大変結構。これなら下位の治療魔法で最低限、出血を止めて傷口を塞いでやれば数日で戦線に復帰できるだろう。邪妖精か。ダークエルフにでもやられたのかな。エルフやドワーフならチラリと見た事あるんだけどね。
「鏃は、……中に残っているわね。赤、口に何か噛める物を。」
「了解した。」
赤い人が布を巻いた奴を用意している。
「いったん傷を開いてから鏃を取り出す。皆、彼を抑えて。
良い?すごく痛むわよ。」
私の言葉に青ざめる患者さん。身動きが取れない位に体を抑えられ動揺している。
「な、何するんだよ、「良いからこれ噛め。」ムッ、フグゥ、ンーーー!!」
痛みをこらえる悲鳴が部屋に響き、ついでに重体患者が待機しているであろう廊下に響く。これあんまり良くないよねぇ。仕方ないけど。
取り出した鏃をゴミ箱へ投げ捨て、「軽傷治療魔法」で出血と傷を塞ぐ。ん-ん-うるさいよ。ゴミ箱には、患者さんから取り出した矢やら鏃やら、ナイフやらが放り込まれている。一々膿盆か何かに取り分けるような事はしていられない。
痛みで気を失った患者をとっとと外のテントに追い出し、次の患者を迎える。手早く、小魔力で、命を優先に、出来るだけ多く。
私の治療を受けた患者さんの安堵や喜び、未だ痛む傷の苦痛や死への恐怖。治療を介し縁が強くなった分、強く
それに自己嫌悪を感じる暇もないくらいに忙しくて、その分、気は楽だったけどね。
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